Kohei-13

中堅リーマン。如水館高校野球部OB(11期生)。野球を科学する。キャッチング(フレーミング)にはうるさい。春と夏は高校野球呟き多め。鯉と熊を応援。スポーツを愛するおっさん。MLBとNBA二刀流(MIN推し)。アメリカ好き。NBA現地観戦と航平が夢。 またいつかアメリカに行きたい。

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中堅リーマン。如水館高校野球部OB(11期生)。野球を科学する。キャッチング(フレーミング)にはうるさい。春と夏は高校野球呟き多め。鯉と熊を応援。スポーツを愛するおっさん。MLBとNBA二刀流(MIN推し)。アメリカ好き。NBA現地観戦と航平が夢。 またいつかアメリカに行きたい。

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  • KOHEI ARIHARA #35

    同郷の星、有原航平。筆者の人生において、彼はどのような存在なのか、少しだけ語らせてほしい。①〜⑤

  • 如水館高校野球部

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準備不足にも程がある状態で如水館高校野球部の門を叩いた話。

 寒さも次第に和らぎ、春の訪れを少しずつ感じるこの時期は、4月から高校に入学して野球部へ入部しようと考えている球児にとって、期待と不安が入り混じってなんとも言えない緊張感を漂わせ、上下関係はどうだろうか?練習にはついていけるか?勉強はどれほど求められるのか?考えれば考えるほど無限に悩みが増えていく時期です。私も16年前に同じ経験をしましたが、私ほど実力もないのに何もせず強豪校の門を叩こうとした人間は居ないと思います。  この季節になると、毎年当時を思い出して笑けてくるので、少

    • 同郷の星、有原航平。筆者の人生において、彼はどのような存在なのか、少しだけ語らせてほしい。⑤

      ④はこちら 北海道日本ハムファイターズでなければ、この夢は実現しなかったかもしれない。 その後、早稲田大学からドラフト1位で北海道日本ハムファイターズへ入団し、素晴らしい6年間を過ごした後、彼は今、アリゾナでスプリングトレーニングに参加している。彼は今、メジャーリーガーになった。ここまで辿り着いたのは、間違いなく彼自身の努力の賜物であるが、昨今のプロ野球界を見ていると、本人の努力だけではどうにもならない部分があり、実際MLBに行きたくても行けないケースがあるのが現状だ。その

      • 同郷の星、有原航平。筆者の人生において、彼はどのような存在だったかを少しだけ語らせてほしい。④

        ③はこちらから 課題も乗り越え、夢の舞台で躍動する世代最強右腕。 平成21年(2009年)秋、新チームで正真正銘、背番号1のエースとなった航平は、最上級生としてチームを牽引していた。その実力はとどまることを知らず、秋の広島県大会優勝、続く中国大会は準決勝で島根開星高校に破れたものの、中国地区3つ目の枠で春のセンバツ出場が決定し、遂に念願の甲子園の切符を自らの手で掴んだのであった。 自らの手でと書いておりますが、広陵にはもうひとり、同学年の上野健太という素晴らしい投手がいま

        • 同郷の星、有原航平。筆者の人生において、彼はどのような存在だったかを少しだけ語らせてほしい。③

          ②はこちらから。 はじめて迎えた夏。そこに航平の名は無かった。 迎えた平成20年(2008年)夏。前年に野村祐輔(現:広島)や小林誠司(現:巨人)などを擁した第89回全国高等学校野球選手権大会で、惜しくも準優勝となった広陵高校は、当然今夏も広島大会優勝チームの筆頭候補だった。そんな最強軍団広陵高校で1年生投手が躍動し、再び注目の的になる。そんな妄想を抱きつつ、広陵のメンバー一覧を見渡した時、衝撃が走った。有原航平の名前がどこにもない…。  広陵へ進学する際に携帯電話は解約

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        準備不足にも程がある状態で如水館高校野球部の門を叩いた話。

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        • KOHEI ARIHARA #35
          5本
        • 如水館高校野球部
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          同郷の星、有原航平。筆者の人生において、彼はどのような存在だったかを少しだけ語らせてほしい。②

          ①はこちらから。 急げ、他校に奪われるぞ!如水館スカウトに有原航平を絶対に獲得しろと猛アピール、その結果… 平成18年(2006年)夏。世の中でハンカチ王子旋風が巻き起こっている頃、筆者は夏休みの間に航平本人はもちろん、航平のご両親やシニアの監督、コーチなどから情報収集した。といっても、単刀直入に如水に来いとは一言も言わず、野球を好きなのか、強豪校に進学する気はあるのか、すでに他校から話はあるのか、まずスカウトがその土俵に上がれる状態なのかをやんわり確認した。その結果はまだ

          同郷の星、有原航平。筆者の人生において、彼はどのような存在だったかを少しだけ語らせてほしい。②

          同郷の星、有原航平。筆者の人生において、彼はどのような存在だったかを少しだけ語らせてほしい。①

           令和2年(2020年)12月27日、北海道日本ハムファイターズからポスティングシステムを利用してメジャー挑戦を表明していた有原航平が、テキサス・レンジャーズと契約を締結した。彼にとって念願であり積年の夢が実現したこの日、筆者にとっても念願の夢が実現した記念すべき日になった。というのも、筆者は有原航平と同郷で、同じのクラブチームに所属した先輩であり、彼が幼い頃から数々の挑戦をずっと注目・応援してきた身であるのだ。とはいっても一緒にプレーした事はほぼないし、自慢するような関係性

          同郷の星、有原航平。筆者の人生において、彼はどのような存在だったかを少しだけ語らせてほしい。①

          夏の高校野球中止。

          もし身近に現役の球児がいたらなんて声をかけたらいいのかわからない 今まで想像すらしたことなかった事態 俺もそうだったがすべての高校球児が本気で甲子園を目指しているわけではないと思うけど、そんな奴らにも一つの区切りやケジメは必要だ こんな代替案も不可能などうしようもない極めて不公平な事態を、この世代にのみ背負わせる事が不憫でならない 俺は高野連が中止と判断した内容に少し疑問を覚える 学業あっての部活動、そこを厳かにしてまで開催するのはご法度だが 昨日の会見を見る限り、一番の

          夏の高校野球中止。

          背後から中田翔が!?色々カオスだった甲子園開会式の待機場所。

           2006年夏、第88回全国高等学校野球選手権大会の開会式に参加するため、全国の地方大会を勝ち抜いた代表校が、甲子園球場横にある阪神タイガース所有の室内練習場に集結していた。筆者も広島如水館代表としてそこに居たのだが、14年たった今でも鮮明に覚えているので(むしろ開会式本番はほぼ記憶に残ってない)、そこで起きた様々な出来事を書いていこうと思う。 ハンカチVSマー君。社会現象になった第88回甲子園。  その前に88回大会の概要を少し説明しよう。この大会は記憶に残っている方々も

          背後から中田翔が!?色々カオスだった甲子園開会式の待機場所。

          今更ですが、自己紹介します…

          みなさんお疲れ様です。kohei-13と申します。既に記事を4つ書いておりますが、今更ながら簡単な自己紹介をしていこうと思います。 略歴1988年生まれで、生まれも育ちも広島です。趣味はスポーツ、映画、旅行、音楽等、色々です。大学で少しかじってたので国際情勢とかも好きです。好きな国はアメリカです。アメリカのカルチャーが特に好きです。既婚です。好奇心は旺盛だと思います。調べだしたら止まらないタイプです。 以下何項目かピックアップします。 球歴最初は広島県廿日市市にあったナタ

          今更ですが、自己紹介します…

          立ちはだかった岩本貴裕擁する広島商業。それでも絶対甲子園に行けると信じた2004年夏。【後編】

          前編はこちらから。 遂に迎えた緒戦。 7分間シートノック、そして三位一体となった応援。これが威圧感満載の夏将軍だ。 2004年7月。遂に待ち望んだ如水館の夏が始まった。緒戦はびんご運動公園。この球場は如水館高校から距離も近く、幾度も練習や試合を行った、言わばホームのような場所だ。筆者はスタンド応援組でバカでかいメガホンを両手に持って待機していると、如水館のメンバーがグランドに登場した。彼らは表情や雰囲気が完全にいつものびんご運動公園とは違った本番モードであった。公式戦用のユ

          立ちはだかった岩本貴裕擁する広島商業。それでも絶対甲子園に行けると信じた2004年夏。【後編】

          立ちはだかった岩本貴裕擁する広島商業。それでも絶対甲子園に行けると信じた2004年夏。【前編】

            2004年7月。今から16年前、如水館高校野球部は第86回全国高等学校野球選手権広島大会の決勝を戦い、9-13で惜しくも広島商業に敗戦し3年ぶりの甲子園への切符を掴むことが出来なかった。筆者は当時一年生で、この先輩方は甲子園で必ず旋風を巻き起こすと勝手に思っており、敗退した現実をしばらく理解する事が出来なかった。   この記事では、筆者の2つ上の世代、甲子園には行けなかったが実力は本物だった三年生、如水館高校野球部第9期生の凄さを伝えていこうと思う。(16年前の出来事です

          立ちはだかった岩本貴裕擁する広島商業。それでも絶対甲子園に行けると信じた2004年夏。【前編】

          如水館高校野球部OBが2011年甲子園ベスト8に輝いた世代がいかに凄いか語る。

           1993年に創部された如水館高校野球部は、その歴史の中で夏の甲子園7回、春のセンバツ1回の出場を誇る県内では有数の強豪校である。 夏将軍とも言われた如水館は、1997年の初出場から夏3期連続出場や2009年の2日連続雨天中止再試合など、歴史の浅い高校ではあるが、高校野球ファンに少なからずのインパクトを与えてきた。そんな如水館が夏の甲子園でその名を全国に轟かせた年がある。それが2011年の第93回大会である。その大会で如水館は初めて夏の甲子園ベスト8まで上り詰めたのだ。 この

          如水館高校野球部OBが2011年甲子園ベスト8に輝いた世代がいかに凄いか語る。