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尾崎豊さんの生き様を表す漢文

今日の小話

小学生の頃、兄弟で近くの書道教室に通っていた。5歳上の姉と2歳上の兄がいて、2人がやっていたから自分もやると言い出したらしい。なんとも子供らしい理由だ。

結局小学校を卒業するまでの6年間習う事になるのだけれど、これといって字が上手くなった感覚はないしむしろ癖が強い個性的な書体になった気がする。

自分の字は嫌いではない。(もっと綺麗に書きたいけどw)きっかけはどうあれ習字を習って自分を知る事ができて良かったと思っている。




尾崎豊お気に入りの漢文

ちなみにだが、尾崎豊さんは躰道たいどうという武道の習い事をしていたらしい。

他にも彼の父親の影響で空手や短歌、尺八など幼い頃から色々な事に触れ、学ぶという事に対して貪欲な人だった。

そんな彼の人柄を表すお気に入りの漢文を"アイソトープ"という自身が立ち上げた会社のいつも目につくデスクの上に飾っていたらしい。

今日はその漢文にまつわる彼の生き様についてお話しようと思う。

それがこちら!



少年しょうねんやす学成がくながた

一寸いっすん光陰軽こういんかろんずべからず 

いまめず池塘春草ちとうしゅんそうゆめ

階前かいぜん梧葉既ごようすで秋声しゅうせい



中国の学者 朱熹しゅきの「偶成ぐうせい」という作品。

「青春は短い。学問は時間がかかる。わずかの時間も無駄にできない。池の水辺に生える緑の若草は、まだ春の夢を見続けている。でも、庭先で風にそよぐキリの葉には、ほら、もう秋の気配がしのびよっている。」という意味。

簡単に言うと

"若い内のわずかな時間を疎かにせず勉学に励まなければならない"

という事。

少し老人じみた、お堅い人生訓のような言葉で窮屈さを感じる人もいるかもしれない。笑


しかしこの言葉程、尾崎豊という人間を表す言葉はない。




彼が求めていたもの


尾崎豊さんは"正しい答えがあるならば、いつかその答えを知りたい。それが人としての夢みたいなものかな。"と自身の夢についてこう答えた。

彼は正しい答えを求める事に人生の全てを費やした。そしてその生き様を作品の中で度々表現してきたのだ。

"Freeze Moon"という歌の中に「もっともっと輝くまで走り続けて行かなければ」という言葉が出てくる。

また、ある雑誌インタビューでは「走ることっていうのは、同じとこにいないってことですよ。」と語っている。


彼にとって"走る事"というのは答えに辿り着く為に必要な事だったんだと思う。

"走らなければ答えが分からないんだ"

どこかそんなメッセージに聴こえる。

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話を戻すと、彼の人生はまさにあの"お気に入りの漢文"に集約されているのではないかと僕は思う。時が過ぎるのは早く、あっという間に人生は終わる。

結果として尾崎豊さんは26歳という若さでこの世を去ってしまったのだ。


彼の音楽プロデューサーであった須藤晃さんは彼の死についてこう語っている。

「彼は自分自身が何者であるかっていう事を掴むまでの長い自己闘争から解放されて自由になりたかったんですよね。それはもしかすると死ぬ事によってでしか得られないものだったかもしれない。ある意味若くしてその事に気づいてしまって、シナリオ通り、筋書き通りに亡くなってしまった気がしますけどね。」と。



文字通り命を燃やし走り続けたからこそ、没後30年経った今でも多くの人の心に届いているのだと思う。

もちろん亡くなってしまった事は悲しいし、生きていてほしかった。

しかし尾崎さん程張り詰めた危機感のある生き方じゃないにせよ、人生において大切な事がこの漢文に書かれている事は間違いない。



彼の生き様からあなたはどんな事を感じるだろう?






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