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我々に意思はあるのか?コロンブスの卵かもしれない受動意識仮説

前回まで、主要な意識理論について触れました。

いずれも、脳内の神経細胞ネットワークで起こる物理・化学現象で「意識」に迫ろうとしています。

ちょっと目的は違うのですが、「我々の意思とは何か?」を考えさせられるユニークな理論もあるので紹介します。

「受動意識仮説」と呼ばれます。

名称がそのニュアンスを表現してますが、我々の意識というのは、我々自身が主体的にコントロールしているのでない、というものです。

もう少しいうと、「自分でやったと思い込んでいるだけ」というだけで、今まで触れてきた意識による体験感覚「クオリア」も幻想なのである、と喝破します。

常識を打ち破る好例として「コロンブスの卵」という言葉がありますが(タイトル画像もWikiから引用)、それに近い発想です。

提唱した人は日本の研究者、前野隆司です。

まぁ、現時点でも意識のメカニズムは自然科学的に解明されておらず、これらを幻想とすればある意味すっきりします☺

ただ、単に思考停止しているわけでなく、根拠も提示しています。

1983年に行われた「リベットの実験」というものがあります。ある意味、これが受動意識仮説の元ネタともいえます。

この実験は、自由意志と脳の挙動との時間的なタイミングおよび因果関係を調べようという目的です。

ざっくりいうと、腕を曲げようとする所作を行い、その時の脳の動きと被験者がその動きを自覚したタイミングを計測しました。

結論だけ書くと、下記の順番となりました。

1.脳が信号を出す
↓ 約0.5秒
2.被験者が自覚したタイミング
↓ 0.2秒
3.実際に腕が動く

ということで、我々が自覚する前に脳が動いていた(これは自覚してないので、無意識と定義)という衝撃的な結果です。

リベット以降も、ほかの科学者が同じような結果を生みました。

ということで、厳格な意味で我々に「自由意志」はないのではないか?
という仮説につながります。(または上記の実験でいう0.2秒間においてのみあるともいえます)

一点注意点です、今回の論点は、このシリーズで提示された「意識のハードプロブレム(生成メカニズム)」への仮説ではなく、どちらかというと「意思」という現象へのやや人文科学的なアプローチです。

ただ、もう少し自然科学的な表現に置き換えると、いわゆる「意識」は傍観者であるという設定です。
主役は「脳内の神経細胞が無意識で行う処理」であり、その出力(エピソード記憶)を「意識」が「幻想」として我々に疑似体験させる、という段取りです。

はじめ聞いたときは「そんなばかな」と感じたのですが、よくよく自身の経験を振り返ると、この挙動は全否定は出来ないなぁと感じます。
特に、あまり頭を使わない動作は、結構無意識が支配していると同意すらします。

意識の科学とはやや横道にそれるかもしれませんが、なかなかユニークな仮説だと今は思っています。

とはいえ、個人的な興味は、幻想でもよいのであくまでその生成メカニズムが知りたいですね。
そもそも「幻想」ってどういう仕組みなのかに関心が寄ってきました。

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