見出し画像

休職することになった私は壁と話したりそうめんに生かされて何とか今日を過ごしている

 某占い師いわく、今年の私は運気が最高にいいはずで、厄年だってとっくに過ぎたはずなのに、人生が上手くいくどころか現在休職中なのは、どこで何を掛け違えたんだろうか。

 天井を見つめる。真っ白なクロスが貼られた天井も壁も今日も変わらずそこにある。私が何かを話しかけても、ただ沈黙を守り、頑なに無を装う。しろかべちゃん、毎日がしんどいです。しろかべちゃん、私、消えてなくなりたい。息してるのも申し訳ない。線香花火の最後の方になって、ぽとっと地面に落ちて消えたい。それか、私のことを誰も知らない異世界に転生したい。

 悪役令嬢ものやチート設定の勇者に聖女さま……異世界転生ものはたくさん読んできたけれど、今の私はとても疲れているので、危険の少ないのんびりとした田舎でスローライフを送りたい。チート設定は何かに役立ちそうなのでほしい。どんな能力がいいだろう。とにかくここではないどこかに行って、私じゃない何かになりたい。

 しろかべちゃん、そんな力持ってない? 持ってるわけないか。ごめんごめん。……もちろん、返事はない。現実はつらい。

 今、何時だろうか。スマートフォンを手探りで探す。固い物に指先が当たる。今日は腰の近くにあった。手繰り寄せて画面をタップする。正午前。薬の効果か、思ったよりも眠ってしまった。罪悪感がむくむくと目を覚まして、私に声を掛けてくる。

『みんなはこの時間、働いているのにね』

 胃に痛みが走る。喉が渇いているのに、私の思考が水分補給を厭う。潤いをこの身体に与えてどうするの。働きもしないのに。死ぬ勇気もないくせに、生きたいとも思わない。苦しいね、また今日がやって来て。苦しいのに、私は何も成せないまま、寝床からも起きられないまま、白い壁を見つめる。どうしてこんな風になっちゃったの。

 心療内科に行ったあの日から、一か月が経とうとしていた。三か月の休職が必要だと診断されたあの日、今すぐにでも休みなさいと言われて、それを上司に伝えたら、本当にすぐ休職することになった。早かった。

 適応障害からのうつ症状だった。睡眠障害に不安障害、心身症。知らない間にいろんなものを患っていた。私の心と体は環境が変わったここ数か月の間にすっかりバランスを壊してしまっていたようだ。

 非正規雇用から脱するべく懸命に転職活動をして入社にこぎつけた会社だった。年収にすると百万近くアップする予定だった。それもあって、三か月は死ぬ気で働くぞ! と突っ走った結果がこれだった。仕事量が尋常ではなく、残業と誰かの尻拭いをする日々。周りも忙しくしているので頼りづらく、とにかくきつかった。朝起きると全身が痛くて、疲れが全然取れず、嘔吐と下痢を繰り返すようになった。眠りは浅く、休みの日はベッドからなかなか動けなかった。

 大好きだったソシャゲをしなくなった。ハマっていたドラマの続きも視聴できずにいる。健康とダイエットのために習慣にしていたウォーキングやヨガ、宅トレもしなくなった。自炊もしていない。すべてに対する気力が失せていた。

 今はあの頃より体の調子は戻ってきた。でも、寝つきは悪いし、感情の動きも頭の働きも鈍く、集中力も回復しない。意味のない日々を過ごしている感覚は拭えなかった。

 大好きで入れ込んで二次創作までしていたソシャゲがあった。アイドル育成もので、私は彼らの成長物語に励まされ、彼らの歌に幾度となく救われてきた。それが今、ログインすらままならない。それでも、推しの誕生日にはログインできたし、ガチャも回し、祝福のツイートをした。これを進歩だと思う自分と、去年はケーキを買ってぬいちゃん(※推しのぬいぐるみ)と撮影し、作品もアップして祝ったのに、今年は何も出来ずに罪悪感やら虚しさやらを募らせる自分がいて、やっぱり私は今おかしいんだと思うとまた何もかもが嫌になった。

 休職期間は残りあと二か月。二か月後の私は、いったいどうなっているんだろう。元に戻れているのだろうか。自信はまったくない。しろかべちゃん、あなたはどう思う? 問うてみたところで返事はない。

 復職か、転職か。転職なら、また求人情報のリサーチから始めなければならない。復職なら、復職ならーー?

(あ、沈むわ)

 仄暗いところへ沈んでいく。浮き上がる気力もない。駄目だ。全然、駄目。まだ戻れる気がしない。前の私に戻れる気がしない。ああもう、消えたい。消えたい。私がある日ふっと消えても、きっと誰も困らない。結婚してないし、彼氏もいないし、友達だって疎遠になってしまっていて、前職の仲間くらいしか最近はやり取りしていない。そして、家族とはもうずっと距離を置いている(これは私の心と人生の安寧のために必要なことなので悲観はしていない)。

 なんだ、消えてもいいんじゃん。どうせ消えるなら、復職も転職も考えなくてよくない?

 死に方について考えてみる。何も食べなかったら死ぬ。ベランダから飛び降りたら、ここは十階だから確実に死ぬ。実際何度か吸い込まれそうになって、これはヤバいと思ってからはベランダに出ないようにした。睡眠薬では確か死ねないと聞いた。だから却下。首吊りはどうだろう。

 クローゼットを開け、いい具合に首が吊れるものを探してみる。縄なんてなんてうちにはない。ベルト、ストール、ショルダーバッグのストラップ。探してみたところで、あまり死ねなさそうなものしかなかった。ネットで買おうかと考え、縄で検索してみた。すると、しめ縄の画像が目に入って、なんとなくその気が削がれてしまった。

 私はスマートフォンを放って、ソファに寝転がり天井を見つめた。誰も救ってはくれない。宗教にもあいにく興味がない。そう、興味がないんですよ。某上司、あなたにこの声は届いていますでしょうか。

 メンタルが壊れかけた私を手厚くサポートしてくれ、カウンセリングの勉強もしているあなたは信頼にたりうる私の心の拠り所でした。何を質問されても、それもカウンセリングの一種なのだと思い、私は素直に答えました。誰にも触れられたくなくて心の奥底に隠しておいた過去のトラウマをほじくり返されるような質問もあって辛かったけど、今より良くなるために必要なことなのだと自分に言い聞かせました。「大丈夫、きっと治るからね」と励ましてくれてうれしかった。こんなにいい人がいるのかと、ありがたくて泣きました。職場のみんなから慕われ、多くの部下たちの心の支えになっていることも頷けました。

 だけどある時、さりげなく長年信仰しているという宗教の話をさらっとし、少しずつ会話の中にその宗教の話が出てくるようになりました。

 私の体調には波があって、その日はどうしようもなく気落ちして、これまで普通にこなせていた仕事がこなせなくて自信を喪失し、病みに病んで泣いてる私にゴリゴリに宗教の勧誘をしてきましたね。何度か断ったけど、「あなたもきっと救われるから」とその度に説かれました。私のためにお経もあげてくれました。お札やお数珠、経典(?)もくれました。なんなの、この展開。滑らかなお経を聴いている間、虚無ってこういうことかと考えていました。バチ当たりかもしれないけど、その時本当の意味で虚無というものを知った気がします。よかれと思ってしてくれたのかもしれませんが、具合はよけいに悪くなりました。「うつ 宗教勧誘」「上司 宗教勧誘」などで検索すると、私と似たような経験をした人たちがそこにはたくさんいました。虚しさで視界が滲みぐらぐら揺れました。

 こんなこと、職場の誰にも言えやしない。だって、その上司が「メンタル不調の社員のサポート」を任されていたから。そして、社員に愛されていたから。宗教については私にだけ教えてくれたことだったから。

 症状が出始めた頃、心療内科はお勧めしないと内科に行くよう促されたけど、今思えばとっとと心療内科に行っておくべきだった。自分を騙し騙し仕事をしていたけれど、少量の昼食すら吐くようになって、これはあかんと上司に「心療内科に行きたい」と相談した。上司も私の顔つきを見てまずいと思ったらしく、行っておいでと言ってくれた。ほっとした。

 心療内科に予約の電話をしたところ、今から三十分後の時間しか今日は空いてないと言われた。それ以降だと数日後になるという。「無理ですよね?」と受付の女性に言われたが、職場からそのクリニックが近かったこともあり、三十分後に予約を入れた。

 クリニックに到着して、問診票に記入をした。それから間もなくして名前を呼ばれ診察室に入った。事の経緯を医師に話したところ、穏やかに丁寧に接してくれ、「頑張ってきたんだね」と言われて涙が込み上げてきた。今日からでも休んだ方がいいとのことだった。今後についてはクッション言葉を交えつつも、要約すると「退職した方がいい」と言われ、「ですよね……」と返事をした。心の中はぐちゃぐちゃだった。

 休職することになって数日経ったある日、前の職場の仲間から連絡があった。仕事は順調? 最近ドラマ何か観てる? と訊ねられ、私は休職していることを打ち明けた。びっくりした彼女から電話があり、あんまり上手く働かない頭でつらつらとこれまでのことを話すと、「厄年じゃないよね?」「なんでそんなことが起こるの」「弱ってる時につけ込むとか最悪やん」と怒気を含んだ声で彼女は言った。心が少しだけ軽くなった気がした。

 思えば私の人生はうまくいかないことだらけで、しがない世の中に度々腐りそうになりつつも、その時々で楽しいことも幸せだったことも確かにあって、だからなんとか踏ん張って生きてこれた。だけど今は踏ん張り方がよくわからない。それ、意味ある? とさえ思ってしまう。なんかもう疲れた。なんかもう、どうでもいい。なんで、どうして、こうなった?

 思考が散漫な中、ただひとつ言えるのは、私が私をどうにかするしかないということ。

 医師は「何も考えずに好きなことだけをして休んで」と言っていたけれど、好きなことをするにもお金がかかる。それどころか、生きてるだけでお金がかかる。傷病手当が出たところで、微々たる貯金を崩すことに違いはなく、もし治らなかったらと考えると不安が纏わりついて、また私を仄暗いところへ連れて行った。その繰り返し。

 喜ぶべきなのか、ダイエットを意識していた時は頑なに減らなかった体重が、最近五キロ近く減っていた。食欲がなく、食べても吐いてしまうのが原因だろう。処方された漢方薬を服用するようになってからは吐かなくなったものの、食欲は戻らず、一日一食すればいい方だった。

 しろかべちゃんとしばし見つめ合ったあと、お腹がへった気がして、のそのそとキッチンへ向かった。冷蔵庫には調味料類の他は、飲みかけの豆乳と豊潤サジー、あとは賞味期限切れの豆腐と納豆しかなかった。

 久々に外に出た。昼食はそうめんにすることにした。すっぴんだったこともあり、スーパーではささっと買い物を済ませて帰った。

 外の空気を吸ったからか、少しだけ調子が戻ってきた。薬味に葱と茗荷、付け合わせに胡瓜とミニトマトの酢漬けを用意した。ありふれてるかもしれないが、自炊するだけでもえらいのに、薬味や付け合わせまで用意したのだから、私ってばとってもえらい。えらすぎる。

 せっかくなので木製のトレイに乗せて、箸置きも準備してみた。そうすると今度は写真が撮りたくなった。食器の配置を気にいる位置に整えて、何枚か角度を変えて撮影してみる。うん、いい感じだ。ささやかだけど、丁寧な暮らしをしている気分になる。

 いくつかSNSのアカウントは持っているが、その中の動物やインテリアなどを見るだけのアカウント(いわゆるROM用)を開き、ハッシュタグを一丁前に付けて投稿してみた。フォロワーがほとんどいないのも気楽でよかった。すると、すぐさま反応があり、投稿にコメントが付いた。

 やたら絵文字が多いそのコメントは全文が英語で、世界のどこかの知らない誰か(もしくはbotかもしれない)のあまりにも素早い反応に、私はひとり「誰だよ」とごちて、口の端を僅かばかり上げたのだった。

 それからというもの、気ままに自炊をしては、写真に撮ってSNSにアップするようになった。フォロワーがいないので壁打ち状態だ。だが、それがいい。凝った料理なんて作れないが、それでも自分の食べたいものを思い立ったがままに好きな時に好きなように作るのは楽しく感じられた。心の動きが鈍くなった私にとって、それは人間らしさを取り戻していくような、以前の自分に戻りかけているようなそんな気がして、まるでリハビリにも似た感覚でキッチンに立った。

 食べることは生きること。まだこの世からふっと消えたくなる気持ちは消せず、仄暗いものがすぐそこにある感覚も拭えないけれど、私はとりあえず今日も寝て起きてさまざまな考えごとをして、時々本を読んで、好物のチョコを食べて、癒しの音楽を流して、毎日ではないがソシャゲにもログインする。

 復職か転職かを考えるとお腹を下すので、この重大な決断はしばらくおあずけにすることにした。

 時間がたっぷりあるので、今の自分の状況や思考、想いごとをぽつぽつとiPhoneのメモ帳に記しておくことにした。それらを繋げて手直しをしたのが、今回のnoteだ。ここまで読みにくかったかもしれないけれど、読んでくれてありがとうございます。私の今日のメニューもそうめんです。最近はそうめんのアレンジにハマっています。そうめんに生かされている、そんな近況報告。

 さて、私は目覚めるとしろかべちゃんに挨拶をすることが欠かせなくなった。枕元にいる推しのぬいちゃんには当たり前のように挨拶していたけれど、ぬいちゃんが愛すべき小さきいのちだとしたら、しろかべちゃんは家の守り神のような存在なのである。自分でも何を言っているのかよくわからないが、私は今住んでいる1Kの部屋を気に入っていて、しろかべちゃんは部屋とか生活とか日常とかそういうものの象徴なのかもしれない。

 生きづらい私がなんやかんや頑張って今日も生きて、住処にしている場所。真っ白で、天井が高く、居心地のいい部屋。ミニマリストにはなれないけれど、なるべくすっきりと暮らしたいから家に置くものは厳選している。余白が多く色の情報量が少ない部屋は、それだけで安心する。なんとなく、目にもやさしい気がしている。

 これからの私についてはわからない。勢いでnoteを始めてみたものの、明日にはこの記事を削除したくなっているかもしれない。ネットの海に何を垂れ流しているのだと我に返り、胃を痛くして頭を抱えているかも。

 まぁ、その時はその時で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?