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【文学紹介】アサガオと暁の空の色 秦観 牽牛花

1:はじめに

こんにちは。8月に入りいよいよ暑さも本格化してきました。上海でも蒸し暑い日が続いていますが、まだ比較的涼しい明け方の時分には、窓をあけて我慢できる範囲で夏の暑さを味わいつつ、朝の雰囲気を楽しんだりしています。

夏の日の朝がそこまで嫌いではないのは、小さい頃の夏休みの記憶が大いに影響しております。

今回のタイトルにもあるアサガオも小学生の時に学校から種を配られて育てていました。夏休みの宿題です。
大して上手に育てられた記憶もないのですが、ただやっと咲いたアサガオの花の朝日に照らされた紫色や青色がとても綺麗だったのを今でも鮮明に覚えています。

by lily yang@Pixabay

今回紹介する詩は大学生のときに出会った作品なのですが、読んだ時ふと昔見たアサガオの花の色が浮かび上がってきました。よければぜひ見ていってください。

2:秦観について

まずは恒例の作者紹介と時代背景の解説です。

秦観は北宋時代の政治家、文学者です。
江蘇省高郵の出身で、若い頃より蘇軾と交流があり、彼の推薦で太学博士や国史院編集官などの職を歴任します。

秦観(Wikipediaより)

彼自身、若い頃より学を積みながら進士となることを目指し、同時に交友関係を広げて詩文を作り、その才をアピールして知遇を得ることを目指しました。蘇軾との出会いもこうした活動の中でもたらされたものです。

これは秦観に限った話ではなく、宋代で進士を目指す人間には一般的なことでした。
特に詩文を介して自身の才能や知識、志を訴えるという行動は、現代の詩と比べ「社会的」な側面が強く、現代にはあまり見られない要素だと思われます。

時に自身をアピールする詩を作り、また時には知見を広げるべく回った山水の様を詩に作り、またある時は官僚としての浮き沈みや挫折感を詩に作る。
そういう意味では、このような背景で書かれた詩は非常に宋代士大夫らしい詩であるといえます。(宋代士大夫である秦観が書いたため当然と言えば当然ですが・・)

なお蘇軾とは初対面ののち正式に彼の門下として認められており、黄庭堅・晁補之(ちょうほし)・張耒(ちょうらい)と共に蘇門四学士と呼ばれるなど、文学の才能は当時から評価されていました。

蘇門四学士

蘇軾も彼の才能を高く評価しており、その交流は終生にわたって続きます。
では、そこまで彼の詩を特徴付けていたものは何だったのでしょうか?

3:詩と詞の接近

秦観の文学を語る上で重要なのが、詩と詞で表現内容の接近が見られるという点です。

以前「詞」に関する説明をした際、「詩」は志や自然、友情など硬めな内容が、「詞」では恋愛やそれに紐づく花鳥風月など柔らかめな内容が詠まれることが多いという内容を書いたことがあったと思います。

宋代以降は「詩」と「詞」では語られる内容が明確に分かれていく、ということですが、秦観の文学においては逆にこの二者の接近が見られます。

例えば同じ題材を詩と詞で書き分けた作品があったり、後朝を連想させるかのような花の描写が印象的な詩があったりなど、明らかに「詩」と「詞」に差がないかのような作品が多数存在します。

例えば・・・

一夕軽雷落万糸,霽光浮瓦碧参差
有情芍薬含春涙,無力薔薇臥暁枝

【現代語訳】
昨夜雷と共に一斉に降った雨は上がり
朝の光が瓦に浮かび、その碧色がきらきらと輝く。
物憂げな芍薬は春の涙に濡れ
薔薇の花は枝を暁に力なく垂らしている

春日五首 其二

このような「柔らかい」作風は人々の印象に残り受け入れられてはいるものの、一部の文学者からは「女郎の詩」と言われマイナスな評価をされてもいます。(繊細でナヨナヨしている、という批判。現代なら確実に炎上していると思います)

この特徴はあくまでも秦観の文学の一側面でしかないのですが、詩としてはややイレギュラーな要素かつ人々の印象に残っている分、良くも悪くも目立ってしまったという感じかなと思っております。

ちなみに秦観は詞の名手でもあり、詞の発展を語る際に欠かせない人物だったりします。また師匠の蘇軾は逆に「詩」のように「詞」を作る、みたいなことをやってもいたりもします。

秦観の例といい蘇軾の例といい、これらは意図的に両者を接近させる文学実験だったのではないか、、と勘繰ってしまうのは僕だけでしょうか?そう考えると、とてもスリリングです。

4:次回に続く

今回も例の如く記事を前編後編に分けて紹介できればと思います。
後編も懲りずにご覧いただけますと幸いです!

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