カンバン14

《第10回SCCしずおかコピー大賞 独りごと反省会。》 vol.14

課題2:人と人との絆を伝えるコピー
 ・今日も、知らない誰かの作った服を着る。

数年前、このファイナリストが学んでいる専門学校の学校案内やCM制作に、コピーライターとして関わらせていただいたことがあった。あの広告を見た高校生が入学して学生となり、このコンテストに臨んでいたのであれば、個人的には応援したくなる。だが、審査に私情は持ち込めない。それどころか、審査員は結果が出るまで、誰が書いた作品なのか知らされることが全くない。純粋にその時、その場に集まった審査員の脳内で完結される思考・志向・嗜好・指向で選ばれている。

その「しこう」を駆使して選ばれた一つがこの作品だ。想定していた着地点を外れているのか、飛び越したビッグジャンプになっているのか?! 考えていきたいと思う。

画像1

佇まいは、『あした、なに着て生きていく?』など、著名コピーライターの児島令子さんが手がけている earth music&ecology のコピーと雰囲気が似ているように思う。(Twitterに資料があったので、興味のある方はそちらも参照ください。)

児島さんと言えば、しずおかコピー大賞の初代特別審査員。過去の事実を調べてコピーの雰囲気を真似していたのなら、しずおかコピー大賞を盛り上げてきたメンバーとしては、ちょっとうれしくもある。

この一行のままだと、とても歯切れが悪い。ノイジーな感じを受けるし、文字の流れも悪い。たぶん、広告にすると改行が入ってこうなる。

今日も、
知らない誰かの作った
服を着る。

さらに直しを入れるとこんな感じか。

今日も、
誰かのつくった
服を着る。

『誰か』と書いた時点で相手を知らないことが前提になる。キャッチフレーズであれば『知らない誰か』とまで念入りに書かなくても意味は十分伝わるはずだ。そして、漢字とひらがなのバランスや印象の強弱も計算に入れた文字面にした方がいいだろう。そうすると一行の佇まいも変わる。

今日も、誰かのつくった服を着る。

その上で絆を考えてみる。

この作者は、経済や流通に絆を見出している。モノやお金の流れは、人間の関わりそのもの。ラグビーのパスのように、人から人に渡されていく。いつもなら、ほしい服に、お気に入りの服に、焦点を合わせてしまうところ、このパス行為に焦点を合わせている。

素材の植物を育てた農家、紡績した企業や現場の工員、服のデザイナー、縫製した工場の工員、問屋・小売の販売員といった『知らない誰か』と毎日その服を着る私との関係性を、この一行で語っている。

着眼点が、新鮮だ。
服飾関係の仕事を手がけていないこともあり、服から絆を想像することは、これまでの私にはなかった。ただ、エシカルやフェアトレードで語られるように、素材原産地の人たちの自立や地位向上を考え、フェアな取引により経済的な豊かさを実現していく取り組みが増えている現代であれば、この構図はこれまでの常識やタブーに疑問を持つ、若いクリエイターから出てくるのは当然かもしれない。

この絆の意味において、ファイナリスト止まりになったのは、着地点を外したからだと思う。よい飛型でジャンプしたのだが、今回は

最近、まわりとの人間関係が希薄になっていませんか。「あいさつを交わす」「感謝する」ちょっとしたコミュニケーションが足りていないようです。
※出典:第10回SCCしずおかコピー大賞HP 「第10回課題」より

という問題へのソリューションを求められていた。

この『ちょっとしたコミュニケーション』の活性化を求める課題範囲において考えると、キャッチフレーズとしては利用しにくいところに着地したように思う。アイデアはK点を超えて、客席に着地した。そのため正確な測定は不能。そんな、感じも受ける。(もちろんコトバの表現は、まだまだ検討の余地があった、ということではありますが。)

でも、「いいな」と思うところは、最大限に「じぶんゴト化」していること。コピーは受け手の気持ちになって考える必要がある。でも、書き手がそこに届く術を必ず持ち合わせているとは限らない。そのときに、じぶんを受け手と見立て、じぶんのコトとして課題の落とし所を深く考えていくと、うまくかみ合えば、受け手にもきっちり届くアイデアにまとまることもある。このコピーは、公募コピーにおいて最大限に「じぶんゴト化」することの可能性を示してくれるコピーの一つだと思います。

※コピーの版権・著作権等の使用に関する権利は、静岡コピーライターズクラブに帰属します。
https://shizuokacc.com/award/

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