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「自己満足のすゝめ」 TOEFL38点の元ミスター慶応がAIと出会って、パリにある世界最大のインキュベーション施設にグローバルAIスタートアップを作った話

ヤマモトコウヘイ。男性。30代。京都生まれ、練馬育ち。AIスタートアップ起業家。元準ミスター慶應(自薦)。バッド・フェミニスト。

今日は、20歳まで日本から出たことがなく、25歳の時に受けたTOEFLは38点というThe ジャパニーズの僕が、AIと出会い、世界トップレベルの研究所から人が集まるグローバルAIスタートアップを作った話について書こうと思う。

正直タイトルは、自分なりにはかなり釣りにいった。大学の時から体重が30キロ増え、紛うことなくつけ麺屋大将化した今となっては、ミスター何某的な黒歴史を引っ張り出してくることは憚られたが、使えるものは全て使うしか無い。

これは僕の個人的な記録をまとめたものだが、この雑多な記録が誰かの何かの一つのきっかけになることを祈っている。そして、僕自身の何かのきっかけになることも。

初めての世界

2011年3月。未曾有の大災害を前に、日本は大きな試練を迎えていた。日々増え続ける死者や行方不明者の数。メルトダウンによる健康被害への恐怖。計画停電の影響もあり、人々の心情を映すかのように東京の街は暗かった。

震災の傷跡冷めやらぬ東京。僕は全く異なる理由で、一人勝手に大きな試練を迎えていた。

元々、ある大手企業に内定が決まっていたのだが、自分自身のやりたいことや理想とのズレを感じ、半年前に内定を辞退していた。大学1年生の頃に起業に挫折したことから、30歳までは、あらゆる方法で起業のための準備をしようと考えていた僕は、安直にも、卒業後、起業の聖地シリコンバレーへ行く計画を立てていた。

もちろん、両親には言っていない。言えるはずがなかった。

両親は、それまで浪人留年フルコースのドラ息子がやっと大企業に真面目に就職すると聞いて、僕がこの世に生を受けた時以来の喜びを僕の就職に感じていた。

そこに来て、未曾有の大震災である。加えて FYI、父はがんで入院中。病床の父、絶望に打ち拉がれる母に「必ず強くなって...いつか......帰ってくるから。I'll be back.」と心で別れを告げ、僕はシリコンバレーに旅立った。

口か技術か

シリコンバレーでプログラマとして働き始めた僕は、光の速さで現実を目の当たりにすることになる。情けない話だが、正直、周りの人たちが言っていることが、ほとんど何も分からなかったのだ。

ロバート・ヒルキの直前の技術という神がかった本のおかげで、TOEICで中途半端に良い点が取れていたせいで、英語はまぁ大丈夫だろ。と謎の無双感に包まれてシリコンバレーに渡ったが、恐ろしいまでに全く大丈夫ではなかった。大袈裟だと思うかもしれないが、これはマジだ。マジ卍で、信じがたいほどに周りが言っていることが分からず、お地蔵さんをキメ込むより他なかった。

もし僕の技術力が圧倒的だったら、何とかやりようはあったのかもしれない。でも当時の僕は、技術も中の下。何というか。。。詰んでいた。きれいなまでに。啖呵を切って初めて飛び出した世界。あまりにもほろ苦い世界デビューだった。

後から振り返ってみると、ある意味これが、マイノリティや弱者というものについて僕が自覚した初めての瞬間だったのかもしれない。もちろん当時はそれをきれいに言語化できていたわけではなかったが、この経験が、スティーブ・ジョブズが言う所の「Connecting the dots」の一つの点になったことは間違いなかった。

世界で戦うには、口か技術。少なくともどちらかで世界トップレベルのような圧倒的な存在になるしかない。

口(英語とロジック)を圧倒的に磨くべきか。技術を圧倒的に磨くべきか。今までの人生を振り返ると、口はほっといてもなんとかなりそうなイメージが持てるのに対し、技術はほっといたら絶対なんにもならないことが分かっていた。結局、技術で圧倒的にならなければ、いくら口が達者になったとしても、最先端の技術を用いたサービスを構想することも、トップレベルの技術者を率いることもできないと思い、無謀にも、技術でトップを目指すことにした。

AI研究の世界へ

早々に日本に帰ってきて、今度は技術でトップを目指すと言う僕を見て、両親は目を皿にしていたが、もうこの頃からは半分諦めていただろう。この子にはもう何を言っても無駄だ。ヤマモト一族における僕は、一貫して「生きてはいる。でもどこで何してるのかよく分からん」という謎の未確認生物的扱いだった。(今でもまだ多少そういうとこある。)

まぁそれは仕方ない。正直自分が親族でもそう思うだろう。こいつの人生は支離滅裂だと。でも、少なくとも自分自身は、どんな時であっても自己の満足と真剣に向き合い、その瞬間瞬間でベストだと信じる選択を行っていただけだった。

日本に帰国後、AIの研究をするため、東大情報理工学系研究科中山研究室(Machine Perception Group)に入った。今でこそAIは学術的にも産業的にも大ブレイクしているが、当時はまだ決してブレイクというような状態ではなかった。

AIのブレイクは12年秋にILSVRCという一般画像認識の世界的なコンペティションでDeep Learningという技術を用いた画像認識手法が、従来の画像認識手法の精度を10%以上引き離して優勝したことに起因する。

この時の世界1位は、AI業界では誰もが知るDeep Learning(深層学習)の生みの親であるトロント大学のHinton先生のチームだったわけだが、その時2位だったのは、中山先生が博士を取得した東大ISI(当時 國吉原田研究室)だった。

このような背景があり、僕は幸運なことにDeep Learningにかなり早い時期から取り組み始めることができた。

元々研究者になりたくて大学院に入ったというより、起業を見据えて大学院に入ったので、それを実現するために以下の2つのポリシーを定めて研究を行った。

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当時Deep Learningはかなり新しい技術であったこと、Webや広告で価値を生み出す、というようなプラグマティックな研究はなかなかアカデミアの世界で理解を得難い部分があったことから

「Deep Learningみたいな新しい技術は、3年もしたら誰もやってないよ。」

とか

「君は、GAFAの犬になるために研究をしているのか。」

とか、(中山研ではない)研究発表の場で散々言われたこともあったが、自分には目指す明確な目標があったので、ただ、ひたすら自分が求める研究に没頭した。

技術の頂き

研究の日々は、25歳までの自分が歩んできた人生とは正に真逆で、人生リア充グラフを書くとすると、こんな振れ幅大きくできる?ってくらい20代前半にリア充界の頂点にいた僕は、レペゼン非リアとなっていた。

ただひたすらチョコレート片手にキーボードを叩き続ける日々。飲み会なんて1年に2,3回ある研究室の催しくらいしか行ってなかったし、そもそも研究に没頭していた数年間はほとんど遊んだ記憶すら無い。

日々、知の世界や社会を少しでも前進させるために全力を捧げている研究者たちの名誉のためにも、その日々がリアルに充実していなかったとは決して言わないが、20代後半の僕は、世間一般から見たら紛うことなく非リアだったし、外見も気付いたら長州小力のようになっていた。

そうしてひたすら研究を続けるうちに、いつしか、共同研究として働いていたヤフージャパン研究所でDeep Learningを用いた広告のクリック率予測で特許を取得したり、Web・データマイニング分野の最高峰国際会議の一つであるInternational Conference on World Wide Web(通称WWW) などで研究発表を行ったりするようになっていた。

その後フランスに渡り、訪問研究員としてコンピュータサイエンス分野で世界トップレベルの研究を行っている仏国立情報学自動制御研究所(Inria)で研究を行った。

もちろん、その当時も自分の技術力が世界のトップになったとは、とてもではないが言えなかった。ただ、5年前シリコンバレーにいたときとは違って、僕の英語が拙かろうが、皆「これどうやってやるの?」と何でも熱心に聞いてくれるようになっていたし、産業とアカデミアの境界領域で研究を続けてきたおかげで、自分自身で先端AI技術を社会に実装していくことができるという自信はついていた。

東大・インリア発AIスタートアップ!

フランスから日本に帰国後、東大・インリア発AIスタートアップと銘打って満を持して株式会社コーピー(Corpy&Co., Inc.)を興した。10年前の挫折から起業のために積み重ねてきた準備を終え、まさに、30歳になるときだった。

ちなみに、東大やインリア時代の同僚が起業を手伝ってくれてはいたが、創業自体は自分ひとりで行ったので、東大・インリア発は両方自分だった。多少無理があるが、スタートアップは持ちうる全てのアセットを限界までレバレッジをかけて利用し尽くしてなんぼである。自分が培った技術と東大・インリアのブランドとコネクションを使って進めていけば、まずはなんとかなるだろうと思っていた。

もちろん不安もあった。直前までの数年間どっぷり研究の世界にいたこともあり、ビジネス側のニーズを十分に理解できていないという自覚があった。だから、まずは知り合い経由でAIシステムの受託開発を行いながら、AIをビジネスパーソン向けにレクチャーする(AI Dojo)ことで、Corpyのビジビリティを少しずつ向上させながら自分自身もビジネスニーズを学ぼうと考えた。

# ちなみに余談ではあるが、研究からビジネスの世界に入った時、数年間研究以外で人とまともに会ったり話したりしていなかったので、とにかく仕事以外も色々な人に会おう!恋愛もしよう!と思って、片っ端からデーティングアプリや婚活アプリをインストールした。日々、腱鞘炎になるほど右にフリックし続けたものの、残念ながらほとんどマッチしなかった。そんな折、婚活アプリの中で、リア充時代ミスター慶應の後輩だった岩ちゃん(現EXILEメンバー)のファンコミュニティのメンバー数が凄まじい数を誇っていることを発見し、マッチ数が片手で数えるほどしかない自分が脂肪を蓄えている間に凄まじい差がついたものだなぁと感慨深く絶望し、ぴえん超えてぱおんするなどした。

思てたんと違う

起業から最初の1年間は、ほぼ個人事業主のような状態で過ごした。いざビジネスの場に来てみると、先端技術を実際のクライアントバリューに結びつけお金にすることの難しさをより痛感したが、個人事業主としてであれば、ある程度塩梅がつかめてきた頃だった。

ただ一方で、このままではビジネスとしてスケールしないということも明白だった。これはスモールビジネスとスタートアップの違いでもあるが、スモールビジネス的にAIビジネスのレクチャーやコンサル、システム受託を行えば、ある程度のところまで稼げるとは思ったが、既にAIスタートアップは雨後の筍のように生まれていたため、差別化がかなり難しくなっていた。

これは、自分が起業家として本当に目指していたことなのか、判断を迫られていた。

更に、僕にとって困難だったのは、人だった。経営者が悩むことと言えば、大きく分けて、人、金、事業の3つだと思うが、僕にとっては人が最も困難に思えた。

優秀なAI人材はどこの企業も喉から手が出るほど欲しいという状況で、完全なる売り手市場だった。名も金も安定もないスタートアップが優秀な人を集めることは果てしなく困難に思えた。

頼みの東大・インリア発も、社長1人の零細企業には虚しく響き渡るだけで、あの手この手を使って採用に奔走したが、ひたすら振られ続け、最初の1年半は、一人のフルタイムエンジニアさえも採用できなかった。

人がここまで採用ができないということは、完全に想定外だった。にっちもさっちもいかない状況で、オフィスはいつもキーボードの音だけが虚しく鳴り響いていた。

フェミニズムとの出会い

少し想像してみてほしい。

日本のみならず世界中に数多あるAI企業の中で、本郷の片隅にあるフルタイムメンバーが社長とバックオフィスの2人しかいないAI零細スタートアップに、なぜ優秀な人がわざわざ入る必要があるのだろうか。

その明確な理由が必要だった。そのためには、会社のミッション、ビジョン、そして僕自身の事業や組織に対する考え方を、より明確に定める必要があった。

そんな時に出会ったのがフェミニズムだった。

きっかけは、何のことはない。彼女がフェミニストだったことに起因する。正直、それまでほとんど男女差別や平等について考えたこともなかったし、差別の存在を意識することさえもなかった。

むしろどちらかと言うと、研究生活でクリティカルシンキングが染み付いたせいもあって、「平等のような分かりやすい社会的正義を振りかざすことの危険性は。。」とか、「いやいやいや、そんなの机上の空論で、こうでこうでこうでこうだから、それは矛盾している。」と、逆にマンスプレイニング(Mansplaining)を披露するようなタイプだった(もちろん無自覚)。

しかし、彼女からフェミニズムの話を聞くようになり、単純に彼女が感じていることや考えていることをもっと理解したかったので、自分でもフェミニズムについて勉強を始めた。フェミニズムから僕が学んだことは計り知れないが、一言に集約すると、

強者(マジョリティ)とは、弱者(マイノリティ)のことを気にしなくて済む特権を持った人たちのことである。

と認識できたことである。僕は決して、性差別をせず平等な考え方ができるより優れた人間だとマウンティングをしたいわけではない。平等は常に多くの矛盾を孕んでいる。近年重要性が声高に叫ばれている多様性も、ある側面から見ると主観でありコストであり、絶対的な多様性や平等は存在し得ないし、許容し得ない。

しかし、それでもフェミニズムは、多くの自己矛盾を抱えながらも、マイノリティがより理想的だと信じる世界を実現するために闘ってきた歴史であり、それこそスートアップで僕が目指していくべき姿勢なのではないかと思えた。(ここら辺は文字数的にこの記事に収めることはできないので、フェミニズムから僕が学んだことは別の記事でまとめる。)

フェミニズムは、少しずつ僕の思考と行動を変え、Corpyの組織哲学を形作っていった。そして、それはCorpyの最も強い求心力の一つとなり、思いがけない形で花開くこととなる。

技術 ミーツ 現実

AI教育研修(AI Dojo)とAIシステムの受託開発をコツコツと続けていた僕は、ある時、大学時代の友人の武藤くんが、難病に指定される病「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」になったことを知った。

ALS患者は、手足の麻痺などの運動障害からはじまり、病が進行すると、声を発することや呼吸することすら難しくなっていく。体の感覚や意識、思考はそのままであるにもかかわらず、体だけが徐々に動かなくなる。意識があるのに意志を伝えることができなくなる恐怖。昨日までできたことが明日もできるとは限らない。ALS患者は、日々、自らの命の意味と闘っている。

発症してからの平均的な余命は3~5年だという。武藤くんは、闘病をつづけるかたわら「WITH ALS」という団体を立ち上げ、同じ境遇の人たちのために活発を活動を行っていた。

僕は、人生を通して、事業を通して、何ができるんだろうか。何をしたいんだろうか。

彼の存在は、僕を現実に向かわせる大きな原動力となった。そんな中、僕たちは医療機関と協業する機会を得て、MRIやCT画像から病変を検出したり、診断をサポートするAIの研究開発を開始した。

ALSは、現代においても有効な治療法が解明されておらず、その病気の謎を解明する研究は、AIをもってしても容易ではない。しかし、その一方でAIで救える命が、間違いなくあることも日々の研究開発の中で分かりはじめていた。

それはまさに、技術がリアルな社会的価値と結びついた瞬間だった。

技術に携わっている者の使命として、技術で解決できるはずのこと、やればできることを他でもない僕たち自身が責任を持ってやらなければいけない。

Corpyとして何をしていくべきなのか、Corpyのミッションとビジョンが少しずつ形を成そうとしていた。

ミッションとビジョン

僕は、Corpyのミッションを、

「先端AI技術で人命を救い、平等を拡張する」

ビジョンを、

「ミッションクリティカルAIの実現」

と定めた。

ちょwおまww 人命を救い平等を拡張する?ミッションクリティカルAI?何を大上段に構えてるんだよ。と思うかもしれない。でも、これは、自分が20歳のときに起業で挫折し、20代半ばでシリコンバレーで更に挫折し、ゼロからAIの研究の世界に入り、その後、AIビジネスの現場とひたすら向き合ってきた中で見い出した、絶対に僕たちこそが解かなければいけない課題だった。

AIDXがバズワードとなり、ビジネスシーンで1日も聞かない日がないほど浸透した今でも、実はミッションクリティカル領域に、機械学習のような不確かさを含むAIシステム(以下、MLシステムと呼ぶ)はほとんど導入されていない。

もし導入されていたとしてもそれは本導入ではなく、PoCやテスト導入、一部導入であることがほとんどだ。ガートナーのハイプ・サイクルでは、2018年秋にAIが期待期から幻滅期に移行したが、その一因は、結局MLシステムがほとんど本導入に至らないからである。

しかし、真の意味で人々がAIの恩恵を受けるためには、自動走行やがん検出のようなミッションクリティカル領域にMLシステムを本導入していくことが不可欠だ。

もともと医療関係者でもない僕たちが、ビジネスで医療を扱うことが途方もなく難しいことは、ベンチャーキャピタルや投資家に30回以上ピッチして得たリアクションから分かっていたし、資本主義のビジネスの世界で、平等を追い求めることの矛盾も理解している。特に、リソースが足りない中で、一点突破で高いモメンタムを保って勝負をしなければならないスタートアップは、同質な組織のほうが都合が良さそうなことも分かっていた。でも、それでも、起業家の端くれとして、自分自身に問いたかった。

僕には、実現したい理想がある。人命を救うことに少しでも貢献したいし、より平等が拡張された世界を見てみたい。分かりやすい社会的正義を振りかざすことの気持ちよさとその弊害は痛いほど分かる。一つの単純明快な正解がないことも。でも、その綺麗事に、一つ一つ根を下ろし、愚直に自分たちなりの解を示していきたい。

もし、選択と決定の自由が与えられている起業家が、自分の理想や考えに対してポジションを取らないのであれば、また、その実現のために全力を尽くさないのであれば、一体誰がやるのか。

現実と理想と向き合う日々の中で形成されていった組織哲学、ミッション、ビジョンとともにCorpyは少しずつ前に進み始めた。

パリ・サンジェルマンと運命の財布

2018年秋のことだった。立て続けに2件、世界大学ランキングで常にトップ10に入るイギリスの名門大学のコンピュータサイエンス修士でAIの研究をしていたフランス人学生2人から直接会社宛に応募のメールが来た。

最初は、スパムか何かの間違いかと思ったが、よくよく見ると真面目な応募のようだった。当時、まだフルタイムは僕を含めて2人。あとは、インターンで手伝ってくれている大学院生と業務委託のメンバーだけ。

「どう考えても、非現実的だと思いますよ。」「日本語話せないですし。」「ビザを取得したいだけってことはさすがにないですよね?」

確かに、日本語が全く喋れないトップスクールのAIエンジニアを採用することは、Too muchだとも思えたし、そもそも実際うちに来てくれるかどうかも疑わしかったが、とりあえずオンラインでインタビューをしてみることにした。

そしてオンラインインタビューを終えた僕は、自分自身に問うた。

お前は、真にグローバルスタートアップを目指すのか。掲げたミッションを本当に目指していくのか。それとも、そこから目を背けるのか。

3日後...

僕は、フランスのパリ・サンジェルマンにいた。(周りには黄色いベストを着た人たちがたくさんいた。)

そう、彼らを直接口説き落とすために。クレイジーだと思われるかもしれないが、自分の中では、完全に絵が描けていた。パリ・サンジェルマンのカフェで、Corpyのミッションとビジョン、事業内容、構想の全てを語った。

そして、僕が日本に戻る頃には、彼らからサイン済みの契約書が届いていた。さらに嬉しいことに、彼らはもう1人大学院の仲間を呼んできてくれた。

2018年冬。年明けから突如グローバルスタートアップになることが決まったのは良いが、それに対して明らかにプロジェクトの受注が足りていなかった。というか、そもそもそれを進めるためのパートナー企業がいなかった。

アイツラにぶっこんだはいいものの、さて...どうするか。

そ の 時 で あ る 。

1年前に財布を拾って持ち主に届けたのだが、それが偶然、某大手モビリティ企業のAI研究者の方だった。財布を拾った当時は創業して間もない頃で、モビリティの仕事など全くしていなかったので、そこまで気にもとめなかったのだが、偶然その方から、メッセージが来た。

つくづく思う。自分にはどれだけ「Connecting the dots」の点が運良くポンポン来てくれるのかと。そこから、共同プロジェクト開始までなんとか2週間で持っていった。

ちなみに、その共同プロジェクトのキックオフミーティングは、フランスから来た彼らがCorpyで働き始めた2日目の仕事だった。(今だから言えるけど、そうでしたすみません。)そのうち一人のメンバーは、世界中で誰もが知るその企業とのミーティングが誇らしかったらしく、

「ママに自慢する。」

と会社の看板の写メを撮って送ったりしていた。

嬉しいことに、この企業とのプロジェクトはその後発展し、今でもずっと続いている。

スタートアップの起業家に求められる力は色々あると思うが、最も重要な力の一つは何か。それは

とりあえずぶっこむ、その後、全身全霊で帳尻を合わせて正解にする

力だろう。英語でこれを 

Fake it till you make it.

と言う。東大・インリア発も最初はかなり無理があったが、今となっては東大やインリアのメンバーが会社の中にたくさんいる。

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フェミニズムから形作られた組織観、そして、ミッション・ビジョンに共感する仲間たちが集まり、気付けば人が人を呼ぶようになっていた。そして、僕たちは日本発のスタートアップとしてはおそらく初めて、パリにある世界最大のインキュベーション施設であるStation Fに採択されるスタートアップになった。

自己満足のすゝめ

人生は、日々の決断の積み重ねによって形作られる。それが意識的であろうが、無意識的であろうがだ。日々の決断の中で、僕が常に重要視していることがある。それは、自己の満足と向き合うことだ。別に、利己的な人間になれと言っているわけではない。ただ、結局、

自己の満足に対して真剣に向き合わずに、人は幸せになることはできない。

これは、僕が自分の人生を通して学んだもっと重要な原則だ。僕のように好き勝手生きていると、人からよく言われることがある。

「自分のやりたいことが分からない。あなたはやりたいことがあって良いね。」

でも、正直に言ってしまうと、僕は、ただ自己の満足と徹底的に向き合って、それに従って人生を選択してきただけだ。最初から何か明確なやりたいことがあったわけではない。20歳の頃、人命が救いたいと思っていたわけではないし、AIの研究をするなんて考えてすらいなかった。もちろん、世界からトップAI研究者が集まるスタートアップの経営者になるなんて、全く。

目標を言語化して立てることは大事だ。言語化されてないと人はそれを自分で意識することも、他人に理解してもらうことも難しいからだ。

でも、それよりももっと大事なこと。それは言語化できない自己の満足とひたすら向き合うこと。そして、そこに対して常に揺るぎない態度を持つことだ。あなたの真の満足を知っているのは、あなたの心だけなのだから。それを大事にし、誇りを持って欲しい。

そして、それに従って行動していけば、きっとあなたの点は繋がっていくのだと思う。あのスティーブ・ジョブズがそう言ってるのだから、きっと繋がる。

そうそう、21歳で一般教養を1単位落としたせいで留年したときに、偶然目に入ったミスター慶應コンテストに署名500人分を集めて自薦で出たことだって、当時は、いつかこれがネタで使えるはずだと思っていただけだが、この記事によって繋がった。いや全然繋がってないか。

とにかく、重要だから最後にもう一度言う。大事なのは常に、あなたの自己満足だ。人のためだ社会のためだ常識はこうだと目を背ける必要はない。答えは常に、あなたの自己満足が教えてくれる。

僕はこれからも、仲間とともに、正々堂々と自分たちの満足を徹底的に極めていくつもりだ。

人命を救い、平等を拡張する。そして、そのためにミッションクリティカルAIを実現する。僕たちが行っている事業はすべてここに繋がっていく。

これが、僕たちの自己満足だ。

この記事が、あなたが自己の満足と真剣に向き合う一つのきっかけになることを祈っている。

あなたの自己満足は、なんですか?

(※ Corpyは自己満足を極めたい人を募集しています。)

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Founder & CEO of Corpy&Co., Inc. 東京とパリでAIのスタートアップを経営しています。興味ある方は僕のtwitterに直接DMください。 https://corpy.co.jp https://twitter.com/KoheiYAMAMOTO15
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