簗瀬 晃希 / koki yanase

桑沢デザイン研究所。インテリア・建築・デザインを学んでいます。九州産業大学 住居・イン…

簗瀬 晃希 / koki yanase

桑沢デザイン研究所。インテリア・建築・デザインを学んでいます。九州産業大学 住居・インテリア設計学科卒業後、デザイン事務所に勤め、再び学生をしています。この場が「デザインと向き会える場」となりますように。

マガジン

  • 「ことば」を感じる。

    「ことば」というものを軸に、僕自身の考え方や気持ちを主観的に表現した記事をまとめています。

  • デザインから学ぶ。

    「デザイン」という考え方を軸に、「私生活における物事の捉え方」について考えた記事をまとめています。

  • 商業を考える。

    商業活動において、魅力を感じる企業やブランド、デザイナーの思想から物事を考えた記事をまとめています。

  • 思想の形態化。

    noteにあげている感情や思想などの文章を、僕自身の作品や課題を軸に、「形態化」するにあたって考えた記事をまとめています。

最近の記事

現代美術作家 大巻伸嗣氏講演会

1_「彫刻の視点から物質を捉えること」について ・身体を使ってモノを考えることができる性格であることを機に、彫刻を学ぶ。 →彫刻というものの物質に慣れる。 1−1_カタチについて ・「何をカタチとするのか」という問い。 →表層を追う 生々しさを追求することがしたいのだろうか? 1−2_重さについて ・影の流れの操作によって重さが生まれるのではないか?という問い。 →影の流れを追うことによって形を認識する。 →この行為は作品なのか、研究なのか? 1−3_構造と物質につい

    • 夏休み特別企画「どんなカタチでもアウトプットするなら、考えたいこと好きなだけ考えて良いよ!」な5日間を経て

      ここ最近、纏うものとの対峙の中で、 「身体表現」に興味を示す自分がいて。 建築との間に生じるギャップを、 繋ぎ合わせることができない自分自身の 思考力と精神力に限界を感じていた事を機に、 夏休み特別企画 「どんなカタチでもアウトプットするなら、 考えたいこと好きなだけ考えて良いよ!な5日間」を実施した。 繋ぎ合わせることができないことで、 自分のしたい表現の限界を感じているなら、 繋ぎ合わせることができるようになるしかない。 ------------------ 考

      • 愛知県芸術劇場 × DaBY ダンスプロジェクト / 鈴木竜 × 大巻伸嗣 × evala『Rain』2023ツアー

        愛知県芸術劇場 × DaBY ダンスプロジェクト / 鈴木竜 × 大巻伸嗣 × evala『Rain』2023ツアー https://rain.dancebase.yokohama ■全体概要について 原作:サマセット・モーム『雨』 イギリスの小説家・劇作家サマセット・モーム(WillamSomersetMaugham/1874-1965)により、1921年に発表された短編小説。感染症により閉の島に閉じ込められた医師と宣教師夫妻たちが値泊先で出会ったのは、品性下劣で信仰心の

        • 多様性が価値となる。

          最近は、 自分自身が好きだと思う風景や現象、 いいなと思う、人との関係性に、 違和感を感じることが多くて。 「違和感」というのは、不快さではなく、 「違いの認識」という意味での違和感。 その感覚が自分にとってどう作用しているのか、それが良いのか悪いのかなんてことは、 まだ、なにもわからないんだけど、 「あ、なんかこれまでとは違うな。」 という感覚があって。 例えば、好きな現象を見つけた時に、 感動することによって生じる、 エネルギー量の違い。 対象の違い方によっても

        現代美術作家 大巻伸嗣氏講演会

        マガジン

        • 「ことば」を感じる。
          24本
        • デザインから学ぶ。
          23本
        • 商業を考える。
          14本
        • 思想の形態化。
          9本

        記事

          自由ってなんだろう?

          人は、ひとりで生きているわけではないから、 いろんな人とのいろんなストーリーが、 同時多発的に展開されていく。 ある人との間では、少年漫画のような、 暑苦しくて、ドラマティックなストーリーが。 ある人との間では、人間の欲を露わにしながら、 サイコティックな駆け引きが展開される、ホラー映画かのようなストーリーが。 ある人との間では、好き、愛してる、大好き。という台詞しか用意されていないような、 純愛ラブロマンスが。 また、仕事を介していろんな人と出会い、自己の成長を描い

          自由ってなんだろう?

          苦を喜ぶ。

          建築は、自ら語った夢を、 現実にしていくことのように感じていて。 基本設計から実施設計へと移り変わり、 理想や夢を語るだけでは具現化されないことを知って。 語った夢が大きければ大きいほど、 現実とかけ離れているほど、 確かな言語や計画が必要になる。 確実性を重視される価値観に嫌悪し、 そうではない価値観を追い求めるかのように 服をつくりはじめてみたりもした。 それはそれで、いまの僕にとって 必要なことではあるんだけど。 それだけだと、何かが足りなくて、 何かが違うく

          服を創ろうと、思った。

          こうと思ったら、こうとしか思えなく、 なりがちな僕。 空間に携わることがしんどくて、 空間そのものがしんどくて。 そう感じることが許せない僕は、 自分をぶち壊してしまうことで、 許しを乞うとする。 心が壊れてくれさえすれば、 何も湧いてこなくなることを、 知っているから。 年末から年明けにかけては、まさにそんな状況で、 できることならこのまま壁になってしまいたいと、 部屋の角に身体を埋めている時間が続いていた。 数年前からの変化は、そんな時に 自分の心を、自分で守ろ

          服を創ろうと、思った。

          言葉の価値観。

          言語はなぜ、言語として存在しているのだろう。 言葉には「意味がある」とされている。 ここでいう「意味」とは、価値の有無の話ではなく、 国語辞典に掲載されるような、品詞や用法などのように、 他者あるいは自身との意思疎通を図る上でのツールとして 機能するために必要とされるものを示している。 例えば、「美しい」という形容詞には、 色・形・音などの調和がとれていて快く感じられるさま。 人の心や態度の好ましく理想的であるさま。 などという意味が添えられることがあるように、 言語

          コーヒーカップ。

          人との関係は、コーヒーカップ。 そう考えたいと思うようになったのは、 大切な人、大切だと思っていた人の一言を、不快に感じてしまったから。 大好きだと思っていた人と話をしているはずなのに、 言葉を発することに気だるさを感じてしまったから。 目を合わせるために使う、微々たる労力さえも苦痛に感じてしまったから。 大好きだと思っていた人と、大切だと思っていた時間を過ごしていることに、 罪悪感を感じてしまった僕がいるから。 だから僕は、人との関係を、ぐるぐると回り続けるコーヒ

          コーヒーカップ。

          「美しい」ってなんだろう?

          「美しい」ってなんだろう? 先日、僕がストーリに何気なくあげた、 「美しいと思う現象を美しいと言えるためにも、価値を見出すことのできる人でありたい。」 という文章に対して、桑沢の友人に、僕が美しいと感じる瞬間を問われた。 そんなことを機に、「美しい」と「綺麗」とでは言葉を発する時の心境や、 湧き出てくる意味合いが違うのではないか?という話になり、 物事を美しいと感じる瞬間ってどんな時なのだろう、と考えるきっかけになった。 そんな中で、枯葉メンバーのコメントにあった、

          「美しい」ってなんだろう?

          桑沢での学び。

          桑沢デザイン研究所ではたくさんのことを学んだ。 それはもちろん、デザインをする上で必要な考え方であったり、 カタチを生み出すためのテクニック的なこともそうだ。 だけど、僕にとってこの2年間で特に大切だと感じることは、 桑沢に通った、クラスメイトとの出会いであり、 一人一人と過ごした時間こそがかけがえのない財産なのだと感じている。 夜間部スペースデザインコースに通う人たちは、社会人経験を経て、 二十代後半でデザインの道を志し、入学する人もいれば、 高校を卒業してすぐ、入

          桑沢での学び。

          人が好きだ。デザインが好きだ。

          桑沢デザイン研究所へ入学したのは2年前。 大学を卒業し、建築設計事務所やディスプレイ企業で実務としてのデザインに携わる中で、 「デザインをすること」がわからなくなってしまった僕は、 尊敬するインテリアデザイナーの一人である、倉俣史朗さんの過ごした時間と場所を見たい、という思いだけで桑沢への入学を決めた。 デザインをしたいと思うかどうかは、2年後の僕が決めればいい。 半分、捨て身とも言えるような思いだった。 この2年間、デザインを介していろんなことを考えた。 2年後の僕

          人が好きだ。デザインが好きだ。

          いつかの、あの時の。

          「誰かの求める僕でいたい」という他者に依存したような生き方に嫌気がさした僕は、 「僕自身がこうでありたいと思う僕」を探していたのだろう。 他者からの影響を遮断するかのように、自分の殻に閉じこもろうとしていたこともあったし、自分の些細な心情の変化に、必要以上に敏感になろうとすることもあった。 いま、自分が感じている「嫌」や「嬉しい」「心地よい」という感情は、本当に自分が思っていることなのか。 いま、自分が発する言葉や行動は、本当に自らの意思からうまれたものなのか。 どうし

          いつかの、あの時の。

          心地の良い、矛盾。

          こころが、わからなくなることがある。 素直に、純粋でありたいと、そう思ってしまう時点で、 僕は、素直でもなければ、純粋でもないのだと気づく。 一番、怖いと感じるときは、 あたかも自分がそうであると、錯覚を起こしているときだ。 その時の僕のこころは、キラキラとしていて、 まるで踊っているかのように弾んでいる。 その時の僕の目に移る景色や世界は、 まるで僕に語りかけてくるかのように生き生きとしている。 その時の僕の発する言葉は、喜びが溢れ出していて、 まるで「僕は生き

          心地の良い、矛盾。

          変わったことと、変わらないことと。

          デザインを本気で学びたいと思ったのは、かれこれ5年も前の話で。 そう思ってからの「僕の人生」、といえば大げさかもしれないけど、 少なくとも僕自身の物事の考え方、捉え方は大きく変わったと感じている。 いろんなことを考える。たくさん考える。 脳みそを隅から隅まで使って考えたいと思う。 頭の中にある脳みそをちゃんと自分で使いこなせるように、 そのためにも僕の中にある欲や感情を制御したいとも思うんだ。 そんな中、ふと考えることがある。 デザインをしたいと思ってからの僕と、そ

          変わったことと、変わらないことと。

          無印良品とインテリアデザイン。

          以前、無印良品についての文章を書かせていただいたことがあります。 無印良品はどのような企業なのか、なぜ生まれたのか、そして起業者である堤清二さんは一体どのような思いで無印良品を立ち上げたのか、ということについてです。 そこで今回は、無印良品の中枢とも言えるアドバイザリーボードの一員であり、 無印良品の立ち上げからブランディング、商品開発にまで関わってきた、インテリアデザイナーの杉本貴志さんと無印良品を照らし合わせながら文章を書かせていただきたいと思います。 それではさっそ

          無印良品とインテリアデザイン。