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(53)オンラインで、明後日の方を見つめてみる

 先日、日本演劇教育連盟のシンポジウムに参加しました(半分以上スタッフの役割だったわけですが)。その時の様子は、雑誌「演劇と教育」に後日掲載されますのでご覧頂きたいのですが、とてもためになる話ばかりでした。

 そのシンポジウム内で、埼玉大学の岩川直樹先生がおっしゃっていたことがあります。

 「オンラインでは目が合わないんです。カメラに視線を向けると相手の目が見えないし、相手の目を見ると私の視線は別のところにある」

 以前から思っていたことですが、改めて「その通りだよなぁ。それがストレスなんだよね」と思いました。また

 「子どもたちの前で『あっ』と言って何かを見ると、みんなそちらを向くんです。でもオンラインで『あっ』と言っても誰も振り向かない」

 ということもおっしゃってて、「これもそうだ」とうなずいて聞いていました。
 そして、自分の「チャレンジ精神(?)」に火がつき、実際にやってみました。

【53】-1 対面とオンラインで「あっ」と言ってみる

 まず対面で子どもたちと接する時、状況としては子どもたちの前で何かを説明しようとしている時に、突然子どもたちの後ろの方を見て「あっ」とこっそり言ってみました。余り大きい声で言うとわざとらしいし、指さしたりするとかなり意図的になってしまうので、本当に何気なくやってみました。

 すると、半分以上の子どもたちが後ろを見て「え?」「何?」と言いました。子どもたちを騙すわけにはいかないので(いや、騙したわけですが)
「あ、ごめんね。今日の朝、ウチで育ててるトマトに水をあげるのを忘れたことを突然思い出した」
と言っておきました。

 そもそも、そんなことをやらなくても、絵本の読み聞かせをしている時に、その役で「おーい!」とか子どもたちの後ろにいる人に声をかけることをすると、何人かは必ず振り向いているので、こうなるだろうなとは思っていました。

 さて、オンライン。
 最近はなかなか子どもとオンラインで繋がることも少ないのですが、久しぶりに機会を得ました。知り合いの人に頼まれ、少人数で、時間も短かったのですが、ワークショップを行いました。
 その時にまた短い物語を読んだのですが、対面でやっているのと同じようにカメラをじっと見つめてみたり、カメラの少し上を見つめてみたり、また「あっ」と言ってみたり、いろいろ試してみましたが、全て対面のような反応はありませんでした。

 まあ、当たり前といえば当たり前なのですが、改めて何か引っかかるものを感じました。

【53】-2 オンラインと方向性

 つまり、オンラインであっても「一緒にいる」という感じを受けないのは、方向性が共有されていないからではないか?ということです。

 同じ場にいるというのは同じ空間を共有しているということです。自分から見て右側は右であり、左側は左です。舞台用語で言えば上手は一つの方向しかなく、下手も同様です。上は上だし、下は下です。

 でもオンラインではこの方向性が崩れます。

 私が右を見たとしても、それは画面上のこーたが右を見ている、という認識以上にはなりにくいのです。方向性が崩れているからです。
 言い方を変えると、例えばスマホでオンラインで繋がっているとして、歩きながら画面を見ていたとしましょう。その時に私が右を見ても、画面上では右になりますが、動きながらスマホを持っている人にとっては、右側(画面上では左側)というのは常に動いています。もしかしたら上下も変わるかもしれません。つまり、方向を共有するというのは、オンラインではZOOMなどのオンライン会議システムでは難しいことです。

 でも裏を返せば、画面上の人が右を見た時に、オンラインで繋がっている人全ての人の右側から物音が聞こえたりしたら、すごく怖いと思います。ここには何か可能性を感じますね。

 方向性が崩れているということが、一緒にいる感覚を少なくしているとも言えます。これをクリアしないと、なかなかオンラインでのワークショップが対面のワークショップより面白いなぁとは言えないかもしれません。

 少し話はズレますが、私は子どもたちと演劇をつくったりワークショップをする時に、セリフが上手いとか、動きに切れがあるとか、そういうことも大切なのですが、その人から出てる雰囲気というかオーラというか、そういうものを楽しんでいるように思います。おそらくそのように感じる人は少なくないと思います。

 例えば、だるまさんがころんだをやるのも楽しいですが、これを見ることも楽しいです。これは私もやりますが、いろいろなワークショップでやられているので、ぜひやっている人見ている人を分けてやってみて下さい。
 だるまさんが転んだは、基本的に見ている人を意識していないで、意識するのは鬼だけです。そこに向かって、最初は笑顔だったのが、鬼に近づくにつれてだんだん真剣な顔になっていったり、動いたのを見つかった時に非常に悔しがったり、表現しているというよりも表出しているものを楽しんでいます。

 同じ空間にいてだるまさんがころんだをやっていると、鬼とプレーヤーの間には一本の糸がある様にも思えます。方向性にも似ていますが、そこにつながりを感じるのです。だから、鬼がちょっと支点を外したり、ちょっと違う方向を見るとプレーヤーは動ける(動いてしまう)のです。

 一本の糸オーラというものは、漠然としていて言葉にしにくいものです。でも感じたり共有できたりすることも事実です。それを感じることが対面でやることの醍醐味とも言えます。
 このゲームの醍醐味(つまり鬼とプレーヤーの間に一本の糸を通す事)をオンラインでやれたら、とても楽しいと思いますが、結構ハードルが高いかなぁとも思います。

 物理的に手をつなぐということだけではなく、方向性があるということを再確認したというか言葉にしたということが、このシンポジウムで得た大きな収穫でした。
 逆に言えば、対面でワークショップをやる時に、もっと方向性や空間の感覚を意識できれば、もっと楽しい活動が出来ると思うので、頑張ります。

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