【読書感想:超深掘り】「おいしいごはんが食べられますように」を味わう その2

こんにちは。しゅんたろうです。

このエントリは連載で、以下の本の感想を書いています。

2022年芥川賞受賞作品
「おいしいごはんが食べられますように」
(著:高瀬 隼子)

現代社会に渦巻く心の闇を、すごく上手に切り取った作品です。

読み終わったあと、心にモヤモヤが残るんですが、
それを丁寧に解いて言語化していくと、様々な気付きが得られました。

私がこの本を味わった感想を書き残します。(その2)

○プロローグ
 
①「作品内容のおさらい」と「私の気付き(目次)の列挙」

○登場人物の問題
 ②押尾(バリキャリ) ←【当エントリ】
 ③芦川(献身的)
 ④二谷(うまくやる)


○現代社会の歪み
 ⑤正しいかではなく、弱いほうが勝つ世の中
 ⑥なんのために食べるのか

※※※ 以下、ネタバレあり。 ※※※
(NGな人は、本を読んでから見てね。)

バリキャリな押尾さんの問題

最初は、バリキャリ女子な押尾さんの考察です。

いま、働く女性、増えてますよね。
(「働きたい」なのか「働かなきゃ」なのかは置いといて。)

職場で働く若手の女性社員が、残業も厭わず働く姿。
応援したくなりますよね。

その心中を描写した、ひとつのカタチが
「押尾さん」というキャラクターです。

押尾は、芦川さん(献身的だけどメンタル弱め)のことは嫌いです。
なぜなら、弱くて周囲から守られながら生きているから。

逆に、二谷に対しては好意を抱いています。
仕事もうまくやってるし、食事に対する価値観も似てるから。

そんな押尾の根底には、

「やると決めたら、ちゃんとやる」
「弱音を吐いてはいけない」

という無意識の価値観が存在しています。

○"弱音を吐かない"は正義か?

一見良さそうなこの価値観。裏を返せば、

「どんなに悪い状況でも、自分で抱え込んでしまう。」
「周囲に助けを求めることができない。」

ということです。

作中でも最後の方、冤罪でつるし上げられた時に、吐きそうになっても「大丈夫でした!」というシーンで如実に描かれています。

さて、この押尾というキャラクターは、
「読者に一つの問いを投げかけている」と私は感じました。

『"弱音を吐かない"は正義か?』と。

○社会要因から考える

「いや、しんどいときは周囲に助けを求めた方がいい!」と言うのは簡単です。ですが、はたして本当にそうなのでしょうか?

私は、いくつもの要因が絡まっているように感じています。

まず、社会要因。

今の日本社会は、「迷惑かけてもお互い様」なんていう甘っちょろい考えを許してはくれません。

特に、ビジネスの場は競争です。一瞬の隙を見せようものなら、出し抜かれる戦場です。だから企業は、従業員に対して「自分の足で立てる強い個人」を求めています。自分の頭で考えて柔軟に行動し、自分でやったことは自分で責任を取れるような人材です。

この『自立・自責・競争』の世界に、しばらく身を投じていると、いつの間にか「世の中、そんなに甘くない」「他人に迷惑をかけてはいけない」といいう『不寛容』な考え方に染まっていってしまいます。

私は、押尾さんのようなキャラクターが現れた背景には、そういった人材を社会が求めていたからだ。という気がしてなりません。ある意味で押尾さんは、社会側の要請に真面目に応えてきた、犠牲者だとも言えるのです。

○個人要因から考える

押尾さんは作中では、最後の方でかなり不遇な扱いを受けます。
しかし、その出来事をキッカケに、
ある種の"救い"があったのではないかと私は考えています。

それは「どれだけ仕事を頑張って、会社に貢献していても、私を守ってくれる人は誰もいない。」という気付きです。

なぜなら「弱い人は守るべき」という正義が存在するからです。その正義の前では、いくら「会社に貢献した」と言っても、あまりに脆い。

押尾の問題は、"自分の弱さを、周囲に見せられなかったこと"だと思います。他人に心を許すことができない。それが押尾の弱さです。

○周囲に弱さをさらけ出せる芦川

その点で言えば、芦川は強いです。
"自分の弱さを周囲にさらけ出している"のですから。

自己開示には「こんな弱い自分をさらけ出して、相手はそれを認めてくれるだろうか」という一種の不安が付き纏います。芦川はそれを克服して、周囲との関係を築いてきた。

でも、芦川の場合は、体調不良を理由とした「頑張りたくても頑張れない」という、相手がこれ以上踏み込めない理由を盾にした自己開示という点で、本当に強いかどうか一考の余地はあるかもしれませんね。

いやー、一冊の本、一人のキャラクターで、ここまで考察できるんですから、さすが芥川賞受賞作品。深いです✨

今日のまとめ

「押尾さん」というキャラクターを深掘りした結果、
私は以下の気付きが得られました。

○『自立・自責・競争』の社会は「自分の足で立てる強い個人」を求めている。

○そんな社会の要請に素直に従った結果、「不寛容な個人」が生まれる。

○「会社に貢献している」という正義より「弱い人は守るべき」という正義の方が勝つ。

○「自分の弱さをさらけ出せる」というのは1つの強さである。

ちなみに、自分の弱さをさらけ出した人間に対して、
「あいつは弱い人間だ」と考える人は、本当の意味で強くない。

だって、「完璧な人間」なんてのは存在しないから。

人間を年齢・肩書き・能力で判断して、上下関係で考える人は
自分の心の中に、何かしらのコンプレックスを持っている
と私は考えています。

心理学的にも、一番良い状態は「I'm OK,You're OK」です。

私がやっている活動(対話セッション)でも、
個人の心のつっかえを取ることで、
不寛容な社会全体の空気を変えていく
ことが目的なので
まさにドンピシャな内容でした。

色々書き始めると、また長くなりそうなので、
今日はこのあたりで。

ではまた!

しゅんたろう

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