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(52)それぞれの楽しみ方をできるのが人間だなぁ、と

 6月は、長年やっている海城中学2年生との授業(ワークショップ)でした。1クラスあたり2時限 × 3週間(3回)+ 発表会(約1時間)という構成です。これを8クラス行いました。

 実際の様子は、例えば「演劇と教育」誌(635号_2011年6月号_晩成書房)の「演劇する授業」(3号連続連載の3回目)や、海城中学高等学校こちらのページなどに紹介してあります。
 ここでは、特に今年の活動から私が感じたことを書き残しておこうと思います。メモのようなもので、上記の文章をご覧頂いた上で以下を読んで下さると、より分かりやすいかと思います。

【52】-1 コロナ禍の活動は、クラスの半分の人数から

 2020年、突然のコロナウィルスの蔓延と共に始まった一斉休校。細かいことは承知していませんが、海城中学も2020年は、私との活動を中止いたしました。

 2021年(昨年)は、「なんとかやろう!」ということで、上に紹介した例とは少し形を変えて行いました。

1:1回目の授業はクラスを半分にして行う
2:残りの半分は、私が事前に用意したビデオを見て、聞き書きの練習をする
3:2回目の授業(取材・インタビュー)はオンラインで行う
4:3回目の授業は例年通りだが、2クラス合同での発表会はなし。保護者の見学もなし

という点が、例年との違いでした。
 大変といえば大変でしたし、少し物足りないというか歯がゆい感じはありましたが、それでも対面で授業が出来るのはとても嬉しかったことを覚えています。
 この時は、私はまだワクチンを1回も受けていない状態で授業を終えました。

 2022年(今年)は、上記の1〜3は同じなのですが、最後に2クラス合同での発表会を行い、保護者が発表会を見るということもやりました。
 1回目から少し細かくお話します。

 1回目のクラスを半分に分けて(つまり20人前後)の活動は、私と知り合うこと、演劇的な表現の練習、聞き書きに触れるという大きな1つの目的があります。
 なのですが、基本的に2時間連続での授業なので、じゃあ残りの半分はどうするのか?と言うことです。
 昨年の同じことをやったのですが、事前に私がある人にインタビューをして、その動画を生徒のみなさんに見て頂いて、インタビュー部分の聞き書きをしてもらうことにしました。

 なんて書くと簡単なのですが、事前に1時間程度のインタビューをZOOMでおこない、インタビュー部分を12分位に編集し、私のレクチャー部分(つまり自撮りをし)を含め18分程度にするという作業を事前にしておきます。
 そして、自分が1時間授業をしている裏で、そのビデオを見てもらい聞き書きを書くという、なんというか、パーマンが活動している時にコピーロボットが別のことをやっている感じの授業をやっていました。

 改めて、自分で言うのもなんですが、凄い時代になったものです…。

 聞き書きを書く練習を事前にするというのも、丁寧に説明できていないとはいえ、それなりに書けている生徒もいたので、これはこれでやった意味があったと思っています。
 何でもそうだと思いますが、聞き書きも、書いた経験が多いほど良く書けるものだと思います。

 さて、ビデオをみる方ではなく、実際に身体を動かしたりする方の話です。
 コロナ前は、クラス全員で2時限(100分)行っていたので、
・コミュニケーションゲーム
・シアターゲーム
・故事成語を演劇にする
・聞き書きを演劇にする

という4つの大きな柱で進めてきました。

 1時間(50分)と時間が半分になったので、半分のことしか出来ないというのが基本的な考えですが、人数も半分になったので、見合う時間も半分になり、そういう意味では活動が単純に半分になったのではなく70% 位になったかなぁという印象でした。
 また、40人以上いるより20人くらいの方が、一人ひとりに丁寧に関われたように思えます。

 …それでも忘れてしまうので、毎回メモを取っていたわけですが…。

 とまあ、大変は大変だったわけですが、コロナ以前と比べてひどくなったことばかりではなく、良い面もありました。

【52】-2 クラス全員で私の話を聞いてから、クラスが3分割されてオンラインでインタビューをする

 インタビューは難しいです。特に中学生と大人を出会わせるのは、本当に難しいことです。

 コロナ以前は、生徒6〜7人に対して1名の大人、つまりクラスに6名の大人の方をお願いしていました。
 しかしコロナ禍では6名の方を呼ぶと言うのも難しく、昨年からオンライン(Teamsを使います)でインタビューすることにしました。

 オンラインとはいえ、6名の方と同時にオンラインで繋がるのは、これまた用意ではありません。場所の問題(同時に二人以上の方に同じ教室で話を聞くのは不可能といって良いでしょう)や、技術的な問題(Wifiの回戦状況の問題もさることながら、接続が切れてしまった時の対応のことなど)など、そこそこ大変だったので、インタビューする方をコロナ以前の3名にしました。つまり15名前後が、一人の方にお話を聞くという形です。

 その後のこと、つまり演劇をつくる時には6〜7名程度がよいと考えているので、2グループが合同で一人の方にうかがうということです。

 海城学園は、歴史のある学校ですから、協力して下さる先輩たちがたくさんいらっしゃいます。特にリタイアし、現在の中学生と話したいOBの方がたくさんいらっしゃいます。そんな方々は第二次世界大戦を体験された方なども少なくなく、毎年、中学生にとって貴重な体験となっていました。

 しかし、コロナになり、オンラインで繋がるのが、そのような高齢の方たちが難しいということになり、昨年・今年は、例えば戦争体験者の方とはお話が出来ませんでした。
 ウクライナ・ロシア問題がある今、戦争を経験した人生の大先輩が中学生に何を伝えるのかというのは非常に意味のあることだと思いますので、残念で仕方ありません。

 しかし一方で、実際に学校(東京・新大久保)に着て頂くのが大変な方とも繋がれるというメリットもありました。

 例えば、沖縄の空港で働く方、アフリカの保健機関と一緒に仕事をしている方など、以前には繋がることが難しかった方と出会えたのは、コロナになり、オンラインシステムが一気に普及したからだと考えます。

 これも、悪い面だけではなく、良い面も少なからずありました。

 同時に、中学生が大人と接する難しさは、対面の時にも分かっていましたが、オンラインだと更に難しいということも実感いたしました。とは言え、今後オンラインでの活動(勉強・仕事・プライベート)が増えていくと思うと、中学2年生の時に、このような活動をやれるのは、失敗できるという意味も含め、良かったと思います。

【52】-3 インタビューしたことを書き起こす

 インタビューをしたのち、聞いた話を、話して下さった方が一人で話しているように書き起こす聞き書きを書きます。
 これも毎年のようにやっていることですが、私が生徒に話している時に自分でも「ああ、そうなよな」と気づいたことがあります。それは今回の記事のタイトルにも関わってきますが「一人ひとり、受け止めることが違うのだなぁ」ということです。

 例えば話して下さった内容が大きく分けて10エピソードあったとします。A君は2番目と4番目を中心に書き起こし、B君は3番目と4番目と6番目を書き、C君は4番目と8番目を中心に書く、みたいなことが起こります。

 当たり前のことですが、それぞれ興味あるところが違うので、書き起こす部分も変わります。また、同じ4番目のエピソードでも、とらえ方や書き起こし方に少しずつ違いが生まれます。これは本当に面白いことです。
 発表会の後の話ですが、生徒たちには

「5年前には、授業中にオンラインでインタビューすることなんて考えられなかった。でも、今は出来るようになったのだから、技術の進歩は凄いと思います。これから色々な技術が進歩すると思います。10年後には無くなっている仕事、みたいな聞いたことがあるかもしれません。計算が速くできる、翻訳を上手くできる、みたいなことは、そう言った技術に取って代わられるかもしれません。でも、誰かに話を聞くと言うのは人間にしか出来ないものだと思います。いや、機械にも出来るのですが、それぞれ違うように受け止めるということは難しいと思いますし、違うように受取るのが面白いと思うのです。そして、それを楽しめるのが人間かなぁと思います」

みたいなことを言いました。
 正解はないから面白いというか,それぞれが正解だし、受け止め方が違うということを実際に認識するのが多様性の第一歩だと思います。
 この話をしている時に、首を縦に大きく振りながら聞いていた生徒が何人もいたのが嬉しかったです。

【52】-4 そして発表会

 演劇づくりの部分は省略して(基本的に「演劇つくってね」というだけなので)発表会の話にうつります。

 今年は2クラス合同で発表会をすることが出来ました。最初の時から考えると、
クラス半分 → クラス全員 → クラス1/3 → クラス全員 → 2クラス
と、だんだん人数が増えていく活動になっていきました。そこには意図はなくて、完全に進行上の、時間的都合によるものですが、あらためてふりかえると、だんだん人数が増えていく活動というのは、発表することへのストレスが段階を踏んでいくことにもなっているなと感じました。

 更には、保護者の方も見に来られたので、コロナ禍になってからはなかったものになりました。保護者の方も学校で自分の子どもが何かをやっているのを見る機会が減ったために(おそらく小学校の卒業式も満足なものではなかったでしょう)、コロナ以前の4〜5倍の方が見に来られていました。

 ちなみに発表は、講堂で窓を開けて行っていたので、密にはなっていないはずです。

 発表された演劇についてですが、大きく分けて二つの場面を生徒たちはつくりました。
1:聞き書きを声に出して読む人が一人いて、他の人は動く、という場面
2:聞き書きを読むのではなく、動きとセリフで表現する場面

この2つです。

 【52】-2のインタビューするところでも書きましたが、一人の方に2グループが聞いています。なので、発表される演劇についても、一人の方にたいして2グループが演劇をつくり発表するということになります。

 ここでも新たなる発見がありました。以前は全グループ違う方(12名)に聞いていたこともありますが、今回は少なくとも2グループは同じ方についての演劇を発表します。すると、1グループでは分からなかったことが、2グループ見ることで分かることが少なくなかったのです。補完し合うというか、助け合うというか、そのようなメリットがありました。
 同じ方でも違うエピソードを取り上げていて、その方の人となりの広がりを知ることが出来るということもありますが、例えば「就職の面接時に、シドロモドロになって上手く話せなかった」という場面をやったとします。1つのグループしか見ないと、それが演技なのか、演じている本人がつまってしまっているのかが分かりにくいこともあります。というか、そもそも「シドロモドロ」感があまり上手く表現できていないわけです。
 でも2グループ目が同じようにシドロモドロしていると、「あ、さっきのはそういう意味だったんだ」とハッキリと分かる、というようなことです。

 そういう意味でも、違うエピソードを選んだり、表現(表出)が違ったりと、人それぞれ、グループによるところがたくさんあり、面白いというか、これが出来るのが人間だなぁ、人間のつくる演劇だなぁと思いました。

 もうひとつ面白かった、というか興味深かったのは、この授業は1日に2クラスずつ、月・火・木・金におこなっていたのですが、だんだんと演劇の発表が長くなっていったことです。各曜日12グループあるのですが、月曜日と金曜日を比べると全体では30分ほど金曜日の方が長くなっていました。
 これにはいくつか要因があると思います。

・後半の方が演劇が好きな生徒が多かった
・月曜日の1時間目と、金曜日の5時間目では、モチベーションが違う
・お話して下さった方による(生徒たちに分かりやすい話だったり、演劇にしやすい内容だったり)
・私の授業中の言葉が、生徒たちに対して分かりやすくなっていった

などです。長い演劇をつくれば良いというわけではないですが、長いからといってだらけているわけではないので、上記のようなことが、それも一つだけではなく複合的に影響していると思います。
 私は基本的に同じ内容を話しているつもりではいますが、少しずつ変わっていくのも事実です。全体に対して話すこともそうですが、グループごとにちょっとした声掛けをする時にも違いは出てくる気がします。
 これは今回だけのことではなく、どこの学校でやってもそのような傾向にあるので、良く言えばブラッシュアップしているわけですが、悪く言えば最初からやれよ!と言うことですね。

【52】-5 これからのワークショップ

 このマガジンのタイトルではないですが、コロナになり授業の方法がマイナーチェンジしました。コロナ以前の良かったこともありますし、今だから出来ることもあります。どちらが良いということではなく、できればどちらの良い点も取り入れつつ活動していきたいとは思います。
 でも、正直なことを言えば、あちらを立てればこちらが立たず、というのが実際のところだと思っていて、両方を立てるとしたら、倍の時間(少なくとも1.5倍)は必要だと感じていて、それはなかなか難しいことだなと思います。

 この授業は、自分で言うのもなんですが、とても良いものだと思っていて、いろんなところでやりたいと思います。私以外の人が進行して下さっても良いと思いますし、そのような環境(時間・機材・人材・予算)が整って、全国的な活動になれば良いなぁと心から思っています。

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