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自由ってなんだろう?


人は、ひとりで生きているわけではないから、
いろんな人とのいろんなストーリーが、
同時多発的に展開されていく。


ある人との間では、少年漫画のような、
暑苦しくて、ドラマティックなストーリーが。


ある人との間では、人間の欲を露わにしながら、
サイコティックな駆け引きが展開される、ホラー映画かのようなストーリーが。


ある人との間では、好き、愛してる、大好き。という台詞しか用意されていないような、
純愛ラブロマンスが。


また、仕事を介していろんな人と出会い、自己の成長を描いたストーリーや、家族との深い溝を葛藤を抱え乗り越えていくヒューマンドラマ。




そんなストーリーが、たったひとつではなくて、いくつも同時に展開されていく。



人との関係性から紡がれたストーリーの主役を演じるのは、あくまで本人だ。



いろんな場所で、いろんな役柄の主演を演じるわけだが、


何よりも面白いと感じるのは、異なる文脈を持つストーリーが、同時多発的に展開されることで、それぞれが影響し合い、それぞれのストーリーによって、決幕を大きく変えるということだ。



夢見る少年は、人を騙し、人に裏切られ、家族の愛に支えられ、誰かを憎み、誰かを愛し、仕事に燃え、この世の中に幻滅し、いつの間にか夢を捨て、それでも愛を模索し続け、家庭を持ち、幸せに暮らしました。


なんていう訳の分からないカオスなストーリーが、当たり前のように展開されていく。


そしてそれは、訳の分からないカオスなストーリーかのようにも思えるが、演者にとっては全てにそれぞれが影響しているわけで。



このストーリーがハッピーエンドなのか、
バッドエンドなのか、なんていう明確な答えはどこにもなくて、

答えはそのストーリーを演じた役者にしか分からない。



そのストーリーの結末にケチをつける人もいれば、感動して涙を流す人もいるわけであって。


だけど、その結末を受け入れることができるのも、一連のストーリーに意味を見出すことができるのも、

主演を演じ続けたその人でしかない。



すごくおもしろいことだと思う。



ひとつの結末も、結末に繋がるストーリーも、ストーリーを構成する関係性も、

全てはその人の解釈次第なのだ。



同じひとつの点でも、点の捉え方は人それぞれで、

点の結び方も、結ばれた線の捉え方も、
線で構成された図形の捉え方も、


解釈の可能性は無限に広がっている。




そう考えると、いま僕の周りにいる人とのストーリー、関係性には、無限に可能性が秘められているわけだ。


どんな関係性にもなり得るし、どんなストーリーを描くこともできる。


大切なのは、向き合うことだ。
その人と、その人と自分との間にある関係性と向き合い、
どんなストーリーを展開していきたいのか、どんなことで笑い合いたいのか、どんなことでもがいていたいのか。

向き合えば、どんな形にもストーリーは展開されていく。


何て自由な世界なのだろう。



この世界が自由か、それとも不自由か。


それさえも、解釈によるのかもしれない。




自由な方が、ワクワクするものだ。



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