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お釈迦様の教え、正しい道、八正道とは?


正しい道、八正道とは?

今回は仏教で教えられている、八正道について考えてみたいと思います

仏道修行を歩むうえでは、とても重要な教えの1つとなっています

そして僕たちが正しく生きることの、指針にもなるので読んでいただければ幸いです


八正道とは


八正道はお釈迦様が最初の説法において説いたとされる。
四諦の道諦(悟りに至るための方法)にあたります
仏教において涅槃に至るための8つの実践徳目である

正見(しょうけん)
正思(しょうし)
正語(しょうご)
正業(しょうごう)
正命(しょうみょう)
正精進(しょうしょうじん)
正念(しょうねん)
正定(しょうじょう)

これらの8つです
それでは詳しく見ていきましょう

正見(しょうけん)


正しくみるとは、なんでしょう?

逆の正しくない見方もみてみましょう

この正しく見ると言うことが、八正道の最初にくる最も重要なことになっています、
なぜなら、
僕達が普段、ものを見る時の認識が間違っているからこそ、迷いや苦しみが生まれます

様々な見方がありますが、仏教的な正しい見方とは?

4つの真理(四諦)を正しく知る、理解すること

「比丘(びく)たちよ、正見とは何か。実に比丘たちよ、苦(ドゥッカ)についての智、
苦の集起についての智、苦の滅尽についての智、苦の滅尽に至る道についての智を正見とよぶ」


苦集滅道については、苦しみの原因、解放への道へ、をご覧下さい

・全ての物事は常に変化している、無常の事実を知る

「無常の真理」を認識して見ること

・縁起の理法(原因結果の法則)を理解している。

・生まれてくる原因は、自己の業(カルマ)による、 業(カルマ)を自己とする、正見

などが正見と言われています



僕たちが見ている、実在する物質(色)の特性を簡単に言うと、

・生まれ(生)

・状態を維持し(住)

・変わる(異)

・滅する(滅)
という4つの特性になります。

生、住、異、滅とは、万物が生じ、とどまり、変わり、消滅するという四つの姿。

細胞を構成する分子は、生・住・異・滅をくり返しています。
さらに、分子を構成する原子はもっと早く、生・住・異・滅をくり返しています。


さらに、原子を構成する素粒子はもっと早く、生・住・異・滅をくり返しています。

つまり、私たちの体一つとっても、無数の物質の生・住・異・滅の変化の上に成り立っているわけですね

現代の物理学では、私たちの肉体、物質を構成するものは、
最小の単位の、素粒子の集まりであると言う物理学の認識も必要です

人間の身体、全ての物質を構成するものは、素粒子と言われ、
光の、波と粒

この素粒子は、生・滅をくり返している、これが、物質、肉体の性質です


一切皆空

実体が「ある」と思って見ていた全ては、

実体の「ない」「空」

夢、幻の世界だった。


。。。(・_・)。。。?(・・) 幻?

えーーーー(;゚Д゚))幻!?

この世界は、ファンタジー!?

初めて聞いた人には、衝撃的事実ですが、

この世界の全てのものは、生じては消えていくもの、とどまることのない

実体のない、幻想世界

「空」なのです。

色即是空、空即是色の認識は、正しく見る上で大切な認識です


逆に、正しくない誤った、見方とは何でしょうか?

・不邪見(因果の道理を無視した誤った見解を持たない)


正思(しょうし)


正しい思い・思考。
正思惟とは、正しく考え判断すること

「比丘たちよ、正思惟とは何か。出離、無瞋、無害を正思惟とよぶ」
・出離とは「世俗的世界から離れて、聖なる生活を送る、欲望、渇望、性欲から自由になること」
・無瞋(むしん)とは、瞋恚(しんに)ともいう。怒り、恨み、憎しみ、嫌うこと、心にかなわない対象に対する憎悪。自分の心と違うものに対して怒りにくむこと
・無害は、非暴力のこと

正しくない思いとは、
貪・瞋・痴(とん・じん・ち)の心の三毒、六大煩悩から離れること。

六大煩悩とは、
・貪=むさぼりの心
・瞋=怒りの心
・痴=真理に無知、愚かな心

・慢(まん)=慢心すること、自分を他より優れていると思うことです。

・疑(ぎ)=仏法を疑うこと、真理や道理に対して疑いの気持ちを持つという心の働きです。例えば、「本当は原因・結果の法則なんてないんじゃないか」というような疑いです

・悪見(あっけん)=間違ったモノの見方
苦行をすれば悟れるなど、誤った真理への到達方法を信じこむこと、
以上、六つが六大煩悩という



正語(しょうご)

正しい言葉。

「比丘たちよ、正語とは何か。妄語、離間語、粗悪語、綺語を避けることが正語と言われる」

離間語とは(仲たがいさせること)

正しくない言葉は、十悪の4つ
・妄語(もうご)嘘をつく、でたらめを言う

・悪口(あっこう)陰口、中傷、他人を傷つける言葉

・両舌(りょうぜつ)二枚舌、他人の仲たがいさせる言葉


・綺語(きご)言葉を偽り、飾ること、無意味、無益な言葉


言葉、言霊には、気をつけましょう
嘘や、でたらめなことを言ったり、偽りの言葉、悪口、仲たがいさせる言葉は、
世の中にも、悪影響を及ぼしますね、、

現在も、マスメディアの過剰な情報やフェイクニュースが、社会を混乱させていますね、、


ネット上でも、心ない、誹謗、中傷などが問題になっています、

言葉は、使い方次第では、凶器にもなったり 、人々を救うこともできるものです、

原因結果の法則」因果応報をよく理解する

言ったこと、行ったことは、周り回って自分に返ってくる。

この法則を理解すれば、悪いことや悪口は言えなくなるでしょう

家族や、身内には、ついつい噂話や余計なことを言ってしまいますが、、
言葉、言霊には、力があり、一番、影響を、与えるのは、自分自身です、

使う言葉は慎重に、言葉の使い方には気をつけたいですね

お世話になっている人たち、僕たちを生かしてくれている
あらゆるものに、「ありがとう」の感謝の言葉を伝えましょう



正業(しょうごう)

正しい行為。


「比丘たちよ、正業とは何か。殺生、盗み、非梵行(性行為)を離れることを正業とよぶ」

五つの戒律を守ること。

五戒とは
・不殺生=無益な殺生をしないこと、
・不偸盗=盗みをしないこと、
・不邪淫=倫理に反する性的関係を持たないこと、
・不妄語=嘘をついてはならない、
・不飲酒=酒、麻薬など身を滅ぼすものから離れること

*悟りを偽ることを大妄語(だいもうご)という


やはり仏教の基本となる、五戒を守ることは、最も大切だと思います

個人的には、お酒をやめれて、良かったと思っています

完全には、難しくても、守る覚悟と努力が大切です

この五戒を守ることは、社会の治安を守ることに繋がり、自分自身を守ることに繋がります。


正命(しょうみょう)


正しい生活とは、殺生などに基づく、道徳に反する職業や仕事はせず、正当ななりわいを持って生活を営むことである。
命は単なる職業というよりも、生計としての生き方をさす

「比丘たちよ、正命とは何か。聖なる弟子らが、間違った生活を諦め、生計を正当なものにすること。これを正命とよぶ」

身・口・意(しん・く・い)の調和のとれた生活。正しい仕事。
(身・口・意はそれぞれ、正業・正語・正思に対応する)


現代社会では、非常に難易度が高い項目だと思います。
在家の人間は、職業そのものから考え直さなければなりません。

飲食店では、お酒を振る舞い、
資本主義社会では、生きるため以上に、金銭的な利益のために環境破壊を行い、

動物、魚貝、植物の命を、必要以上に奪う仕組みです、
足るを知ることで、フードロスを減らし、無益な殺生を減らしたいですね


正精進(しょうしょうじん)


正しい努力。
正精進とは、四正勤(ししょうごん)、
「すでに起こった不善を断ずる」
「未来に起こる不善をおこらないようにする」
「過去に生じた善の増長」
「いまだ生じていない善を生じさせる」
という四つの実践について努力することである。

「比丘たちよ、正精進とは何か。
未発生の不善は、これが生じないよう、比丘らは関心を持って努力し精進することである。
発生した不善は、これを解消するよう、比丘らは関心を持って努力し精進することである。
未発生の善は、これが生じるよう、比丘らは関心を持って努力し精進することである。
発生し成された善は、これが拡大するよう、比丘たちが関心を持って努力し精進することである。 比丘たちよ、これを正精進と呼ぶ」

悪い行いをやめ、善い行いを続けていけばおのずと、善い結果が現れてきますね

大切なのは、正しい方向に向かって、努力する事、方向を間違って、歩いても、目的地にはたどり着けません

利己的な利益への努力ではなく、
利他行、中道、八正道の努力、悟りに向かって、仏道に精進することが大切だと思います

言うは易く行うは難し、ですね、、
これを見ながら自分も、精進していきたいと思います


正念(しょうねん)


正しく念じる。仏教の教えを念頭において。

正念とは、四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、
常に今、現在の内外の状況に気づいた状態(マインドフルネス)でいることが「正念」である。


「比丘たちよ、正念とは何か。 比丘たちが、
身(身体)について、身を観つづけ、正知をそなえ、気づき(サティ)をそなえ、世における貪欲と憂いを除いて住む。
受(身体の感覚)について、受を観つづけ、正知をそなえ、気づきをそなえ、世における貪欲と憂いを除いて住む。
について、心を観つづけ、正知をそなえ、気づきをそなえ、世における貪欲と憂いを除いて住む。
法(ダルマ、心の中身)について、法を観つづけ、正知をそなえ、気づきをそなえ、世における貪欲と憂いを除いて住む。 比丘たちよ、これを正念と呼ぶ」


ヴィパッサナー瞑想では、四念処(身体、身体の感覚、心、心の中身)を観察します、

生まれては消える去ると言う現象を観察し続けて、一瞬一瞬の無常性に気づき続けます、

生じては消え去るという、「自然の法則」を観察し、気づき、理解します

「無常への絶え間なく徹底的な理解」

アニッチャ(anicca:無常)、

ドゥッカ (dukkha:苦悩)、

アナッタ (anatta:無我)の真理
自分の内で直接、経験し、理解することで、智慧になります


空、無相、無願


お釈迦様は成道した直後にまず、この四顛倒(してんどう)[さかさまな見方]をただし、

この世は、人間の誤った認識                   [常、楽、我、浄]と観ていることに対して、
四念処観では、『身、受、心、法』を、

それぞれ、[無常、苦、無我、不浄]と観て、

身体『身』の不浄と、身体の感覚『受』の、無常を観ることは、無願三昧に通じ、

『心』の無常を観ずるは、無相三昧に通じて、『法』は無我であると観ずるは、

空三昧に通じると言われています

これら、「空、無相、無願」の三種の三昧を三解脱門と言われています


三解脱門(さんげだつもん)とは、
解脱に至る方法である3種の三昧(さんまい)
一切を「空」と観ずる「物事にこだわらない」空解脱
一切に差別しないことを観ずる無相解脱。

その上でさらに願求(がんぐ)の念を捨てる、「欲望のまま求めない」無願解脱。             三三昧(さんざんまい)

三昧(さんまい)とは、集中する心
仏語。心を一つの対象に集中して、雑念を去り没入することによって、対象が正しくとらえられるとする。ある一つの対象に対して,まっすぐ平等に働き,他の対象に気が移ったり乱れたりしない心の状態(定)をいう

無相とは。形相のないこと,姿,形を離れていることを意味し,
差別的現象世界を離れた一切の執着を離れた境地。

簡単に言うと

凡夫は、現象世界「色」の中に「我」という実体があると見て、
「これは私だ」とか、「これは私のものだ」というように執着します。

「色」の世界に対して楽を見るから「欲しい」という願いが生じます。

あらゆる「色」(執着心)は苦の原因であると、
あるがまま見ることで、
それによって「色」に対する渇愛という願いを断ち切ります。


物質「色」の性質は、生成と消滅の変化する世界、無常であり
「色」の世界には実体はなく、無常なものに執着することもない、

願うことがなければ、苦しむこともない、自由で平安な心=「涅槃

「ある」と思っていた私(我)は、
実は、私(我)と言う実体はどこにも存在しない、「無我 」であった

無我の実体は、姿、形のないもの

すべての存在は,直接原因,間接原因によって成立したもので,

存在にはその本質となるべきものがない

つまり「何もない」「」だった、、

と認識します



正定(しょうじょう)


正しい精神統一、禅定。
正しい集中力(サマーディ)を完成することである。
この「正定」と「正念」によってはじめて、「正見」が得られるのである。

以上、八正道はこの8つの項目で成り立っています。


三学(戒、定、慧)

八正道は三学として、以下の3種類に分類されます

戒、定、慧、(シーラ、サマーディ、パンニャー)

三学(さんがく)とは、仏道を修行する者がかならず修めるべき基本的な修行項目をいう

具体的には、戒学・定学・慧学の3つを指す

戒学(かいがく)
戒律のことで、戒律を守ること
定学(じょうがく)
禅定を修めることで、心の散乱を防ぎ安静にするための方法を修すること
慧学(えがく)
智慧(パンニャー)を修めることで、煩悩の惑を破って、すべての事柄の真実の姿を見極めること。


三学それぞれの関係は、三つのパートに分けて、

1、『戒(シーラ)(正語、正業、正命)』
正語(嘘をつかない、正しい言葉で語り)

正業(五戒を守り、正しい行為で振る舞うことで)

正命(正当な生業を仕事として、調和のとれた生活を送る)
(戒律をまもる道徳的な生活は禅定、正しい集中を助ける)

2、『(サマーディ)(正精進、正念、正定)』

正精進(そうした生活を元に正しい努力を重ねる)
正念(常に「今」、現在の内外の状況に、
気づいた状態(マインドフルネス)でいること、あらゆる現象は「無常」であると気づき)
正定(その結果、正しい精神統一を完成し、智慧を得ることが出来る)

この禅定、正しい集中によって

無常、無我、苦の真理を理解します。


3、『(パンニャー)(正見、正思)』
正見(正しく、真実をありのままに見ることができ、正しい認識、見解が持てることで)

正思(正しい思考、正しい認識ができる、智慧により真実、真理をさとり、仏道が完成される)

このように、戒定慧の三学は、智慧を得て、悟りの境地に至るための、論理的、実践的な教えになっています


まとめ


八正道は、苦しみの原因である「無明」を、智慧に変換していくための方法論ということになります。


この八正道の実践というのは、
「正見を得る」=正しい見解・認識を得る、というところに
最大のポイントがあるということになります。


僕たちは、そもそも、物事を正しく見れていないから、
誤った認識でものを見ているから、迷いや苦しみを生み出していると言うことです

この誤った見方、認識に気づき、

「四諦の真理」苦集滅道

無常

無我

無相

を理解して、


正しくこの世界を認識することで、

真実の世界を見て、悟り、涅槃の状態に至ることができると言うことです


八正道の実践によって

正しい認識、観念、価値観を持つと言うこと

つまり、どうしてこのような人生、生活・仕事になってしまったのか?

原因と結果」を紐解く

その元になっている価値観は何であるのか?

その価値観はいつから身に付いたものなのか?

本当の自分の価値観なのか?

社会によって刷り込まれた価値観なのか?

本当の自分に気づく事は、とても大切ではないでしょうか

自分の人生の価値観は、果たして正当な価値観?
普遍的な価値観であると言えるのだろうか?


と熟考していくうちに、

洞察力

物事の本質を見抜く力
観察力」が身についてくることになります。


この「洞察力」の高まり、
物事の本質を見極め、

集中して精神を研ぎ澄まし、深く洞察する力が、

悟りに至るためには、必要ではないかと思いました

八正道の実践によって、

誤った認識、悪い想念、先入観、偏見を正し、

心を浄化して、正しい認識をもち

「苦」の原因、執着心を手放し

苦しみのない、自由で安らかな境地、

真の平安、涅槃に至りましょう!


「仏教の本質を見極める」

なぜビックバンが起きたのか?

なぜこの宇宙が生まれ、人間が生まれてくるのか?


宇宙の真理、宇宙の法則を知る


その謎を解き明かし、解脱し、「空」を悟る



「存在の仕組みを見極める」

なにもない、真空からなぜ宇宙が生まれるのか?

この無限の宇宙は、如来が授記を授け、菩薩たちが、現一切色身三昧により、無限の宇宙を生みだす、叡智の拡大

存在の仕組み

この「何もない」「真空」

「無生法認」を悟り、滅尽へと至る道

この道が法華経に説かれています

詳しくは、悟りとは?後半をご覧ください



過去、現在、未来の、全ての如来と菩薩たちに、敬礼し奉る


この大きな道、最高の真実の道、正しい教えに出会えた事に感謝いたします

偉大なる仏の智慧と慈悲に、感謝いたします


生きとし生けるものが、正しい道を歩み、


真理の道を、悟りの喜びを享受できますように

今回も読んでいただきありがとうございます


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