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海に流されて生き延びた話<体験談>番外編

本編で無事に助かった僕は、その後もスクスクと成長して小学四年生になりました。
川の話、ではなく、今回は番外編として海でのお話です。

小学四年生の夏休み、僕は家族4人で海水浴に出かけました。
ドーナツ型の浮き輪に乗ってのんびりプカプカと夏を満喫していました。
浮き輪の真ん中にお尻を入れて、両手両足をだらんと垂らし、気がつけば眠ってしまったのです。

これまでも浮き輪の上で眠ったことは何度かありました。
しかし今回は起きた時、ビーチまでの距離に驚愕しました。
先程までいたはずのビーチが一瞬見当たりませんでした。
ポツンとひとり海の真ん中に浮かんでいる、そんな状態でした。
よく見ると遠くの方にビーチがふたつ見えました。
なんと、岸から離れすぎて隣のビーチまで見えていました。
あれほど広く大きなビーチが手のひらで握りつぶせるほどの大きさに見えました。

海水浴場と違い、水深が深いせいか水の色は真っ黒です。
足を延ばすと水温がとても冷たく、サメに襲われでもしないかと不気味で恐怖を感じました。

後ろを振り返ると少し先に漁船らしき船が浮かんでいました。
元いたビーチが一番遠く、その次に隣のビーチ、一番近かったのは漁船という有り様でした。
なんとか助かるためにはどうするか考えました。

漁船までは泳いで行けそうな距離だったのですが、漁船がもし移動していなくなったら、今よりさらに沖に出てしまいます。
僕に気がついてくれたらいいのですが、確実ではなく、リスクもありました。

ビーチは移動しないので泳いでさえいればいつかは着くかと思いました。
隣のビーチの方が近かったのですが、たどり着けても元いたビーチまで歩いて向かうとなるとかなりの距離です。

ということで、やはり元いたビーチまで戻ることにしました。
浮き輪の空気を入れ直し、ビート板のように押しながらバタ足を始めました。
20分くらいたったでしょうか、元いたビーチが全然近づいて来ません。
隣のビーチも漁船もさっきの位置のままです。

流されて来ただけあって、沖に流れる海流があったのかもしれません。いわゆる離岸流です。
それほど流れは激しくなかったので気がつきませんでしたが、進むことはできないほどの流れがあるように思いました。
その他にも風の影響で進むことが出来なかった可能がありました。
浮き輪が抵抗となり風向きで進めなかったのかもしれません。
もうひとつ考えられるのが、月が近づかないように、富士山がどこまでもついてくるように、遠くに来すぎていてビーチが近づいているように見えなかったのかもしれません。

何れにしてもビーチに近づく気配がないことに焦りました。
浮き輪を捨ててクロールなら早く辿り着けないか?
そんなことも考えましたが、万が一岸までたどり着けなかったときに浮き輪の上で休めるので、進むにはお荷物だが共に行くことにしました。

元いたビーチを前に見て、右側には隣のビーチが見えました。そして後ろには漁船。
泳ぎ出してから1時間くらい経ちましたか、元いたビーチが少し大きくなっている気がしました。
ようやく前進している手応えを感じられて少しホッとしました。
振り返ると漁船も少し小さく見えます。
しかし問題があって、右側のビーチが一番近くになってきました。

潮の流れか、それとも風向きの影響かわかりませんが、どうやら右に流されているようでした。
このまま進んでいると元いたビーチと隣のビーチの間にある何もない岩礁に辿り着きそうでした。
それだけは望んでいないので、斜め左に向かって泳がざるをえませんでした。
斜めに泳ぐ分、前に進みにくくなりますが仕方がありません。

泳ぎ出してから2時間ほどが経ったでしょうか、元いたビーチが目の前に広がってきました。
遊泳禁止区域の2倍先くらいまで近づくことができました。
そしてさらに30分ほど泳いでようやくビーチに辿り着きました。
ただ、やはり少し右に向かう流れが強く、ビーチの右端に漂着してしまいました。

広いビーチのどこに家族が陣取っていたのか、僕は迷子になってしまいました。
ビーチを彷徨うこと30分くらいでやっと家族を見つけることが出来ました。

体感になりますが3時間以上その場を離れていた僕は少し親に怒られました。
「時々戻って来ないとあかんで」
「迷子のお知らせ聞いてなかったん?」
どうやら迷子放送が3回ほどなっていたみたいです。
遥か沖にいた僕は聞くことはできませんでした。

この体験も地味に危なかったと思います。
結果的に大事には至りませんでしたが、漁船に向かっていたらどうなっていたのか、これは沖に出てしまい最悪の事態も考えられました。
ビーチを目指したものの、潮の流れに押されて広いビーチの右端にようやく辿り着けたということは、漁船程度の大きさの船に辿り着けたかわかりません。

隣のビーチを目指していたら家族のところに帰るまで時間が大幅にかかってしまい、迷子で大騒ぎになっていたでしょう
それでも生存率を高めるためにはこの隣のビーチに向かうことが正解だったのかもしれません。


最後に
少し冗談ぽく、ふざけた感じの文章になってしまったかもしれませんが、この度、「川に流されて生き延びた話」と「海に流されて生き延びた話」を書くにあたって伝えたいことがありました。

いつの時代でも子供達の水難事故や遭難事故が後を絶ちません。
そんな悲しいニュースを見るたびに僕はこの日を思い出します。

少しでも事故がなくなりますように、そしていかなる危機的状況からでも助かる希望が持てますように、そう祈って書きました。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。

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