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「一人で頑張らなくて良い」がよくわかってしまう話~かいご噺「専門性を持ってしまって無くすもの」より

「ペルソナ(仮面)」という概念をご存じですか?
「ペルソナ(仮面)」は、スイスの精神科医で心理学者のカール・グスタフ・ユング(1875~1961年)が唱えた概念です。
ユングは心理学三大巨匠のひとりと言われています。
集合的無意識(シンクロニシティ)のほうが有名かと思うんですが、
「ペルソナ(仮面)」という概念もとても大切でたくさんの人に知って欲しいと思います。

「ペルソナ(仮面)」とは無意識の中にある社会に適応するための人格。
社会における場面に応じて、ペルソナ(仮面)を用いている。つまり、わたしたちは何らかの社会的な役割を演じるために「ペルソナ(仮面)」を付けて生活しているということ。
わたしたちは、様々な「顔」を持って生活しているんです。

「父」「母」「夫」「妻」「息子」「娘」「先生」「社長、部長、課長など会社での役職」などという顔を持ち、その役割によってわたしたちは態度や行動を変えている。
つまり、「役割を演じている」のです。わたしたちは普段の生活の中で
「ペルソナ=仮面」をつけて暮らしている。

忌野清志郎さんの曲「パパの歌」(1991年)が分かりやすく表現しているので、ぜひ、聴いてみて下さい。


休日はダメダメ(ダメではないんですが)なパパでもある。その一方で働くパパはカッコいい!
CMで使われていたので、よく耳にしていました。「家でのパパ」と「仕事でのパパ」は役割=仮面が違うため、違ってみえるんですね。

福祉職の中にいると「専門性」という言葉というか、概念というものが身近なんですが、一般的には馴染みがないのでしょうか?(職業病?分からないくらいマヒしてます)
「仕事による専門性という顔=ペルソナ」について話されるなーと思った動画があるので、ご紹介します。

この「専門性」を持つことが故に生じてしまう課題。
ジレンマのような心のざわつきが起きてしまう現象がある。

その課題を提起してくれたのが、一般社団法人えんがお(栃木県)で代表を務める濱野将行さん。
こういった「ハッ」とさせられることを言葉にできて、鋭い視点で投げかけてくれて素敵だなあと思います(日常の氣づきを言葉で表現できる人は少ないと思っています)

介護関係者が集まって介護現場での出来事や伝えたいことなどを小噺にして話をしていくという介護のトークチャンネル「かいごばなし」の中から。こういったコミュニティをYouTubeチャンネルでみられるのも感謝です。ちょっと長いと思っても全部みて欲しい。

濱野さん:「悩みなどを話せる人は誰?」
利用者さん:「○○さん(学生さん)」

というやり取りなんですが、とっても深いんです。
この感覚って分かりますかね?

坂野悠己(総合ケアセンター駒場苑 施設長)さん、
小林敏志(宅老所 はいこんちょ 代表)さん、
植賀寿夫(フリー)さん
それぞれ共感されていました。

ケアマネジャーをしているわたしもこの状況がよく分かります。
ケアマネジャーは相談役でもあるんですが、
わたし自身、利用者さんの困っていることや不安に思っていることを訪問看護師さんから聞くことが多いんです。うちの事業所は訪問看護事業所が併設でオープンフロア。よく利用者さんについて互いに話をします。
そこで「あれ?昨日訪問したのにわたしには話してくれなかった。言いづらかったのかな?」とモヤモヤが生じる場面があるんです。それも思い込みですが。

そして、落ち込みのような「モヤモヤ」を感じる必要なんてないんだなってってことに氣づいたんです。

仕事による専門性を持つ人(専門職)は「多職連携」が大切といわれています。

多職種連携とは、専門性の異なる職種が互いに連絡を取り協力しながら同じ目標に向かってご利用者をケアすることを指します

多職種(医師、看護師、理学療法士・作業療法士などのリハスタッフ、ソーシャルワーカー、デイサービス職員、ヘルパー職員・・)などと協力して支援します。つまり、チームで支援するってことです。


ユングが「ペルソナ(仮面)」について問題にしていることがあります。
それは「演じる場所を離れても仮面を外せずにいること」です。
忌野清志郎さんの「パパの歌」でも、仕事のパパのまま家庭に居たら?どうなるだろうと考えます。もし「社長」という仮面をつけたままで、奥さんに対してもまるで部下を扱うような態度で接したら、イヤですよね。
そんなことしていたら、家庭は楽しいはずがないです。子どもにも伝わります。
多職種連携も同じです。
専門性(わたしの場合は相談する相手はわたしでしょ!という想い)を出し過ぎると、見えるものがみえなくなる。
「仮面をはずす」ことが必要です。そして、看護師さんがその役割の仮面をかぶってくれたことに感謝する。

動画前半の金銭管理に対する「学生さんの氣づき」についても
仕事による専門性が高いとなにか大事なことを失ってしまうことを思い出させてくれます。
仮面をかぶっていることを忘れてしまうくらい仮面がフィットしているってことですね。ユングのいう「仮面を外せずにいる」状態。
わたし自身も「専門性という言葉が一般的かどうか分からない。マヒしている」と記したのはこの状態なのですよね。

仮面をつけたままだと窮屈になって、物の考えが一方向しかみえなかったりします。それがやがて、誰かの心を壊してしまうし、自分も壊れるかもしれない。
「初心忘るべからず」も大事です。

他者がいることによって初心を思い出したり、氣づきを学びあったりします。そして、足りないものをおぎない合うこともできます。
他者の存在は大きいです。

洋服を着たり、脱いだりするように、その場にあった仮面を脱ぎ捨てて、取り替えていく。
仮面を取り替える間は、ほかの演者に頼る、協力する。そういう仲間がいることを認識する。


社会での自分を仮面をかぶった役者に例えると不思議と頼ることにも抵抗感がなくなる感覚はありませんか?(これが俯瞰ふかんしてみていること。メタ認知が鍛えられます)
お互いに仮面を取り換えっこして、役割を交換することもできる。
そして、次から次へと仮面を取り換えられる人間の能力。
瞬時にそんな技をつかい分けているなんて、頭の中は「ごちゃまぜ」にもかかわらず、それができる変わり身の早さを持つ自分のすごさも誇りたい。
自分が愛おしい存在であることにも氣づけます。

登場した利用者さん、学生さんもそれぞれ仮面をかぶっていた。
学生さんも疲れたら、仮面をはずして、他の学生さんにサポート(これまた仮面ですが…)してもらう。
利用者さんぐらいの人生の先輩になると、仮面の付け替えにも余裕がありそう。仮面を道具にして、氣づきをも与えてくれる。

「一人で頑張らなくてよい理由」はみえてきましたか?
仮面をかぶった自分であることを知る。仮面をかぶり続けると心が壊れてしまいます。
もう一つは、仮面を代えたり、お互いで交換できる役者さんが自分だけじゃなくてもたくさんいることを知る。そして、その取り換える間は他の人にゆだねてみましょう。
ピンチヒッターがすぐそこにスタンバイしています。

それでも、どうしても自分が頑張らなきゃいけないと思う時は、自分にとっての最高のヒーロー仮面をかぶってみて下さい。不思議と力がみなぎると思います。


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