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人が好きだ。デザインが好きだ。



桑沢デザイン研究所へ入学したのは2年前。
大学を卒業し、建築設計事務所やディスプレイ企業で実務としてのデザインに携わる中で、
「デザインをすること」がわからなくなってしまった僕は、

尊敬するインテリアデザイナーの一人である、倉俣史朗さんの過ごした時間と場所を見たい、という思いだけで桑沢への入学を決めた。


デザインをしたいと思うかどうかは、2年後の僕が決めればいい。


半分、捨て身とも言えるような思いだった。


この2年間、デザインを介していろんなことを考えた。
2年後の僕へしっかりとバトンを渡すために。

卒業を迎え、2年間をゆっくり、じっくり、振り返る。


この2年間、誰と出会い、誰と過ごし、どんな会話をし、何を見て、何を感じて、何を考えたのか。
今の僕は、何を思っているのか。


2年前の僕からバトンを受け取るように、ゆっくり、じっくり、振り返る。

最近、よく頭の中に浮かぶワードがいくつかあって。


「相反する二面性」


強さは、弱さで。弱さは強さで。

何かを守ろうとする思いの側には、守らなければいけない何かがあって。
何かを手放そうとする思いの側には、手放さなければいけない何かがあって。

この2年間で特に大きく変化したことは、この相反する二面性が、
僕自身の中で共存していることを、認める視点を持ったということ。

それは、「白と黒が混ざり合ってグレーになる」というよりは、
「白は白。黒は黒。」として互いが確立した上で僕の中に存在している感覚。

そして、必要な時に、必要な色を持ち出すような。そんな感覚。


強さは時として弱さとなり、弱さは時として強さとなる。


「武器となる“価値観”」


価値観。これまですごく大切にしていた言葉だ。
人と関わる上でも、デザインをする上でも、「僕自身の価値観」や「誰かの価値観」に対して、
必要以上に敏感になっていたように感じる。

それは、自身が生まれ育った環境や、身を置く環境によって構築されるものこそが「価値観」であり、
「価値観」と向き合うことで、その人の気持ちに寄り添うことができると思っていたから。

自分の気持ちに寄り添うことができると思っていたから。

今思うと、価値観を大切にする思いの側には、“大切にしなければならない何か”があったようにも感じている。


今の僕にとって価値観は「その時々での考え方」でしかなくて、
そう捉えることで価値観は、生きていく上での武器にもなり得るのだと。

僕自身が変われば、必要な武器も変わる。必要な考え方も変わる。


「自分は他人。他人は自分」


感情に押しつぶされそうになった時には、鏡に映る僕を他人と思って話しかける。
すると鏡の中の僕は、僕に対して、まるで他人かのように答えてくれる。

鏡の中の僕は、限りなく僕のことを理解した僕であり、
僕に寄り添って、客観的な意見をくれる。

時に厳しく、時に優しく。

鏡の中の僕は、感情から離れ、理路整然と僕のことを教えてくれる。
その瞬間の僕に必要な“価値観”を、そっと、差し伸べてくれる。

すると、感情的になることに対する恐怖心や嫌悪感が、すーっと消化されていく。
感情から離れる術を知っていれば、感情を大切に思うことができる。


他人のように自分と慎重に、自分のように他人と丁寧に、向かい合いたい。



人が好きだ。デザインが好きだ。


人が好きだから、デザインができるようになりたい。

デザインが好きだから、人と向き合えるようになりたい。


2年前の僕から、バトンを受け取った。

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