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心地の良い、矛盾。


こころが、わからなくなることがある。


素直に、純粋でありたいと、そう思ってしまう時点で、
僕は、素直でもなければ、純粋でもないのだと気づく。

一番、怖いと感じるときは、

あたかも自分がそうであると、錯覚を起こしているときだ。


その時の僕のこころは、キラキラとしていて、
まるで踊っているかのように弾んでいる。

その時の僕の目に移る景色や世界は、
まるで僕に語りかけてくるかのように生き生きとしている。

その時の僕の発する言葉は、喜びが溢れ出していて、
まるで「僕は生きている!」と叫んでいるかのように、
言葉を発しているのだろう。


そんな時の僕のこころは、一見、輝いているかのようにも感じる。


だけど、きっとそれは、いや、間違いなく、錯覚的な何かでしかなくて。


というよりは、そうであることに飲み込まれてしまいそうになることが
僕は、すごく、怖くも感じる。


何かを見ようとすれば、何かが見えなくなってしまうような感覚。


ルビンの壺を、壺と見るのか、顔と見るのか、ではないけど。
そういう認知心理学上の話がしたいわけではないけど。


世界をどう見ているのかによって、見えていない何かが確実に存在していることを、
忘れてしまいそうになる、そんな感覚。


忘れてしまいそうになるくらい、生き生きとしているときは、
なにかが見えてくると同時に、何かを見落としてしまいそうになることが、
すごく怖くもあり、不安でもあり、楽しくもある。


どうでもいいんだけど、すごくワクワクしているんだ。



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