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苦しみの原因と解放への道

今回は、「苦」について、苦しみの原因は何か?
仏教の基本となる、四諦、十二縁起について
考えてみたいと思います

仏教では、「一切皆苦」と言われるように、すべては苦しみであると言われています


「苦」とは何か?


それでは、仏教的な、「苦」とは何か?

みてみたいと思います

仏教における
「苦」(く、dukkha)とは、
思い通りにならない、満たされないこと、
人間の避けられない苦しみ、
苦しみや悩み、精神や肉体を悩ませる状態を指す。対義語は楽。

「四苦八苦」

人生は、四苦八苦であり、思い通りにならないと言う考え方です

四苦八苦(しくはっく)とは、
仏教における苦(ドゥッカ、dukkha)の分類。
根本的な苦を生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)の四苦
・生苦、 生まれることに起因する苦しみ。
・老苦、老いていくことに起因する苦しみ。     体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。
・病苦、様々な病気があり、痛みや苦しみに    悩まされる。
・死苦、死ぬことへの恐怖、その先の不安な    どの自覚。

根本的な四つの苦に加え、


・愛別離苦(あいべつりく)愛する者と別離すること
・怨憎会苦(おんぞうえく)怨み憎んでいる者に会うこと
・求不得苦(ぐふとくく)求める物が得られないこと
・五蘊盛苦(ごうんじょうく) 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと

の四つの苦を合わせて八苦と呼ぶ。

さらに、

二苦とは、
精神的な苦と肉体的な苦とは、人間自身の内的な苦であるから、これを内苦といい、他人から迫害されたり、自然の力によって悩まされたりする風雨寒熱などの苦を外苦とよぶ場合もある。
三苦
これは一般に後世、苦を説明する時にいわれる三苦にもよく示される。
三苦とは、苦苦、壊苦、行苦の三つである。
苦苦(くく) とは、「苦痛を苦とする状態」を意味する。「寒い、暑いなど、食べ物や飲み物がない苦しみ。飢えと、のどのかわき。によって生ずる苦」
外的な、感覚的な苦である。このような苦が人間にとって第一段階の苦で、自然的、基礎的なものである。
壊苦(えく) とは「壊滅の苦の状態」である。
「悪い方へ変化する」こと、好ましくない状態をあらわすのである。「楽事の去るによって成ずる苦」とも説明される。人間にとって好もしいと感ずる対象が、次々とこわされてゆく時に感ずる苦である。
行苦(ぎょうく、saṃskāra-duḥkha) とは「生起の苦の状態」といわれる。
行(サンカーラ)の意味は、「作られたもの」ということで、
生存していること自体を指しているから、   一切の存在が無常であることによって、
うつり流れてゆくところに感じとられる苦である。
とくに、人間生存の無常という事実の中に感ずる苦であるから、
生存苦、生きること自身が苦であることを示した。
行苦や五蘊盛苦は、人間の根本的な苦を示す。


仏教は、根本的には生きていること自体が苦であるという考え方になっているようです


悟り、解放に至るために「苦」がある?


苦、苦、苦、苦、、、

苦しみ、苦しみ、苦しみ、、、、

生きることが苦であり、人生が苦しみである

こんなに、苦って言われたら人生、嫌になりますよね、、、(−_−;)

確かに人生、楽だけでは、ありませんね

僕は、人生苦しみでいっぱいだ、人生絶望しかない、、と言う

ネガティブなことだけを言いたいわけではありませんので、悪しからず、、、

仏教的な苦しみは、悲観的なものの見方を教えたのではなく、
苦の原因を直視し、
心の表面での、喜び、快楽でごまかすのではなく、
一時的な喜び幸せも、永遠ではなく、いつかは消えていく、

無常の真理を自覚して
根本的な「苦」からの解放を説いています

現代は、便利に快適になり、科学が進歩して、
物質的には、かなり満たされているはずなのに

何かしらのストレス、病気があることや、
幸福度は低く、自ら命を断つなど
社会問題や、人間関係の問題など、苦悩から解放されていません


僕自身も、世俗的な幸せを求めていた時は、
仮に、それを得た時でも、
必ずそれを失う、

一時的に、幸せになったと思っても、
必ず、それを失う苦しみは、避けられない、
無常なんだ
と言うことに気づいた時は、

本当にこの世は、苦しみだと理解することができました

しかし「苦」が悪いものなのでしょうか?
苦が一切なければ、幸せなのでしょうか?

このような、「苦」を感じるから、

そこから抜け出そう、改善しようと言う、思いが生まれるのではないでしょうか


人生、楽ありゃ、苦もあるさ~♫

水戸黄門で歌われていましたが、逆もしかりです

これらの「苦」があるから、
人は、そこから抜け出すために、考え、その苦と向き合い
心を、成長させ、精神を解放にいたることができる、極楽に至ることができる

この相対世界では、楽を知るために苦があるように思います

ピンチはチャンスと思えれば、人は、楽観的に前向きに、問題に取り組んでいける

心は強くなり、苦しみがわかるからこそ、人にも優しくなれる


そもそも、人生、楽だけでは、出家したり、輪廻転生から、解脱したいなんて思わないですよね


人は、産まれながらに、成長するように、気づくように

悟りを開くように、セットされているかのように、思います、

「苦」があるから、悟りを目指す、プロセスがある、と考えます

この仕組みはよくできているなぁと、関心します


この「一切皆空苦」を理解すること、
「苦」と向き合うことが、悟りの道を歩む上での、大切なプロセスではないかと思います


もちろん、人生には、死にたい程、苦しいこともあるかもしれませんが

「苦しむこと(苦悩)」からは、自らの行いによって、自由になれます


安心してください、そんな人生の、苦しみから解放される道を説いてくれたのが、
お釈迦様の教えです


苦しみの原因は何か?


ブッダ突き詰めた、苦しみの原因とは?

仏教的苦の原因とは?


仏教では、因果応報、原因と結果があると説かれていますが

それでは、苦しみの原因とは何でしょう?

結論から言ってしまうと、

その原因は、「煩悩」「無明」「執着心」となります

人間の「自分が」という「我執」こそ苦の根本であると言われている
(我執=自分の心身の中に、恒常不変の実体があると考えて執着すること)

苦しみの原因は外側の環境ではなく、自らの内側にある、心が原因です

根本的には「私」と言う、自我が生まれ、その私への強い執着が「苦悩」の原因です


苦の原因は、煩悩にあり

煩悩とは、
心身を悩まし、惑わす、、精神作用(心の働き)のこと

煩悩の種類や数について、調べていくと、、108~かなりの数、、、??
たくさんのものがあるようなので、今回は、
代表的な苦しみの原因となる煩悩をピックアップしたいと思います


煩悩はどこから生まれるのか?


仏教的には、「無明」という状態や、
三毒」と呼ばれる心から発生すると考えられています。


無明とは、「明かりが無い」、真理に暗い状態のこと、
「苦」の解決を知らない、四諦の理解がないことです

「雑念、妄想」が無意識で管理されていないで、うごめいている状態
それによって欲やネガティブな感情に支配されてしまい、煩悩が生まれることになります。

仏教では、煩悩の根源(人間の諸悪の根源)は、3つの心のことを言います。
これらの3つの心から煩悩が生まれて、人間を苦しめることになります。


3つの大きな根本となる煩悩「三毒」

三毒とは、、貪、瞋、癡(とん、じん、ち)
貪欲(とんよく)
瞋恚(しんに)
愚痴(ぐち)
の3つとされ、これをあわせて三毒(さんどく)と呼ぶ。


・貪欲とは、(貪(むさぼ)りの心、好ましいものに対する、貪りや執着、渇望、欲張った気持ち)

・瞋恚(しんに)とは、(怒りの心、嫌悪、嫌いなものに対して、避けようとする心の働き)

・愚痴(ぐち)とは、(真理に無知、無明から生まれる、真理を正しく知らず、愚かな状態)

三毒の中でも特に「痴愚」、すなわち物事の正しい道理を知らないこと、

因果の道理に対する、「十二因縁の無明」が、最も根本的な苦悩の原因である。


この煩悩が苦しみをつくっている、
あれが嫌だ、この人が嫌い、この人は好き、あれが欲しい、これが欲しい、
この欲望が、苦しみの原因をつくっている。自業自得。

自分自身が、悩みをつくって、苦しんでいるだけだと言うこと、

自分自身が苦しみをつくっていると言う、この無明に気づくことが大切です


自分にも、こう言う、心があるなぁと、気づいたら、減らしていくことが、
苦を生まない生き方に、なっていきます


煩悩は正確な判断や、解脱への妨げになるので、仏教では、煩悩を消滅させるために、
教えが説かれているのです


煩悩発生のメカニズム

「十二縁起」

十二縁起(じゅうにえんぎ)とは、
仏教において、人生の苦悩の根源を断つことによって、
苦悩を滅するための12の条件を系列化したもの
12の心理作用の名前と、はたらきです。これらの心理作用が縁によって煩悩が起こる、
縁起で煩悩が発生していきます。十二に分かれた因縁の法則


・無明(むみょう)
・行(ぎょう)
・識(しき)
・名色(みょうしき)
・六処(ろくしょ)
・触(しょく)
・受(じゅ)
・愛(あい)
・取(しゅ)
・有(ゆう)
・生(しょう)
・老死(ろうし)


十二縁起を詳しくみてみましょう。

12項目がそれぞれが論理的に繋がっているので、実に論理的な構造になっています

1、無明(むみょう)真理に無知
智慧のない無明な状態があって→

2、(ぎょう)業(カルマ)
→それに基づいた行為が業(カルマ)になって→

3、(しき)識とは(物事を知り分ける識別作用の働き)
→生まれ変わりの意識・主体ができる→

4、名色(みょうしき)名色とは、人間の心身のこと。名とは精神や心、色とは肉体。
→(そして生まれ変わって)胎児になり→

5、六処(ろくしょ)とは、六つの感覚器官、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)
→感覚器官ができてくる→

6、(そく)感覚器官と外界が接触すること
→感覚器官が外界を感知するようになって→

7、(じゅ)感受作用
→次第に感受性がハッキリしてきて、心身、感覚器官が複雑に関わり合って、好き、嫌いなどの苦楽の感情が生まれてくる→

8、(あい)渇愛、とらわれる心、所有欲、独占欲
→好き、嫌いに対する考え方が激しいほど、極端に相手に対しての愛・憎み、の感情が強くなります。(執着心の強い人は、自分のものにしたいとか、放したくないと考えます)→

9、(しゅ)執着心。強い取捨選択の心。
→そして、執着が生まれて→

10、(う)有とは、生存。
→自己中心の心がもたらす差別・区別の心です。好きなものには親しんで、気に入らないものや嫌いなものは排除する、それが心のクセ・傾向(カルマ)になる→

11、(しょう)生まれること。
差別心は、人間に対立や争いを起こします。争いや対立は苦しみを伴います。このように苦しむ人生を「生」と言います
→また生まれることになり(再び、迷いの輪廻の始まり)、目先のできごとで喜んだり、悲しんだり、苦しんだりして生きているうちに→

12、老死(ろうし)老いと死
→老いて死ぬことになる

 以上が心の動きを中心とした十二縁起の説明です。


僕たちは、この「」[行為、業(カルマ)、   サンカーラ(Saṅkhāra)]
条件づけられたものごと」によって、
次の「生」が決まると言われています


:サンカーラ(巴: Saṅkhāra)とは、
心の中の「なにかをしたい」という衝動のことであり、
ある行動(karma, 業)を取ることで、
その次の行動をしたいという欲求が自動的に現れるのである。

すべてのサンカーラは永続的ではない無常なものである
人々の無常無我についての無知・誤解が、渇愛と輪廻につながる、
無知(無明)が、行の発生に繋がり、最終的には苦につながるのである


この、とらわれた「渇愛執着心

気づき」手放し、

」業(カルマ)、悪い心の癖に反応せずに、

「無常」なものと理解して


今の人生を、どう行い、行動するか!?

どう生きるのか!?

の選択が次の「」につながります


「今」、生きているうちに、

「四諦」「無常」「無我」の真理を理解する

無明」に智慧の「」をあてて、

善い、「行」、善い業(カルマ)、善い縁起を生み出し、

苦しみ迷いの輪廻から抜け出し、

仏、菩薩としての輪廻の流れに入ることが望ましいですね


十二縁起の教えを、僕たちは自分の人生に生かし、
自分自身の心あり方、生き方を考えることも大事であると思いました。


煩悩の滅し方

この我々が感じている苦しみの原因がわかったことで

ではどうすれば、この苦しみから解放されるのか?


「四諦、四聖諦」

お釈迦様が説かれた真理四聖諦も確認しておきます

「なぜ、四諦を説いたのか?」

智慧を得て、欲から離れ、安らぎ、静寂、涅槃に導くから

四諦とは、仏教が説く4種の真理

「苦」の解決方法

苦諦、集諦、滅諦、道諦のこと、苦集滅道
(諦は真理の意味)

・苦諦(くたい) - 迷いのこの世は一切が苦であるという真実
・集諦(じったい) - 苦の原因は煩悩・妄執、愛執であるという真実
・滅諦(めったい) - 苦の原因の滅という真実、煩悩がなくなれば、苦はなくなる。無常の世を超え、執着を断つことが、苦しみを滅した悟りの境地であるということ。
・道諦(どうたい) - 悟りに導く実践という真実。悟りに至るための方法。八正道による


「これは苦である」
「これは苦がでてくる原因である」
「これは苦の消滅である」
「これは苦の消滅に導く道の実践である」
この苦の解決の四つの真理を「四諦」と言います

「これらが煩悩である」
「これらが煩悩の原因である」
「これらが煩悩の滅尽である」
「これが煩悩の滅尽にいたる道である」
と、あるがままに四諦を洞察します。

このように四諦を観察すると、
欲望の煩悩からも心は解放され、
生存の煩悩からも心は解放され、
無知の煩悩からも心は解放されます。

解放されたときに、「解脱」の認識が生まれます。

苦しみの世界に生きているけど、
涅槃寂静の安らぎの世界で過ごすことができる、
と、お釈迦様は伝えてくれています

煩悩(執着心)が苦しみの原因であれば、逆に言えば、
この原因である煩悩(執着心)を探求し、反省して、滅していけば、
苦しみは生まれません

この苦がなくなった状態を「涅槃」と呼びます

この四諦を、知ること、実践すること、認識すること、
と言うのは、何をするにも、とても大切な考え方だと感じます

煩悩が「生起する原因」をしると、煩悩が「消滅していく」原因、をしる。

「この縁起の教えは奥深く、この教えを理解して洞察しないために、
世の人々は、織り糸が絡み乱れるように、
苦しみの世界の輪廻から逃れられないのだ」とお釈迦様は伝えています


この苦の原因を、知り、それを消す方法を説き明かした、四諦の真理
お釈迦様の教えの凄さを思い知ります。


この涅槃への道は、

難行苦行によって自分を痛めつけることでもなく

度を超えた、必要以上の欲望に執着することからも離れた道

中道

苦から逃れようと、努力することではなく、

正しく見る、正しく考え、正しく語り、
正しく行為し、正しく生活し、正しく努力し、
正しく気づき、正しく心を集中する

「八正道」

この苦を滅する道について「道諦」八正道を説かれています

八正道の詳しくはまた別のページで紹介したいと思います


そしてこの原因に気づくためには、
世界情勢や、社会がどうなっているとか、
外の世界や他人のことを問題にする前に、

まず自分自身の問題を解決すること

外側の問題解決だけではなく、

まずは、自分の内面を見つめると言う事です、
逆に、自分自身の内面を変えなければ、
その苦しみの原因はなくならないと言うことです

自分の内面の、静けさや平安がなければ、外に平安が訪れることはありません


四諦を論理的に考えてみる

1、自分の苦しみの原因を知る、現状認識する
(憂鬱、肥満、糖尿病であると認識する)


2、この苦の原因を、現状分析する
(人間関係のストレスにより、普段の生活で、暴飲暴食、糖質、スイーツをとり過ぎている)


3、自分の思い、行いを改善し、執着を手放す
(ストレスの原因を取り除く、人間関係改善、環境を変える、
健全なことに取り組む、運動する、
食物繊維を多めに、甘いもの、糖質を控え、バランスの良い食事にする)

4、苦から解放される
(健康的で、清々しく、心身共にバランスの良い状態になる、利他的な人生を生きる)


苦からの解決方法[瞑想編、正念]

瞑想中、または日常の中で、
感覚器官(眼、耳、鼻、舌、身、意)が外界に触れ、
僕たちは、無意識に
好き、心地よい、嫌い、不快な、「身体の感覚」に反応しています

生命維持の本能(煩悩)を全て滅する訳ではなく、

「苦」を生み出す煩悩(渇望、嫌悪、怒り、欲)を滅していく

心を統御、コントロールすること

苦しみの原因を生み出している「無明」執着を知り

四諦を理解して、無常を理解して

客観的に観察していく、ただ、客観的に、、

客観的、自己観察

身体の感覚を観察する

あるがままに

業カルマ(反応パターン)により苦しみが増大しているという事実を
ありのままに観察し、実感することで悪業を滅していく


この煩悩も、やがて消えていく、と言う、「諸行無常」の理解

自然の法(ダンマ)を理解していくことが大切です

煩悩(執着心)を受け流す、

「反応しないこと」「とらわれないこと」

心の平静さをもって

これが、道諦の八正道のひとつ、「正念

あるがままを観察する

「ヴィパッサナー瞑想」です。

詳しくは、ヴィパッサナー瞑想僕の体験談をご覧下さい

苦を滅するために必要な基礎能力

念:観察力。気づきの力
定:集中力
捨:平常心。平静さ。衝動的反応を起こさない(捨て置く)。執着しない。

これらの能力を育んでいくことが、己の成長を計るものさしです


わかっちゃいるけど、やめられない、、、

とても良くわかります、、

ただ、
この苦しみの原因を、取り除かなければ、
苦しみの種は、増殖していきます

不動な心で、反応しない努力

智慧を持って、日々の、訓練によって、
自分の心の癖に気づくことで、
次第に、反応しなくなってきます


苦しみからの解放の道

お釈迦様の言葉に
「過去に執着するな。未来を夢見るな。今この瞬間に心を集中させよ。」

というものがあります

瞑想中や普段、良かった事も嫌な事も、過去の記憶や、不安・怒り・悲しみ、後悔、が浮かんで来て、
何度も、苦しみます、
考えないようにしても、また浮かんできて、また考えてしまいます、

不安や怒り、ネガティブな感情は、健康的にも害をおよぼすと言われています

私たちは様々なことに影響され、心を奪われたりしますが、

それらのことを「考えすぎない、忘れる」ことが大切ではないでしょうか

考えてもどうにもならない事は、もう考えず、

今、目の前のことに集中する

嫌な記憶や経験が浮かんでくるたびに、
そのことに、悩んだり、くよくよせず、
とらわれず、執着することなく

今この瞬間の、「呼吸」、「体の感覚」、
「今、ここ」
でしている作業に集中します


そのような、記憶は次第に消えていく、過去は幻想と理解して


もちろん失敗してしまったことや、
あんなことしなければよかったと、思うこともあります、
人間誰しも、失敗や、過ちは避けられません、

反省して改善することも大切だと思います、
それは反省して次に活かせばいいのです、

過去の後悔にとらわれず、未来の不安にとらわれず、

ただ、「今」に集中する


色即是空、空即是色、

照見五蘊皆空の理解

般若心経』では、「五蘊も全て、実体のないもの空である」と説かれています。

それが、「照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)」
(五蘊があり、そしてそれらの本質が空であると見た)という言葉の意味です。

そして、この世は、錯覚、幻想であると悟ったからこそ、
この世の一切の苦しみや憂いから解放されたという論理です

仏教的、苦の滅し方は、

一切皆空」の悟り

一切は「」である!と自覚すること、

全てのものに実体はない

ありのままの真実を自覚すること

自分の誤った認識、観念を書き換えることです

今まで「ある」と思っていた世界「色」が、
実は「何もない」「空」と認識する事で、

「私」もなければ、苦しむ対象もなかったんだ、と気づくこと

気づけば、一切の苦しみから解放されてしまいます


かなり強引なロジックでしょうかね‥(^^;;
感覚的に体験的にわかっていくしかありません(笑)

「空」を感じて、認識していく

色即是空、空即是色

一切は、何もない「空」だった

虚無ではなく、存在の法則性


私が、「仏」だった、

存在そのものだった、

無生法認だった!と悟っちゃいましょう(笑)


ある意味みんなが「私」が「ある」と勘違いしているんです(笑)

仏教的には、全てはうつろいゆく実体の無いもの、

「私」は無い、「無我」[anattā, アナッター]なのです


詳しくは、仏教の三法印について、考えてみましたを。


この瞬間に、無限の宇宙がある

自らは、仏である!仏そのものだった、と思いだす


最小の素粒子の中に、

空となる全体がある=妙音=空


自らは、なにもない「真空」であった!

と、思い出す

法華経を学んで、空を理解する、感じとる

僕たちの、本質、精神はわかっています。



「信じるものは救われる」

あなたは、何を信じますか?

神ですか?仏ですか?己ですか?

信じるものは人それぞれですが、

どれだけ信じているか?
信じられるか?
が、人生では問われます


自分の救済者は、自分自身である
他の誰が救ってくれようか
自分を正しく制御して、
はじめて、人は得難い救済者を手に入れるのだ
ダンマパダより


まず自分自身を客観的にみて、
なにが苦の原因かを、検証してみる

他人の決めた答えではなく、自分の心からの答えを聞く

自分を本当の意味で救えるのは、

自分しかいません


まとめ


お釈迦様によって説かれた、道とは何か?

その1つは「苦集滅道の四諦(苦しみを滅するための道の実践的な方法論)」です。

この悩み苦しみの原因を知り、苦の連鎖を断ち切ること

お釈迦様の教えは、人間を苦しみや迷いから救うこと、

苦しみを無くすために、

自分自身がどのように生きるのか?


人々を『一切皆苦』の苦悩や無明から救済する道を説いています


中道、八正道の実践が、

真の平安、解脱、「涅槃寂静」に至る道、 悟りの道であると教えてくれています

究極的には、『解脱、授記、無生法認』という、
存在の仕組み、滅尽の道を説いています


十二縁起では、
苦の原因を説き、迷いと苦しみの世界から抜け出し、
どのように苦から解放されていくかを説いてくれています


原因と結果を理解して、

どのような種を蒔けば、良いか結果が得られるか?

より良い因果を生んでいくのか?

自分の人生の課題は?


世の中にどのように貢献できるのか?

天に徳を積んでいけるのかを考えて

行動することで、経験を伴った智慧をえる

自分には、どのような執着、があるのか?

しくて、無明智慧に変える

己を、客観的に自己観察し、

自分は何を愛好し「愛」、執着し「

心の癖・業(カルマ)を作っているのか「有」を観察して、

自分の心の癖、執着に気づく

どのような種を蒔けば良いのか?

何を選び、行動していくのか?

自分次第で、決まっていく

今からは、怒りや、欲で、すぐに反応せずに、

深呼吸して、平静な心で観察する


変化し、うつろいゆくものに、とらわれず

変化を、たのしんでみる

智慧と慈悲の心をもって、

とらわれのない、自由で安らぎの境地へ

苦からの解放の道へ

歩んで行こう、一歩、一歩


生きとし生けるものが、苦しみ、迷いから、解放されますように☆


今回も読んで頂いて、ありがとうございます



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