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私が定年退職を決めたわけ

プロフィール欄にもあるように、42年勤めた職場をリタイアしました。職場の再雇用制度もあるのに「定年退職」を選んだ理由を書いておきます。
参考になる方・ならない方、いらっしゃるでしょうが、ひとつの考え方としてお読みください。

時間って案外と短い

先の生き方を想像するために、まずは自分の人生を図にしてみました。
20代から今までサラリーマンとして家庭人として「仕事」しています。

「残り(あるとして)」の年数をどう過ごすかを考えたとき、目の前に『定年』という選択をできる節目がありました。
20年後の自分は生きてないかもしれない。10年後もあやしい。そんなことを言っていたら…このままで満足して死ねる?何をしたいの?何かしたいことはないの?今の仕事中心の生活スタイルを続けることに満足?金銭的に余裕があるの?(ないでしょ)。
昭和後半から平成後半を最盛期として過ごした私には「転職」「フリーランス」の選択は想定にないのです。ですから、何も準備はしていません。

何をしたいかわからないけど生活のために、今までのスタイルを続けると、不満が残りそうかもしれないと思っていたタイミングに節目が重なったのです。

心の満足と煩悩の充足

42年間やってきた仕事や職場に大きな不満があったわけではありません。誇れる仕事だと(今でも)思っています。また仕事を通して、いくつかの痕跡も残せたと(自分なりには)思っています。
でも退職の決断は「自分のため」の時間をとるために、これまでとちょっと視点を変えたいと思ったことからの答え。

誰の都合で時間を使うか

仕事をしている時に心がけていたひとつが「その行為は誰の都合?」。
自分の都合で考えていることなのか?上司なのか?会社なのか?それともお客様・取引先か?を問うて何かをしてきたのです。悲しいかなサラリーマン(組織人間)には自分都合はいつも後回しにしていました。
だから、これから先の残りの時間は 自分の都合 で使いたいのです。

写真>来島海峡大橋(2018年撮影)

「ドライブ・マイ・カー」を見た

濱口竜介監督の映画『ドライブ・マイ・カー』を見たときに、自分の感覚といろいろな場面が重なってきました。特に映画の終盤にある劇中劇のワーニャ伯父さんへのソーニャのセリフもその一つ

ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。 運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年を取ってからも働きましょう。 そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう。 そしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、涙を流しましたって、つらかったって。 すると神様はあたしたちのことを憐れんでくださるわ、そして、ワーニャ伯父さん、伯父さんとあたしは、明るい、すばらしい、夢のような生活を目にするのよ。

『ワーニャ伯父さん』浦雅春訳 光文社古典新訳文庫より

素晴らしい映画でした。
でも私は 劇中劇の彼らのようには できません。
「苦しみましたって涙を流し、つらかったって神様に申し上げる」よりも、生きている間に「いっぱい楽しんだ」って思って死にたいから。自分が一番で、家族やまわりの人々にも「彼は満足して死んでいったね」と思ってもらいたい。もちろん上の引用にあるように「ほかの人たちのために、働きましょう」は耳が痛いのですけれど。

舞台が開幕すると、ロビーでは

勤務していた職場ではステージ企画の事務局も何年・何度か担当をさせてもらいました。
開演前の道具の搬入から開演時のもぎり、お客さんの誘導。そして舞台の幕が上がるとロビーでは終演後の物販準備やアンケート回収準備、撤収準備に取り掛かかります。段取りよく事をすすめないと終わりの時間はどんどん迫ってくるから。またお店のマネージャーもやりました。朝の営業前の作業から開店して閉店し、金庫を締めるまで。終わる準備をしながら限られた時間を使うのです。満足して終わるために準備をするのです。

人生も同じのではないだろうかと思うのです。でも、終わりの時間がわからないから、準備ができないままでその時を迎えるかもしれません。
だからこそ、節目をきっちりと自分を見つめるために使いたいと思うのです。そして、それが、私が「定年退職」を選んだわけなのですから。

「終着駅」は節目…そこから次の移動手段に乗り換えます=写真は長崎駅


◆もしこの記事で、自分はどうしようかな・と悩んでいたあなたが、「へぇ、そんな考えもあるんだ」と思ったら「すき」を押してください。私も私自身の終わり方をきっちり準備したいですから。


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