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マレーシア留学について

来たる9/18の深夜からマレーシアに高飛びするわけだが、いったいなんでそんなことをするのかここで述べたいと思う。エッセイ風に書いてみようと努力しました。お付き合いくだせえ。


1. なぜ留学?

「窮屈だ。どこでもいいから海外に行きたい。」光月おでんのようなことを言うようになったのは、高校生のときからである。

私の地元、岩手県北上市はけっこうな閉鎖社会で、小中高までずっと同じ地域内で過ごすことは珍しくない。狭いコミュニティでいつもの人といつもの景色。そんな日々を少々退屈に感じていた。

テレビや新聞、SNSからあふれてくる異国の地の人々や景色をみるたびに、子供のようにきらきらした目で、あの国の人たちは何を考えて、何を食べて、どんな風景を見ているんだろうと好奇心を掻き立てられたものだ。

それに、私が高校3年生だった2019年は、コロナウイルスやトランプ政権、グレタ・トゥーンベリによるストライキなど、SDGsの浸透も相まって、社会問題についてやたら考える機会が多かったので、自分も将来、貧困や環境問題などの世界の社会課題の解決に貢献したいと浅はかながら思い、いっそう世界の真相を確かめたくなっていた。

そんなこんなで「大学入ったら、何が何でも海外に行ってやる」という思いで、晴れて大学に入学できたのだが、コロナウイルスがいとも簡単に出鼻をくじくのであった。

2. なぜマレーシア?

ようやく、コロナも収まり大学が海外留学を許可し始めたのは、私が大学2年になった夏のころである。その時から、来年度夏出発の交換留学を募集していたので、迷うことなく申し込んだ。

申し込みにあたって、留学先も決めなければならないのだが、その決定も割とスムーズだった。

1年も留学するとなると、たくさんお金が必要であるから、なかなか貧しい共働きの家庭の生まれの私には、自力で留学資金を調達しなければならなかったので、物価がおそろしく高い欧米の留学は現実的ではなかった。

というわけで、自動的に物価の安いアジア圏になり、そのなかでもぎりぎり英語圏であるマレーシアが勝手に留学候補になっていた。

うれしいことに、信州大学では1年交換留学すると、1年卒業が遅れて、5年大学に在籍する扱いになるが、授業料は4年分になる「計画的特例履修制度」というものがあるため、実質、留学によってかかるのは生活費と留学準備費用だけである。さらに、海外留学用の給付奨学金を受給できれば、月7万~月15万(申請する奨学金による)もらえるので、物価の安い東南アジア諸国であれば、1年留学するともらえる額の方が多いという状態になっている。

いい経験をさせてもらって、お金ももらえるんだからやらない理由はないだろう。

3. マレーシアで何すんの?

さて、肝心なのは、マレーシアにいって何をするかである。

正直なところ、現在の私の留学に対する熱意は相当低い。

というのも、交換留学をするとなると、大学側がセッティングをある程度しているものなので、目的・目標の設定やその達成に向けて何をするか、達成するためのKPIは何かなどを明示するよう求められるのだが、当初私が提示した目的「異文化理解力、コミュニケーション能力などの非認知能力の向上と専門分野に捉われない幅広い教養の習得」は有難いことに日本ですでに達成されてしまったり、マレーシアに行かなくても達成できることに気づいてしまった。要するに、今マレーシアに行く目的がほとんどないのである。

「ごめんなさい。グローバル化推進センターのOさん、Hさん。」この記事をセンターの方が見ていないことを願うばかりである。

このままではいろんな人に怒られそうなので、無理矢理目的を付与する。

今、私は人生の路頭に迷っている。あらゆる人の生き方にふれ、あらゆる人に自分の可能性を発見してもらったからこそ、自分がありたいように生きられる自信を得ている。

だが、それは、敷かれたレールの上を歩く行為ではなく、自分で自分の道を開いていく行為である。暗闇の中を手探りで進んでいる私は、まだ暗闇を照らす自分の道具を見つけていない。自分の中の輝けるものが何か、自分の強みにしたい軸が何なのかそれをはっきりと見つけるために1年時間をかけてゆっくり探していこうと思う。

最後にナチスの強制収容所を経験した心理学者フランクル氏の著書『夜と霧』から私の大切にしている言葉を紹介する。
あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない。


読んでくれてありがとう。
かっこつけ 自分探しの ジャーニーを 冷やかしの目で また見に来てね。


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