見出し画像

たかがいいね、されどいいね

これから書くことは不愉快に思われるかたもいるかもしれない。一部、あるフォロワー様達へ向けた内容だからだ。そういうものが苦手なかたはここまでで読むのをやめていただくことをお勧めする。


Twitterやnoteは前にも書いたように現実社会の縮図だと思っている。直接のやりとりはなくても、そのかたの文章なりリプライなりを見ると大体その人となりが見えてくるものだ。

色々な考え方はあると思うけれど、自分がフォローしたからには基本的にはできるだけそのかたのツイートを見ようと思っている。
また自分のツイートに反応してくれたかたのホームには必ず訪問する。それが続くうちにだんだんそのかたへの親しみがうまれてくる。そんなふうに時間をかけて温かい好意を持ったFFの関係になることが私の理想なのだ。だから多くのフォローは難しいと思うし、フォローされることに感謝はしてもTwitterにおいては速攻でそのかたをフォローすることはあまりない。

ただそんなふうに時間をかけてFFになったかたでも、繋がったとたんに無反応になることもある(!?)
こちらから反応しても一切無視。まさに『釣った魚に餌はやらない』の言葉がよぎる人達だ。

または自分が毎日ツイートされていてもフォロワーさんに対しては無関心で、たまに彼らの何ヶ月分かのツイートにまとめていいねをつけてくるかたもいる。彼女の料理のツイートは好きだし、気遣いなのかもしれない。でもね、「いいね」ってそんなものなのかな...読んでないけど義理で返したよという気持ちがなんとなく伝わってきて寂しくなる。

あるフォロワーさんの「仲良かった人に評価を下げられ、友達ですらなくなった。こちらは友達でいたかったのに。人間関係難しいなぁ」のツイートを見て、あぁと心当たりがあった。共通のフォロワーさんだからだ。
彼は彼女の好きな人のリストに入っていたが、いつのまにかフォローも外されていた。でも私は彼女の気持ちはわかる。友達でいたいというわりに彼は全く彼女のツイートを見ていなかったから。
そんなふうに大切に思っていたのなら、Twitterなんて『いいね』やリプライで相手に伝えるしかないのだ。彼女に非があるかのように思っているうちは同じことの繰り返しだと思う。

まさにたかが「いいね」、されど「いいね」。

以前のアカウントのFFさんで、「自分が『いいね』が欲しいから『いいね』をたくさん返すフォロワーが嫌い」と言い切った人がいたが、それは違うと思う。自分のツイートに関心を持ってくれた人に自分も関心をもつのは悪いことではない。

現実社会でも同じではないだろうか。
自分に関心を持ってくれる人に人は関心や好意をいだくものだ。それを潤滑油として、温かく相手のことを思いやる人間関係は築かれていくのだと思う。


余談ではあるが、職場の女性達のたわいもない会話に人間関係の真理をみたりする。
ある同僚女性に対して、「あの人はみんなが旅行のお土産なり差し入れのお菓子なりをあげても黙って受け取るだけなのよねぇ」と。当然のように人間関係は良くない。
言うまでもないけれど、誰もお菓子のお返しを期待しているわけではないのだ。
「ありがとう」のひとことと笑顔が、くれた人への気持ちのお返しであり、どれだけ人間関係を気持ちの良いものに変えるだろうか。
彼女自身は知識も豊富で話すと楽しい人だ。でも人の好意に気がつかないから誤解されてしまうことが多い。


毎日顔を合わせていてもその人を理解するのは難しいのだから、Twitterなど顔の見えないツールで自分を理解してもらうことは本当に難しいことだろう。
だからフォロワーさんとの気持ちを繋ぐものに「いいね」があるのだと私は思っている。ツイート内容はもちろんだけれど、好きとか感謝の気持ちも一緒に込められたものなのだから。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?