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同郷の星、有原航平。筆者の人生において、彼はどのような存在だったかを少しだけ語らせてほしい。④

③はこちらから

課題も乗り越え、夢の舞台で躍動する世代最強右腕。

 平成21年(2009年)秋、新チームで正真正銘、背番号1のエースとなった航平は、最上級生としてチームを牽引していた。その実力はとどまることを知らず、秋の広島県大会優勝、続く中国大会は準決勝で島根開星高校に破れたものの、中国地区3つ目の枠で春のセンバツ出場が決定し、遂に念願の甲子園の切符を自らの手で掴んだのであった。

自らの手でと書いておりますが、広陵にはもうひとり、同学年の上野健太という素晴らしい投手がいました。航平の影には隠れておりましたが、彼の存在なくしてこの素晴らしい1年間を過ごすことはなかったと思います。現に秋の県大会では、航平はほとんど投げず、ほぼ彼の活躍によって勝ち上がっております。ちなみに上野君も航平と同じ中学校出身です。ただ、広島ヤングボンバーズ(硬式:ヤングリーグ)出身で中学校の野球部には所属していませんでした。つまり、面識は無いですけど一応筆者の後輩ですね(笑)

 平成22年(2010年)、その第82回選抜高等学校野球大会で、航平は大会屈指の右腕と評されるほどの活躍を魅せた。準決勝の日大三高に、雨の影響もあって惜しくも敗戦するが、準決勝含め、33回2/3を被安打26、奪三振37、自責点9(そのうち8点は日大三高戦)、防御率2.41という素晴らしい結果を残し、球速もMAX147km/hを計測した。航平の活躍もあって、2007年以来の春の甲子園で広陵高校はベスト4に輝き、再び名声を高める事になったのだ。筆者はすべてテレビ観戦していたが、航平に対して、この結果を裏付けるような、去年と明らかに違う変化を感じた。それは左打者に対する攻め方だ。

 昨年夏までは、主に左右の広いストライクゾーンを活かして速い球や鋭い変化球で抑えており、特に右打者に対しては内側に投げる球がシュート回転して食い込んでくる恐怖感も作用し、スライダーと直球のコンビネーションがかなり有効であった。ただ、左打者に対してはその恐怖感が比較的少ない事と、スライダーが見切られてカウントを悪くする事がぼちぼちあり、如水館の有山君のような強打者になってくると、投げる球が無いように感じる事もあった。しかし、センバツでの航平はチェンジアップを新たに習得し、左打者から三振を取れるようになっていた。新球種の習得によって、手詰まり感を完全に克服し、三振の山を築ける世代最強右腕へと成長したのであった。広陵高校は、センバツベスト4という実績を掲げ、万全の状態で最後の夏に挑むのであった。

航平最後の夏!そこに立ち塞がるは…やはりあの高校!

平成22年(2010年)7月10日。第92回全国高校野球選手権大会広島大会が開幕した。優勝候補筆頭の広陵高校は下馬評通り、順当に勝ち上がっていた。

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準々決勝まで、上野投手や2年生の川崎投手、上原健太投手(現:日本ハム)などが試合を作っており、航平の投げた試合は三次青陵戦(4回)、崇徳(5回)のみの9イニングと少なく、広陵高校の総合的な強さがここでも垣間見れた。

イニング数をセーブしていた航平ですが、実はセンバツの終わりから三次青陵戦まで、公式戦では全く登板していませんでした。センバツ後に肘を痛めていたのがその理由でしたが、三次青陵戦前にちらっと航平と話す機会があって、その時は「大丈夫大丈夫」と言っており、実際その試合も投げていたので、筆者的にはあんまり心配していませんでしたが、甲子園に行けば、斎藤佑樹並のフル回転もあり得るなと、若干不安には思っていました。

しかし、準決勝の観音高校戦はかなり危なかった。初回に先発の上野投手が崩れ一挙4点を献上してしまい、観音高校の勢いに圧倒されていた様や、広陵には思いがけないビハインドに弱いイメージがあったので、正直負けてしまうのではないかと危惧していたが、広陵自体は思ったより落ち着いており、じわじわと同点に追いつき、試合の流れが硬直してきた6回から航平が登板。エースとして完璧に観音打線を沈黙させて流れを作り、なんとか8回に2点を追加して勝利、2年連続の決勝へと駒を進めたのだった。

この大会の観音高校はかなり強かったです。特に準々決勝、中国大会の覇者で第1シード、92回大会広陵にとって最大のライバルと言われた広島工戦では、エース石田健大(現:横浜DeNA)から11点をもぎ取り勝利していました。勢いに乗じて一挙に得点するのが特徴で、実際広陵戦でも初回に一気に攻め立てました。筆者もこの試合は観ていたのですが、バッテリーの頭の良さ、勢いに乗った時のアルプスの大声援は凄まじく、かなり劇場型な試合を展開するチームで、観ていて楽しかったという記憶があります。

決勝の相手は、またもや昨年と同じ如水館。また筆者にとって複雑な心境だったが、2年連続同カードの決勝で、広陵にとっては昨夏のリベンジを果たす絶好の機会だったので、この展開は複雑ではあるが、正直望んでいた。勝ったほうが甲子園。この最高の舞台に筆者も2年連続でバックネット裏に陣取った。最後の広島大会、決勝。もちろん先発のマウンドには有原航平が立つ。

昨年の雪辱を果たし、掴み取った栄光。広陵が3年ぶりに夢の舞台へ。

  広陵は3回裏に如水館の先発、1年生投手浜田君(あのせんと君です)から連続タイムリーで2点を先制して試合の主導権を掴み、航平は豪快且つ正確な140km/h後半を超える直球左右に幅広くコントロールする制球力、スライダーやカーブ、チェンジアップ等多彩でクオリティの高い変化球、ここぞという所でギアを上げるクラッチ力と、その主導権を一度も渡すこと無く、9回を投げ打者30人に対し4安打9奪三振無四球完封勝利と圧巻の投球で如水館を全く寄せ付けなかった。最高の舞台で去年の雪辱を果たし、夏の甲子園出場権を勝ち取ったのだ。

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 やはり世代最強右腕と称された力は伊達じゃなかった。筆者が高校3年生時に思っていた”母校はいつか航平に苦しめられる事になる”という予言が見事に的中してしまったが、ざまあみろという感情は全く湧かず、航平おめでとう!よくやった!と言う気持ちと、あと一歩で甲子園という所で夢破れた母校に対しての感情が交差し、やはり2年連続でなんとも言えない気持ちになったのが正直な所だった。

 筆者が少年野球を卒団する時、その卒団式で、卒団する人間のスピーチを全く聞かず、周りにまだ食べちゃいけないの?とずっと言ってたあの小学二年生は、気づけば世代最強右腕と呼ばれるような投手になり、その実力どおり春夏甲子園連続出場を成し遂げた。筆者は、偉大な投手と出会えたことに感謝しながら、マツダスタジアムを後にした。

充実した2年と3ヶ月。有原航平の挑戦はこれからも続く。

 続く第92回全国高校野球選手権大会で、広陵高校は聖光学院と対戦し、エース歳内宏明(現:ヤクルト)との壮絶な投手戦の末、0-1で敗戦。有原航平の夏はたった1試合で終わった。だが筆者は正直ホッとした。本人は大丈夫とは言っていたものの、夏場の連投となると肘の負担もかなりかかるので、これで良かったと思っていた。勿論本人はそんな事思っていなかっただろうが…

 夏休みも終わる頃、航平が律儀にも筆者の家に挨拶に来てくれた。こんな田舎の先輩覚えててくれたんだ(笑)と思いつつ、短い時間だったが色々話せた。プロか大学か気になったので質問すると、「早稲田大学に行きます」と答えた。正直、筆者は彼が高校に入る前からメジャー行こうよ!と囁いてきたので、FA取得年数的にもポスティングが認められる可能性としてもプロに入ってほしかった所ではあったが、中井哲之監督からの推薦と聞き、なら間違いないと納得した記憶がある。わざわざ筆者のような同郷の先輩にですら挨拶に訪れる。ほんとに出来過ぎな後輩だ。筆者は彼の物語を間近で見れて幸せだった。いい夢を見せてもらった2年と3ヶ月だった。

たまに関係各位からこのような礼儀正しいエピソード耳にしますよね。それはプロという社会人になってからではなく、既に高校生から行ってました。素晴らしいですよね。


…まとまりきらなかったので分割させて頂きます(汗)               次が最後になります。もう少しお付き合いくださいませ…

続き書きました。最後になります。

3/16 追記 また消えた…noteのアプリまじで使い勝手悪いっす…  すぐ書き直します

3/16  追記  書き直しました!お騒がせ致しました


最後まで読んでいただきありがとうございました。


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【参考資料】

スポーツブル:全国高校野球選手権広島大会(2010年)

日刊スポーツ:広陵、鬼采配で連日コールド/広島大会

日刊スポーツ:広陵逆転決勝 有原4回好救援/広島大会

日刊スポーツ:広陵・有原が完封締め/広島大会

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