見出し画像

【追記】「入社2年目のIT企業OLが最高日商1000万円超えのランジェリーブランドを1人で立ち上げた話」

BELLE MACARON(ベルマカロン)と聞いてピンとくる人はまだ少ないと思う。
2017年にオープンしたノンワイヤーブラを専門に扱うランジェリーブランドだ。
社員は業務委託のランジェリーデザイナー1名のみ。
社長の私はアパレル未経験の金なし・コネなし・経験なしの入社2年目のOL。

これは新卒入社したNTTでシステムエンジニアとして働きながらもランジェリーブランドを立ち上げた一人の女の話。

さかのぼること2016年1月。
私は担当システムの新規プロジェクトを入社2年目ながら任されていた。NTTと言えば、「安定」「ホワイト企業」を体現したような会社だ。
入社当初は「これで安泰だな」などと思っていたが、入社後1年、2年と年を重ねていくごとに大手企業ゆえの悩みを持つようになった。

「プロジェクトが大きすぎて自分でシステムを作っている感覚がない」
「経験することが特殊すぎて、NTT以外だったら通用しなそうなスキルばかり」

このツイートは200いいねほどの反響があったが、まさにこんな不安が常に心にあった。

そんな不安の中でとあるプロジェクトを任されていたこともあり、体がボロボロだったのを今でもおぼえている。

恥をしのんでいうと、残業続き&長時間のデスクワークがたたり、お尻の病気=痔を発症し、肛門科で手術。その1週間後、会議中にトイレをがまんして膀胱炎に。さらにその膀胱炎の薬が合わず、免疫のバランスが崩れカンジタ膣炎に…

「呪われた下半身」
「女性がかかると恥ずかしい3大病を2週間でコンプリート」

などと友達に笑われながらも周囲の心配を集めていた日々だった。

忙しい毎日と冴えないブラジャーと、私

ちなみに職場は40代以上のおじさんが8割を占めていたので、ドーナッツクッション(真ん中に穴が空いた痔患者に優しいクッション)を持参して仕事してたのはなかなか恥ずかしかった

そんな下半身の病に悩まされ、忙しく過ごしていた当時24歳の私は当然自分のファッションに気を使うこともなくなり、特にブラジャーはブラトップやスポーツブラを毎日愛用するようになった。
朝8時に家をでて、帰宅は12時過ぎ
朝は胸をきれいにホールドしていたワイヤーブラジャーは
19時を過ぎるとワイヤーが食い込み、
20時を過ぎると締めつけられる苦しさが増し、
21時を過ぎるとブラジャーをとりたいという衝動に駆られた

ちなみにトリンプの調査では、70%の女性が仕事中ブラジャーを取りたくなったという。
アンケート結果があり、そのうちの40% が実際にブラジャーを外したらしい。もう隠す必要もないが、私も仕事中にブラジャーを外した一人だ
(※一応トイレではずしましたが…)

当然ワイヤーブラを着用する出番は減り、ブラトップやスポーツブラが活躍するようになる

そんな時ふと思った

「たんすの中のブラジャー、こんなだっけ」

少し話がずれるが世の中にランジェリーブランドやアパレルブランドを立ち上げた女性は多くいる
そしてそういった方はアパレルやランジェリーが好きで、美大や服飾学校を卒業した方が多い

私も学生時代ランジェリーに興味がなかったわけでないが、将来アパレル業界で働くとか、服飾関係の仕事につくことは1秒も考えたことはなかった。むしろ男兄弟に挟まれていたこともあり、洋服には疎いほうでもある
(小学生時代はおさがりのGAPパーカー愛用者)

しかし、ブラジャーには少し人よりもこだわりが強かった。中学時点でDカップほどあった私は、よく母に連れられてランジェリーを買ってもらっていた。
そして母はブラジャーを買う際に
「下着は女性の品格だからね、ちゃんときれいなの着けないといけないよ」と口癖のようにいっていた。
そんな環境で育ったからか、下着を定期的に買うのが当たり前だと思っていたし下着に妥協をしていると、なんだか女性としての自信がなくなっていくような感覚になった。
大学生になり、アルバイトで稼いだお金で自分の服を買うようになるとセールやバーゲンの時は決まってランジェリーショップへ行き、一気に7枚のブラジャーを購入、そしてもともとあった全てのブラジャーを捨てるというロックな買い方をし始めるようになった。
(これは今でも続けているし、本当に気持ちがすっきりするのでおすすめです)

話を戻すと、社会人になりブラトップやスポーツブラを毎日使うようになった私のタンスの中は
学生の時とまるで違う状態になっていた。

レースや美しいデザイン、様々カラーで彩られていたタンスの中が綿素材で、白か黒かグレーのスポブラやブラトップであふれている。

「たんすの中のブラジャー、こんなだっけ」

この衝撃が心にずきんと刺さった

忙しい毎日、おじさんに囲まれた職場、そして冴えないブラジャー…

画像1


会社の先輩たちは本当にいい人ばかりだったけど、忙しい日々の中で、同世代のキラキラしたときめいた世界から取り残されるような感覚になった。そしてこの日常から早く抜け出したいと思った。

買えるブラジャーがないという転機


気づいたら大学生の時から大好きだったランジェリーショップにいて商品を選んでいる自分がいた。「せめてかわいいブラをつけて気分をあげよう。」

そうおもったけど買えるブラは1枚もなかった。

あるのはワイヤーブラのものばかり…
それを着けて仕事をするとどうなるのかはもう知っている。体が着けたくないと拒絶しているように感じた。

「なんで買えるブラがないんだろう、欲しいブラはどこにあるんだ」

そう思った私は、やけになってかわいいノンワイヤーブラを探しまくった。実店舗だけでなくネットショップで何時間も何日も探した。

しかしレースがついたかわいいノンワイヤーブラは一枚も見つからなかった。
(レースがついたものはあるけど、谷間のあたりに申し訳程度に着いてるぐらいで全然可愛くない・・むしろちょっとダサいものばかり)

そして思い立つ。
「かわいいノンワイヤーブラを作ろう」

私みたいな忙しいOLが毎日楽に過ごせて、かつ気分も上がるかわいいデザイン。スポーツブラやブラトップの着心地に慣れてしまってワイヤーブラに抵抗がある人でも「着けたい」と思える商品。
そんなブラジャーを作りたいと思った。

バケモノレベルのモチベーション、発動の時がきた


次の日には、メイクショップや楽天の出店用資料を請求して、ネット販売のノウハウを勉強した。
そして週末には国内工場のリストを100社作り、サンプルを作ってもらうことを目標に動き出した。

私の起業エピソードを話と、大体ここで
「行動力が恐ろしい」
といったお褒めの言葉をいただく。

自分でも人生の中でも行動力が凄まじかった瞬間だったけど、それぐらいブラジャーを作って売るということが魅力的に思えた。

1、自分が心から欲しかったものだから絶対他にもニーズがあるはず
(実際看護師や学校の先生の友達はみんなそういうの欲しいと言っていた)

2、大手企業で経験するスキルは特殊なものが多いけど、
経営とかネットショップ運営のスキルは今後もずっと役に立つことが経験できそう
3、もしまた痔になっても、寝っ転がりながらできる仕事かも
(痔を患ってる中での出勤・デスクワークは本当にきついです。)

さらに「かわいいノンワイヤーブラ」というのも商材的に良さそうだなと思った。まず商品自体が小さいので在庫に困らない。しかもブラジャーはD70というようにカップとアンダーサイズで
バリエーションも多くなるけど、ノンワイヤーブラなら最低限MサイズかLサイズでいけそう。

ユニ◯ロさんのブラトップが大ブームになっているのも完全に追い風だなと感じた。ブラトップを着用する20人に1人が「ちょっと高くてもかわいい方がいい」と思ってくれれば市場規模としては期待できそうとおもった。

そんなこんなで、自分の中で成功させるぞという機運も高まり、まずはサンプルを作ってみることになった。

これが2016年2月のできこと。

私はもともと「起業」とか「独立」とかを考えたことがなかったので、当時はビジネスにするとか社長になるとかは全然イメージしていなかった。
ただただ自分がほしいブラジャーを見てみたいな、着てみたいなという気持ちが勝っていた。

いざ、サンプルづくりへ

サンプルを作るべく、国内工場のリストに1件1件電話をかける。
平日の日中しか繋がらないため、毎日お昼休憩の時間にNTTの給湯室から工場へテレアポをする。
会社名もなく、「ブラジャーを作りたい小島というものなんですが」と伝えるのがお決まりだった。
結果はまさに門前払い。そういうのはやっていないと断られるのは当たり前、怒られることもあった。

だけど何日もお昼にオフィスを抜け出し、テレアポを続けた。そして1社だけ「おもしろいから会いましょう」と言ってくれた工場があった。正確にはOEM工場といって、メーカーの希望する商品を工場と取り合って生産してくれる。

そして迎えた訪問日。仕事を早く抜け出して、都内にある事務所に伺う。さすがに資料がないとなと思い、家にあったワイヤーブラを解体してレース部分を取り出し、ノンワイヤーブラに縫い付けるという新手のやり方でイメージサンプルを作ったものを持っていった。

結果…

商品や私がやりたいとすることに興味は持って頂けたが一つ気になる言葉があった。
「原価はブラジャー1着で3000円以上になるだろうね、大体4000円ぐらい」

さすがは国内生産。小ロットということも相まって想像以上の原価であった。原価で4000円とすると、原価率50%でもブラジャーだけで8000円である。
当時OLをしていた私からすると1着8000円のブラジャーは価格的に遠い存在に思えた。まして日常的に使うことを想定したノンワイヤーブラだ。
これじゃ作っても売れないだろう…

そう考えた私はさらに考えて行動に移す。

「海外で作ったらどうだろうか」

調べると中国で作るには最小ロットでも2000枚近くことになるらしい。そんな枚数をいきなり作れる勇気も資産もないため、小ロットでも作れる海外工場について調べだす。

またしてもリストを100件ほど作り、1件1件メールを送る。その中でベトナムにあるOEM工場で小ロットかつ低価格で作れそうな会社が見つかる。

早速ベトナムOEM工場へのアプローチが始まった。なんとか担当者に連絡をし、スカイプでミーティング。

NTTでの仕事が終わった後は急ぎ足で家に帰り、ベトナムのOEM工場とオンライン会議をし、まずはサンプル作りへと動き出す。
中国の市場で生地を仕入れてもらい、ベトナムにて縫製。自分の中のイメージからパターンを起こしてもらい、サンプルを作ってもらう。

日本、ベトナム、中国と3カ国にてサンプルプロジェクトが動いているため、サンプルが完成するまでにかなり時間がかかった。その間に起業やネットショップ運営、マーケティングなどの本を読み漁り手当たり次第に知識を吸収していった。
アパレル業界の知識も一つ一つ身につけていく。

思わぬ大誤算と人生最大の強運


数週間後、ベトナムからサンプルが届く。

期待に胸を膨らませベトナムから届い小包を開ける…
中にはイメージとは程遠いサンプルが入っていた。

糸はほつれ、縫製もきれいとは言えない。レース生地や部材の生地も非常に安っぽかった。

単価を下げてのサンプル制作だったため、こうなることは当たり前とも言える。しかもベトナムの会社の担当者は私のような素人相手に本当に真摯に対応してくれた。

ただ、海外で生産することの怖さとリスクを知ったきっかけにもなった。

ここでまた行き詰まる。

・国内生産→単価が高すぎて生産できない
・海外生産→単価は安いが品質に不安がでる。(日本の市場では販売自体が難しそう)

ここでもう諦めてもいい状況かもしれない。
もうダメかなと途方に暮れていた時、本で読んだアパレル業界のある知識を思い出した。
「現在洋服を作るということに長けているのは商社である。各ブランドは商社から商品を買い取り、それぞれを販売をしている。商品生産の最前線にいるのは商社だ。」

そこで、次は商社へのアプローチを開始する。

商社の中でもOEM生産のサポートを行なっている会社がいくつかあり、またしても1件1件電話やメールでアプローチを進めていった。

その中で「あるランジェリーブランドの立ち上げに携わったことがある」という人物に出会うことができた。あるランジェリーブランドとは、今でも大人気のランジェリーブランドで業界の中でも古株の老舗ブランドである。

「何かお手伝いできることがあれば、お会いしましょうか」

その出会いから全てが変わっていった。

画像2

その方に国内で多くの大手メーカーにてデザイン経験があるランジェリーデザイナーを紹介して頂き、国内の生産工場についても相談に乗ってもらった。

その結果、ランジェリーデザイナーとともにサンプル制作へとまた一から歩き出すことができた。
そのランジェリーデザイナーは一般的なワイヤーブラとスポーツブラのようなソフトブラの両方を設計したことのある人物だ。

ワイヤーブラのデザインのよさとソフトブラの着心地を叶えたブラジャーを作りたいと考える私にとってこの上ない出会いだった。

やっと日の目を浴びる我がランジェリー

約1年以上の商品開発期間を経て、やっと商品の販売がスタートした。元システムエンジニアという経歴を活かして、販売サイトの設計、コーディング、デザインなど全て私が手を動かすことに。
(その間、私は商社で夜勤の営業事務の仕事をしたり、システムエンジニアの派遣をしたり、Webマーケティングの業務委託をしたりしてお金を稼いでいました。)

その後クラウドファンディングを実施。
(開始8時間で目標達成、120人近くにご購入頂きました)

新聞社様に取材頂いたり

新宿伊勢丹で特別展示をやったり。

テレビに出たり。

また新聞や多くのWebメディアさんに掲載頂いたり。。

徐々に活動を広げ、現在は24hブラという商品名で販売をしている。

画像3

(見た目ワイヤーブラだけどブラトップとはこのこと!!
ワイヤーもホックもないです!)

24hブラは、ナイトブラという意味ではなく
・海外旅行など24時間ブラジャーを着けるシチュエーション
・夜勤や長時間での残業での着用
・家でもブラジャーを着けて過ごす

という利用シーンを想定して開発された商品だ。

ちなみに先日フランス旅行へ行き、総移動距離20時間をこのブラジャーで過ごしたんですが、
かなり快適で
「このブラジャー開発した人、本当に天才だな」
とほくそ笑んでいました。
騙されたと思って一度使って頂きたい…
(合わなかったら返品できるので笑)

結果的にこのブラジャーは福井県にある工場で職人さんが手作業で一枚一枚作っている。
一度は海外での生産も考えたが、品質と日本の縫製工場を少しでも多く存続させていきたいという使命感のもと国産にとにかくこだわった。

画像4

国産へのこだわりと芽生えた使命


少し話がずれるが、「あなたが今日来ている服で、日本で作られた商品はいくつありますか?」
という提唱を今後はしていきたいなと。自分の国で作られた商品を当たり前のように着られないってなんだか不思議だなと。

消費者が安い海外生産の商品を選ぶようになると、当たり前ですが国産生産の商品は売れなくなる。売れないと工場はやっていけないので潰れていく。潰れると日本に受け継がれてきた技術や精神はそこで途絶えてしまう

そうやって全てなくなった後に「こどもに国産の商品着せたいな」とか「今まで一度も日本で作られた商品、着たことないな」と思ってももう遅い。

私は前述の通り、数々の工場にアプローチをし、実際にコミュニケーションを取る中でこの事実を目の当たりにしたので、これからも国産にこだわっていきたいなと強く思ってる。

これから

話を戻してそろそろまとめに入らせて頂くと、入社2年目のOLがなんとか自分の力と周囲の応援を頂きながら自分の手で開発した24hブラという商品をECサイトで販売することができています。
最高日商は10万円越え(追記:2020年時点で日商1000万円達成)で、これはそこまですごい数字でもなく、まだ毎日10万円以上売れ続けているわけでもないのですが、今後さらに売り上げ成績を伸ばしていくまでの計画も立てながら、日々プロジェクトを進めています。
(本当はもっとわかりやすく月商とかで書きたかったのですが、色々な大人の事情で現段階では最高日商で表現させて頂きます…ごめんなさい)

このnoteを書いた理由は私が作ったBELLE MACARONというブランドを知って頂きたいということももちろんありますが、私の経験を通して一つの強い想いがあれば誰でも状況を変えられるということを伝えられればと思っています。
日々の生活に自信を持てなかったコネなし、金なし、経験なしの入社2年目のOLでもこうしてブランドを立ち上げることができたので私よりもっと経験がある方や人脈がある方、資産がある方は、それ以上に大きいことを成し遂げられるはずだと思っています。

私の活動やBELLE MACARONのブランドの成長はまだまだこれからです。
一人でも多くの方の悩みを解決できるランジェリーブランドになるようこれからもがんばります!!

商品が気になった方はこちらから見ていただけると嬉しいです!!
(購入頂いたら泣いて喜びます)

その後

2019年に24hブラは最高日商500万円を超えることができました。
これからも初心を忘れずに、一人でも多くの女性に快適なブラジャーをお届けしていきます…!

さらにその後

2020年7月に最高日商1000万円を達成しました。もちろん、これも社員ゼロ、資金もほぼ自己資金で達成した数字です…数字は一つの目安ですが、これからもより多くの女性に喜んで頂ける商品を目指して頑張っていきます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?