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【読書感想:超深掘り】「おいしいごはんが食べられますように」を味わう その5
こんにちは。しゅんたろうです。
このエントリは連載で、以下の本の感想を書いています。
2022年芥川賞受賞作品
「おいしいごはんが食べられますように」
(著:高瀬 隼子)
現代社会に渦巻く心の闇を、すごく上手に切り取った作品です。
読み終わったあと、心にモヤモヤが残るんですが、
それを丁寧に解いて言語化していくと、様々な気付きが得られました。
私がこの本を味わった感想を書き残します。(その5)
○プロローグ
①「作品内容のおさらい」と「私の気付き(目次)の列挙」
○登場人物の問題
②押尾(バリキャリ)
③芦川(献身的)
④二谷(うまくやる)
○現代社会の歪み
⑤正しいかではなく、弱いほうが勝つ世の中 ←【当エントリ】
⑥なんのために食べるのか
※※※ 以下、ネタバレあり。 ※※※
(NGな人は、本を読んでから見てね。)
今回から「社会的背景の問題」について考察します。
【おさらい】登場人物の考察より
まずは、今までの考察(押尾/芦川/二谷)から見えた
社会的背景の問題について、振り返ってみましょう。
②バリキャリな押尾さん
価値観:やると決めたらやる。弱音は吐かない。
↓
社会的背景:「迷惑かけてもお互い様」なんていう甘っちょろい考えでは通用しない。『自立・自責・競争』や『自分の足で立てる強い個人』を求める日本社会の空気。
③献身的な芦川さん
価値観:良かれと思って、他人に尽くす。
↓
社会的背景:『「正論」や「世間一般的に良いこと」を否定するのは悪いことだ。』という空気による周囲の配慮。それによって、「みんな喜んでくれてるはずだ。」という盲信が、押し付けに変わってしまった。
④そこそこうまくやる二谷さん
価値観:周囲の雰囲気に流され、本音を隠す。
(そして、人の見ていないところで発散する。)
↓
社会的背景:「常に世間一般をモノサシとした正解を求めるべき。」「個人より集団を重視すべきだ。」という風潮。それによって、「自分」というものが分からなくなり、うまくいっている人を見ると、苛立ちを覚える。
【本題】物語全体から見てみる
さて、ここからが本題です。
今度は、物語全体で見たときの印象的なエピソードと、
そこから抽出できる問題について考えていきます。
(⑤と⑥の2記事に分けて)
では、さっそく⑤について考察していきましょう!
⑤正しいかではなく、弱いほうが勝つ世の中
「強い方と弱い方、どっちが勝つか。」と問われれば、
普通「強い方」と答えますよね。
でも、人間社会で実際は「弱い方」が勝つのだ。
というのが、本書に描かれています。とても面白いですよね。
人間は感情の生き物です。
「強い方と弱い方、どっちの味方をする?」と聞かれたときに、
「弱い方」の味方をしたくなるのが人情というものでしょう。
しかし、押尾さんへの断罪裁判のように
”たとえ強い方が正しい主張をしていても”、弱い方が勝つ世の中
となっていては、それは間違いです。
世の中には、肩書きや性別、身なりや伝え方、人情など、
様々なバイアスがあります。
それらを完全に取り除くことはできませんが、
極力取り除きながら、正しく物事を判断できているか。
という点を、自問させられます。
○「弱い方」が勝つ理由
「パワハラ」という言葉があります。
今までの上意下達の文化に苦しめられていた若者たちが、
個人の権利を主張するようになりました。
それは、言い換えるなら
今まで無配慮で精神的に迷惑を掛けていた人に対する警告です。
人間に上も下もありません。
年長者だから、経験豊富、言うことが正しい、
という時代でもなくなりました。
そんな中、「逆パワハラ」という言葉も生まれました。
部下が必要以上に個人の権利を振りかざし、上司を困らせるケースです。
「弱い方が勝つ」というのは、まさにこれでしょう。
結局、上司・部下とか関係ありません。
上司が「逆パワハラだ」と主張し、部下を批難することもまた
「無配慮で精神的に迷惑を掛けている人に対する警告」なのです。
○「強いから大丈夫でしょ」が人間を壊す
さて、迷惑を掛けている人が、上司だろうが部下だろうが、
平等に裁かれる必要があるはずです。
しかし、ここで登場するのが
「上司なんだから我慢しなさい」という論理です。
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と同じ理屈です。
この論理が職場ではびこっているのは、
日本の終身雇用や年功序列の文化が、
いまだ尾を引いているためだと私は考えています。
(本来は、個人の自由と責任は、肩書に関係なく表裏一体のはずです。)
そうやって、「上司なんだから我慢しなさい」と言われ続けた上司は、
いつか我慢の限界を迎えます。
我慢した分の仕事や不満の感情は、必ず別のどこかで軋轢を生むのです。
それを解決のために必要なのは、
立場など関係なくお互いの主張を言い合える「対話の場」です。
その場で公正明大に判断して生まれる「納得感」こそが、
チーム全体が前に進む推進力になると私は考えています。
○偏見のレンズは、事実を歪めて認識させる
「弱い方が勝つ」という本書のメッセージは、
現代社会の風刺として、非常にスパイスが効いていると私は感じました。
「弱い方を味方するのが正義!」という価値観に傾きすぎてないか?と。
上司・部下のように「強い方」「弱い方」に分類するのも違うし、
仮に分類したとしても、「弱い方」に過度に肩入れして、
偏見のレンズ(同情など)で見てしまっては、
物事の判断を見誤ってしまうんですよね。
いやー、学びが深いです✨
今日のまとめ
「正しいか」ではなく「弱い方」が勝つ世の中
○様々な偏見やバイアスを極力取り除き、物事を判断することが大事。
→様々な情報が飛び交う現代だからこそ、特にその重要性は増している!
○『精神的に他人に迷惑を掛ける行為を無配慮に行っている。』という点では「パワハラ」も「逆パワハラ」も一緒。そこに上司も部下も関係ない。
→「上司なんだから我慢しなさい」という論理を持ち込むと、問題がややこしくなる。
→必要なのは、立場など関係なくお互いの主張を言い合える「対話の場」と、その場で公正明大に判断して生まれる「納得感」。
○「弱い方を味方するのが正義!」という価値観に傾きすぎてないか?
→自分がなぜそう思うのか、理由を言語化してみると良い。
今後も続きます。
ではまた!
しゅんたろう
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