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2020/06/11 哀悼

 今日は少し寂しいお話。5月4日。古くからの友人が亡くなった。肺炎ではない。突然の連絡。何の因果かその友人らと同じコミュニティーの中でその知らせを受け取ったのは僕が最初だった。何人かに電話をかけると、時期も時期だったので当たり前だがコロナ自粛の情報交換(調子どう?的なやつ)だとやっぱり思われてしまって、明るく電話に出る仲間たちに自分の口から訃報を伝えるのはなかなかにヘビーだった。その頃は芸能界では志村けんさん、そして音楽界でも偉大なレジェンドたちが相次いでコロナに倒れ、またライブの機会を失ってから2ヶ月以上が経ち、やり場のないストレスや哀しみが心を埋め尽くしていた。僕らの心は想像以上にボロボロだったのだ。

 長く生きていればいつかは仲間、友人を亡くす時も来るのだろう。そのとき僕はどんな気持ちになるんだろう。どんな涙を流すのだろう。そんな事を考えた事もあった。しかし現実になるのが早すぎた。僕はそれからの数日間本当に毎日、たくさんの涙を流した。そんな中でも支えになってくれたのが仲間たちだ。訃報を受け取ったその日から毎日テレビ電話をして思い出を語り合い、馬鹿話をし、共に涙を流した。本当に皆が皆に救われていたことだろう。誰も電話を切りたがらないからね。

 にしてもタイミングが悪い。緊急事態宣言真っ只中の東京にいる僕と数人の仲間は関西で行われる通夜・葬式にも行けない。というかそもそもコロナ自粛がなかったらこんなことにはなっていなかっただろう。そう思えば思うほど胸が引き裂かれるような思いだった。

 僕は訃報を受け取った翌日から曲を書くことに気持ちをぶつけた。失った仲間がネットの海に遺したプレイをサンプリングして。青春のサウンドを全部詰め込んだ曲を作った。それはリリースすることも無ければ、きっとデモから先に進むのにすら多くの時間を要するものだと思う。でも遠く離れた東の果てで彼を弔うにはこれしかなかった。無心で作った。いつか、いつの日か皆で演奏できたらいいな。いつになるかは分からないけど。

 そして今、緊急事態宣言は解除されたが未だ都道府県をまたぐ移動は気が引ける。いつになったら彼に会いに行けるのだろう。いつになったら皆で集まり酒を酌み交わせるのだろう。それなのにやんわりと日常が戻りつつある。それでも掛け替えのないものは戻ってこない。このまま、また忙しくなって焼香のひとつもやりに行けないようじゃ本当に困る。

 きっかけとしては最悪だったが、それでも久しぶりに顔を合わせる仲間たちとハタチの頃の思い出話なんかをしている中ではたくさんの笑顔もあった。活動の場は細分化されども、全員が音楽を続け活躍しているのは素晴らしい事だ。皆、歳も取ったし人間的に成長もした(気がする)。必ずやみんなでまた集まろう。そしてあいつのとこ行って、飲もう。馬鹿騒ぎしながら。

 その日くらいは酔いどれ安藤が顔を出してもばちは当たるまい。

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