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いつかの、あの時の。


「誰かの求める僕でいたい」という他者に依存したような生き方に嫌気がさした僕は、
「僕自身がこうでありたいと思う僕」を探していたのだろう。

他者からの影響を遮断するかのように、自分の殻に閉じこもろうとしていたこともあったし、自分の些細な心情の変化に、必要以上に敏感になろうとすることもあった。

いま、自分が感じている「嫌」や「嬉しい」「心地よい」という感情は、本当に自分が思っていることなのか。
いま、自分が発する言葉や行動は、本当に自らの意思からうまれたものなのか。

どうしても「誰かの求める僕」を演じたがる僕は、自分が選択する全ての物事に「自信」を持つことができないでいたのだろう。

僕の発する全ては、僕を通した誰かの意思でしかなくて。

そうであることを僕が一番、理解しているからこそ、自分を信じることができないでいたのかもしれない。



そのことに気がつく瞬間が、僕の人生の中で、きっとどこかにあって。

あの時の、あの出来事が、そう気づいた瞬間で、
それからきっと、そうじゃない生き方を僕の中で模索して、
それとは違う価値観を知った僕は、きっとまた違う何かに悩んでいて、

なんとなく、なんとなく道が開けたその瞬間に、大きく息を吸い込むように、
ゆっくりと、顔を上げて、周囲を見渡すのだろう。

そこには、今までは見たこともない世界が広がっていて。
あの頃は、遠ざけようとしていたものが、近くにあることがなんだか心地よくて。
あの頃は、絶対に受け入れられなかった一言と、ゆっくり、向き合ってみようとしていたり。



最近、感じることがひとつあって。

こうやって顔をあげたその時には、少しだけ自分が大きくなっているように感じること。
大きく、というよりは、ほんの少し、受け皿が広がっているような、そんな感じ。

陶芸で、ろくろを回しながら、少しづつ、丁寧にお皿を広げていくような。
陶芸なんて、やったことはないのだけれど、きっとそんな感じ。


そして、顔を上げて、一番に目に入ってくるその人は、
今の僕の変化に、一番影響を与えてくれた人なのだろう。


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