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「始まれば終わる 終われば始まる」 ~友だち申請!?ナラティブが持つスゴさ

ケアマネジャーの仕事に一区切りをすると決めて、引き継ぎ業務が始まっています。
幸い、後任の方の入職もあり、事業所内での引継ぎになります。
ケアマネジャーは担当制。生活を支援するため、その人を支える関係者はとても多いので、迷惑をかけないよう早めに本人や家族、関係機関に後任者へ引継ぐことを伝えられたのはとても有難かったです。

ケアマネジャーは要介護認定の利用者さん宅へ月に1回はお邪魔して、困りごとはないか、あれば必要なサービスを提案して調整して…となるんですが、変わりなく過ごしている利用者さんとは世間話をして帰ることがほとんどです(わたしはこの世間話が好きで、割と何もなくともついつい長話になってしまいます)

今日はそんなある利用者さんのエピソードから。
ナゼわたしがこの方の話に夢中になってしまうのか?とかけてもらった言葉がとても嬉しかった。ということを記したかったのです。

とても素敵で自分軸で生きていらっっしゃる利用者さん。
自分軸で生きるのはわたしのあこがれであり、試みていることなので、すごく勉強になるし、楽しく接することができるんです。
それと、もう一つ。
「ナラティブ」という力で、自分自身を回復されたことにとても人間的に惹かれたんだと思うのです。
※自分軸については次回記事で記します。

「ナラティブ」とは「語り、物語り、言葉によって語る行為」

1980年代後半に、心理療法家デビット・エプストンとマイケル・ホワイトが提唱した支援療法に「ナラティブアプローチ」と呼ばれるものがあります。広い概念を持ち、医療・臨床心理・ソーシャルワークや、キャリアコンサルティング、司法の場など、さまざまな分野で取り入れられていますが、実践の領域や研究者によって定義や考え方、具体的な方法も異なります。

その中で臨床心理における「ナラティブアプローチ」をみていきたいと思います。
カウンセリングの際、患者自身が自分の物語り、すなわちナラティブを語って抱えている問題を解決しようとするアプローチです。これにより、患者自身が持つ能力や価値観などを肯定し、患者が抱えるネガティブな影響を減らせると考えられています。

カウンセリングではまずドミナント・ストーリーを聴くことから始まります。
ドミナント・ストーリーとは「思い込みの物語り」

たとえば「自分は部下に嫌われている」というように、自分が置かれている精神的に苦痛となっている「ドミナント・ストーリー」を聴きます。

そこに「具体的に誰があなたを嫌っているのですか?」「どのような出来事があって部下に嫌われると感じたのですか?」といった質問を投げかけ、外在化する。そして、悩んでいる自分を客観視していくのです。

そして、オルタナティブ・ストーリーを構築していきます。

オルタナティブ・ストーリーとは「別の角度からの物語り」

どのような経験が問題になっているのかを本人に問いかけ、一緒に考えて別の答えを見つけ出していきます。質問のなかで「部下は自分によく相談してくれる」と分かり、「オルタナティブ・ストーリー」を構築できます。

「相談されているというのはつまり、部下から信頼されているという意味ではないですか。」と、対話によって別な視点からのストーリーの発見を促し、新しい意味に氣づけるアプローチをしていくのです。


この利用者さんはご主人が亡くなられて、ずっと長年、悲しみで苦しんでいたんです。ご主人の話を口にすると、涙ばかり流して毎日を過ごしていたそうです。そして3年ほど経ち
「やっと、(ご主人の)話ができるようになったのよ」と。

今は亡くなられたご主人のお墓で連れて行ってくれる息子さんと一緒にお茶をしたり、話しかけたり、お経を読んだりしているそうです。そんな光景に
「周りの人はどう思うか知らないけど、主人が喜んでくれると思うから」と楽しそうに話されています。そして「息子も居るから幸せなの」と。

ご主人の死を悲しいという事実だけで受け止めていた利用者さんが息子さんが側に居ることに氣づき、今までは悲しみの想いでお墓参りしていた時間や過ごしていた毎日をご主人に会える素敵な時間と息子さんと過ごす喜びの時間に物語ることができたのです。それを他者からのアプローチなく、ご自分の力で構築しています。

時間の経過も必要でしたが、自分の力で物語りを書き換えていった利用者さん。人間力ってスゴイ。

そして、仕事で関わりがなくなるわたしに、とっておきの言葉もプレゼントしてくれました。

「わたしはデイ以外はいつも家に居てここに座っているだけだから。どこにも行くところないから。お茶飲みにきて。顔みせてよ。だって一人でつまらないもの。一緒に楽しく過ごしたほうがいいじゃない」って。

これは「友だち申請!?」と嬉しくなりました。

ひとつの物語りが終わってもまた始まっている。別の物語り。


多部未華子さんが映画「アイネクライネナハトムジーク」インタビューで言っていた不安に対する対処のしかた。「始まれば終わる」って考える。って言葉(過去記事関連)を、嫌なことがあってもいつか終わるってお守り的に使わせてもらっていたんです。
でも、この言葉。たまに、良いことも始まっちゃえばいつか終わっちゃうんだなってネガティブに捉えていたんです。


ただ、利用者さんのエピソードは、終わってもまた新たな形で始まっていることを氣づかせてくれたんです。

始めればいつか終わるけど、終わりじゃない。
終わったと思ったら始まっているんですよね。
だから、つながっている。つながっていく。
「ナラティブ」を秘めている言葉。深いです。

不安に対しても始まれば終わりますが、別の物語りが考えられます。
「不安になるくらい自分は一生懸命に取り組んでいるんだ」というように。

次から次への沸き上がる不安もシャボン玉やジャグジーの泡のようにとらえると、潰したり、消したりするだけじゃなく、眺めてきれいだなと思うように不安とも共存できませんか。こう考えると、不安があってもいいかなあって。時間がたてばシャボンん玉や泡のように消えてなくなるということにも氣づく余裕さえ生まれる。

ナラティブな考えはなんにでも応用できます。別の物語りを作っていくことができる。

わたし以外にも不安な氣持ちを抱えたあなたが、すーっと楽になれることを願っています。

そして、さらなる「ナラティブ」の力を記します。
発達心理学者、教育心理学者の一人ジェローム・ブルーナ(1915~2016)がナラティブと心の理解について研究して分かったこと。
実践女子大学生活科学部教授 長崎 勤先生が伝えています。

子どもの「心の理解」を可能にするナラティブ・アプローチ

 ブルーナは、エミリーという一女児が生後22か月から33か月までの時期に、就寝前に両親や自分自身に向けて自発的に話した、その日自分を困惑させた出来事から作った物語り(ナラティブ)のパターンについて分析しました。
 2歳の後半の時期からエミリーはその日起こった出来事の因果関係について述べるようになりましたが、それに加えその時期、エミリーがその出来事をどう考え、どう感じ、また彼女が考えたことを彼女自身がどう感じたかについても話すようになってきました。
 これらの結果から、ブルーナは大人とのナラティブを通して、子どもは他者の心(信念や欲求)を理解するようになることを指摘しました。
 発達障害児、特に自閉症児では、他者が感じていること、考えていることを理解すること=「心の理解」が困難ですが、ブルーナの指摘するように、大人とのナラティブを通して、「心の理解」が可能になってゆくという考え方からは、「心の理解」の支援可能性が示されます。
すなわち、自閉症児と生活の行為や出来事を共有し、そこでの行為の繋がりだけでなく、その際に他者の心の動きを経験し表現することによって、自閉症児でも「心の理解」が可能になってゆくことを示しています。
 ブルーナの共同注意の発見、心の理解の発達への文化や大人の関わりの指摘に共通するのは、子どもの「心の動き」に注目しよう、子どもを「心を持った存在」として関わろう、ということだったと思います。。

ブルーナが「発見」してくれた「子どもの心の動き」を、私たちがさらに深く豊かに見つめることができるか、それが私たちの課題である。
実践女子大学生活科学部教授 長崎 勤先生

大人だけでなく子どもたちにナラティブな働きかけをおこなうことによ
り、豊かな心の理解を育てられるなんて素敵です。
自閉症児、心に傷を負った子どもたち、何もないように見える子どもたちの未来はやさしさに包まれます。ナラティブの力は無限です。



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