見出し画像

ワークアズライフという言葉から、公私の距離感について自分なりに考えてみる。

noteを書き始める初日などは気の抜けた、ぼーーーっと読んでクスッと笑えちゃうような記事を書いていきたいと思っていたのに、ここ数日分の並んだ記事を見ると、あまりにも生真面目なタイトルばかりが並んでいて笑ってしまう。自分が笑うためではなく、読んだ人がクスッとできるようなのを書きたいのに。

と前置きをしておきながら、今回もタイトルをご覧の通りド真面目な内容。そのうち書けるようになりたいがもう少し時間がかかりそうなので一旦流れに身を任せる。少し前までワークアズライフという言葉にほんの少しだけ違和感を感じていたという話。9割は納得している。でもあと1割、自分にできるか?みたいなところが引っかかっていた。

というのも、仕事とプライベートを分けず、寝ている時間以外は仕事であり趣味であるとするワークアズライフと、考え続けろ!家に帰っても常に仕事の頭でいろ!みたいな、ある種のマッチョイズムとを一部混同してしまっていたことに原因がありそうだった。ワークアズライフという言葉の使い勝手の良さが原因でSNS上で聞こえの良いワードだけが一人歩きしてしまっていたり、自分個人の経験によってバイアスがかかってしまったり、原因はその辺りにあるんだろうなぁと思う。

現状、自分なりに心地いいと感じるワークアズライフの解釈は

Work and Private are also part of life.(仕事もプライベートもまた人生の一部)

が近いかもしれない。語感が悪すぎて長すぎて、絶対に浸透しないし、わざわざ英語にしなくてもいいのにとは自分でも思う。つまり、仕事とプライベートを線や壁などで分断することなく、ただそれらが同化するのではなく距離が離れたグラデーションで繋がっている、という感覚でいる。(そもそも趣味と仕事を完全に同化させられる人なんてどのくらいいるんだと疑ってしかいないのもある。)仕事も人生を占める大部分であるし、仕事の仲間と遊びに行ったりもたくさんしたい。が仕事とプライベートの対極には違う色が存在している。

というのが現時点での僕の個人的な解釈なのだが、ワークライフバランスだろうが、ワークアズライフだろうが、仕事とプライベートとの向き合い方はきっと十人十色だと思う。今回の例のように、なんとなくその言葉のニュアンスだけで理解した気になっている、流されてしまうような例は他にもたくさんありそうだ。外から入ってきた曖昧な言葉や定義をそのまま鵜呑みにしてしまうのではなく、自分なりの表現だったり解釈について考える時間をそれぞれ持つことが自己理解や生きやすさみたいなところへの近道な気がする。

こんな内容ではクスリともできん。修行継続。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?