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本当に大切なことは言葉にできない。言葉=100%分かり合えるツールではないのでは?

「なんでこの選択をとったのか」
仕事でもプライベートでも聞かれるこの質問。
ウッってなる。
畳みかけるように質問がきたとき、はじめましての人と話すとき、少し怖くなって言葉がうまくでてこない。
「ここで発する言葉の正解はなんだ」と、脳みそをフル回転させるが的外れな回答。

振り返れば幼い頃から周りを伺い、自分がこの場で適切な発言はなんだと考えすぎてしまっていた。
「なんかおもろいこと言ったほうがいいのではないか」、「いじるべきなのか」など、TVに出演しているコミュニケーション強者のマネをして言葉を発してみるも空振り。

自分の言葉で伝えることが苦手だからこそ、
演劇・映画という表現方法を身につけ、世の中にメッセージをしてきた。
そのときは、世の中に対しての疑問や思っていることを拙くとも自分なりに伝えられている気がしていた。

ただ大人になり、演劇・映画表現のスペシャリストにならなかったわたしは「言葉の世界」に再訪問することになった。

社交の場でよくある初対面の挨拶。
自分の経歴をチラッと話すと、
「へぇー。いろいろしてるんですね」
私に対してキラキラした興味の目で見てくれる人がいる。
しかし、話せば話すほど目が死んでいく。
誰かに何かを話すとき、100%面白く自分を伝えられなかったことに悲しくなる。

「なんでこの選択をとったのか」
仕事やプライベートで不意に聞かれる質問。
自分なりに一生懸命に考えて選択をしたのだけれど、選択までの葛藤を上手く伝えられない。

言葉=100%わかり合えるツールとして認識されている世の中。
自分の言葉で想いを伝えることが得意にならなければこの先もっと生きづらいだろう。

NHKで放映された番組「フロンティア」の「日本人とは何者なのか」回では、いままで日本人の起源は「弥生人+渡来人=日本人」と言われていたそうだ。
海に囲まれて大陸との盛んな交流がなかった縄文時代。
弥生になり渡来人がきたことにより、いまの現代の日本人がかたち作られたと言われている。
しかし、ゲノム解析を進めると現代の日本人のDNAは「弥生」、「渡来人」、「その他」があることが判明。
何なら「その他」が割合としては多い。
古墳時代に渡来人だけではなく、さまざまな大陸の集団がきていたことを物語る。

NHKフロンティア「日本人とは何者なのか」初回放送日: 2023年12月6日

妄想してみよう。
もちろん文化は異なるし、言語が通じないのは当たり前だ。
どのようにコミュニケーションしていたのだろう。
そもそも言葉が伝わらないことは、何回か話そうと試みた結果すぐわかること。
「言葉」が重要なものとして捉えてなかったのではないか。

たとえば
大陸からきていた人が思わず海辺で転んでしまったとしよう。
「”!”#”$#%$#%(めちゃ痛い~)」って叫んだ。
すかさずなにか薬草のようなものを持った人が近づいてくる。
最初は「”$#%$#(こいつ何する気やねん)」って心の中でつぶやいてただろう。
でも、薬草を優しく塗られるうちに「”$#%$#(ええやつやん)」って変わっていく。

そんな非言語的コミュニケーションの積み重ねで関係性を紡いでいったのではないか。

西加奈子さんのインタビューのなかで、「自分の考えって遠回りしてやっとたどり着ける」というお話をされていた。

最近は情報を得ることがすごくたやすいから、正しい答えにたどり着くのがめっちゃ速くなってしまっている気がして。だから、SNSをやっていないっていうのもあります。自分の中で特に転機だったのが、「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)」(※2020年~黒人に対する差別の撲滅を目指し広がった運動)のときでした。自分が何かを感じる前に、自分の尊敬している人が何を言っているかを見ちゃうんですよね。例えば、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(※ナイジェリア出身の作家)とか、ゼイディー・スミス(※ジャマイカ人の母とイギリス人の父を持つイギリスの作家)とか、ロクサーヌ・ゲイ(※ハイチにルーツを持つアメリカの作家)とかの意見を見て、「そのとおり」みたいに思う。でも、私は自分のことを知っているので、「そんなはずない。絶対最初にこれは思ってへんやろ」って。もっと間違えて、間違えて、間違えて、間違えて、絶対もっと時間かかったはずやんって。でも、最初にそれを見てしまうと、「前からそう思っていた」みたいになる。それがめっちゃ怖いんです、自分がないやんと思って。そこから意識的にインターネットからちょっと離れようと思いました。ニュースを、なるべく新聞とかで見て、最初に自分がどう思うかを大切にしようと思っています。それが間違っていたとしても、小説的なやり方で遠回りして、遠回りして、間違ったって分かったうえでたどり着いたほうが、自分には残るんですよ。それはすごく意識的に変えました。まだ全然渦中ですけど

「自分を見つめ 踏み出す一歩を 作家・西加奈子さんロングインタビュー」

心の底から他人に伝えなければと思ったとき、「この言葉で伝わるだろうか」や「傷つかないかな」など考えて伝えるのをやめてしまっていた。
伝えることを諦めた自分をまた責めてしまう。
でも、それでもいいのかもしれない。
必ずしも伝えなくてもいい。
自分なりの言葉が見つかって、伝えたくなったらそのときにゆっくりと発するのでいい。

「こはるちゃんってリアクションいいよね」
言葉で伝えることが苦手なわたしは、どうやらリアクションという技術を身に着けたらしい。
苦手を克服するのではなく、得意をのばせばいいのではないか。
そう、縄文人のように言葉だけで伝えようとしなくていいのだから。


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