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『詩』墓場から

墓じまいがあって また一つ
墓石ぼせきのあった場所が開けていた
徐々に風通しがよくなってゆく墓地は
まるで 誰かの記憶のようだとおもった


墓地は告解の場に似ている
声に出すわけでなし
ひざまずくわけでもないけれど
墓地は告解の場に似ている
こんな真夏の猛暑日に
手を合わせ こうべを垂れると
うなじが日に焼けてゆくのがわかる
首筋を汗が滴り落ちる
それが悔恨かもしれないとおもう
私は墓場で鞭打たれるのだ 私自身に


それ自体が詩のように ひとつひとつ
出会ったこともない人の墓碑銘を
声に出さずに私は読んでゆく
いくつもの静止した時間がそこにある
真実とはきっとこういうものだ
虚飾もなく 感情もなく
じっと立ち止まったままの
書かれている文字のみが真実だ そして
今更のように私はおもう 半世紀以上を生きてきて
私は真実だったことがあるか?
私自身に


私に告解を促すのは 真夏の日差しに
灼けつく墓石の緊張だ
日付が刻まれた墓碑銘のせいで
墓石はそのまま緊張になる


墓じまいの跡が
あたかもため息のように見えるのは 緊張が
やっと解かれたためだろうか
私は墓地の真ん中に立って 雲ひとつない青空を見上げ
永遠に近い距離をおもう
墓地から青空までの果てしない距離を
そうして初めて
私は虚しさの意味を理解する


だが私は生き続ける 私自身が
まだ真実でないにしても


夾竹桃が
墓地の一角に群れ咲いている
あたかも墓地の真実を守護するように



*タイトル画像はこちらから。
 DEZALBによるPixabayからの画像/夾竹桃の花




墓参りに行ってきました。父の墓です。毎月、月命日の前後には行っているのですが、お盆とかお彼岸とかはやっぱり特別です。
いつものように空想ではなく、実際に感じたこと、おもったことだけれど、本当のところを生の言葉で書き表そうとすると、それは詩にはならない気がします。難しいですね、いろいろ。

ところで夾竹桃は有毒植物だそうで、全体に毒を含んでおり、その毒性は青酸カリよりも強いそうです。最後の一行はそんな意味を込めてみました。そのことを知っていて植えられているのか、乾燥やら何やら強いそうなので、公園と同じように美観のためなのか、そこはわかりません。

もう少しましなタイトルがないか、考えてみましたが、結局これに落ち着きました。これも難しいです。




今回もお読みいただきありがとうございます。
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