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バーンスタインよりバーンスタイン的な 大植英次/日本フィルの「悲愴」

昨日、サントリーホールで日本フィル定期を聴いた。

ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》より「前奏曲と愛の死」
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番 ト短調 op.16
チャイコフスキー:交響曲第6番《悲愴》 ロ短調 op.74

指揮:大植英次
ピアノ:阪田知樹

この演奏会、当初はラザレフで予定されていたが(曲目は異なる)、昨今のロシア情勢で一向に来日できない状態らしい。
一度は聴いてみたいのだが……

神奈川フィルとの幻想交響曲が素晴らしかったので急遽行く気になった。

たくさんマイクが設置されていた。ライブCD化されるのかもしれない。

冒頭のワーグナーを生で聴くのは2回目。CDでもほとんど聴いたことがないので、「どこまでが前奏曲で、どこからが愛と死?」と思ってしまった😅

それくらいこの曲に関しては不案内なので語れることはほとんどないが、大植英次のピアニシモは聴きごたえがある。
ただ弱いだけではなく、息を呑むようなピアニシモとはまさにこうだと思わされる。

オーケストラ全体の迫力には欠け、ミューザ川崎の3階で聴いたラトル/ロンドン響の方がはるかにパワフルだった。

力任せにオケを鳴らせばよいというわけではないが、ステージ上でしか音が響いてない印象だったので(ステージサイドの席だった)、2階席の後ろなんか全然音が届いてなかったのでは?

ワーグナーはどちらかといえば苦手な作曲家。
最近オペラを楽しめるようになってきたので、ワーグナーのオペラを観れる機会があったらまた挑戦してみたい(「ジークフリート」を第1幕で疲れて帰った“実績”あり😅)。

阪田知樹のプロコフィエフ。背中側の席だったので演奏中の表情は全くわからなかったが、余計なことを感じさせない背中。
これ見よがしのショーマンシップは皆無だった。

ミディアムヘアで貴公子然とした雰囲気。ビジュアル系ピアニストの追っかけファンもいそうだが、実際は職人タイプなのでは?と思ったほど。

余計なものを感じさせない阪田知樹のピアノで、大好きなモーツァルトのピアノ協奏曲第23番を聴いてみたい。

無個性とは違う。音楽の表現が曲に溶け込んでいる。
また聴いてみたい音楽家。

アンコールしなそうな雰囲気なのに延々拍手が終わらない。
最後にピアニストが鍵盤の蓋を閉めてしまった。

アンコール目当てで延々拍手するのはやめてほしいね😓
ピアニストの意思を聴衆が汲み取れればもっといいコンサートになるのにな。

「同じ値段なら一曲でも多く聴きたい」ってさもしい(ケチな)客が多すぎる。
「こんな素晴らしい演奏のあとにアンコールは無粋だよね」って考えがもっと共有されてほしい。

後半の「悲愴」はもともと大の苦手😓 チャイコフスキーの交響曲自体、4番も5番もそんなに好きではない。
深みに欠けるように感じていた(最近は少し変わってきた)。

「悲愴」は陰鬱の極みだし、進んで聴こうという気になれないでいた。
だが、エモーショナルな音楽家・大植英次の「悲愴」は面白そうな予感がした。

「ハムレット」を淡々と舞台で演じられても困る。
感情的な音楽もそれに応じた表現でこそ聴きたい。

ピアニシモの細やかさはワーグナー同様。それに加えて、第3楽章のクライマックスで大植はしばらく指揮をやめ、大音量で鳴るオケに向かってさらにエネルギーを注ぎ込むように両手で掴んだ棒を突き出した。

これがパフォーマンス的に映ることはなく、オーケストラに全幅の信頼を寄せてるんだなと感じた。

佐渡裕がよく「バーンスタイン最後の愛弟子」と言われるが、大植英次の方が師のイズムを受け継いでいるのではないか。

バーンスタインの指揮姿は映像で少し見たくらいだが、大植英次の指揮を見ているとバーンスタインもこんな指揮だったのかなと思えてくる。

広上淳一はバーンスタインに「ここぞというときは指揮棒を左に持ち替えて素手で振る」というテクニックを教わったらしい。
「ジュンイチ、やりすぎには気をつけろ。鼻につくから」と言ったのは笑ってしまったが、バーンスタインのそうしたテクニックは芝居っ気に陥らないギリギリのラインで止まっている。

ワーグナーのときは鳴りきっていなかったオーケストラが第3楽章から徐々にボルテージを上げ、第4楽章の痛切な感情表現は胸に迫るものがあった。

苦手にしていた「悲愴」を面白く聴けた。飽きることがなかった。
クラリネットを始め、各首席奏者の演奏レベルも高かった。

ただそれまではわりと大人しく聴いていた聴衆が、第4楽章で飽きてしまったのか物を落としたり、挙句にはラスト2分で飴玉を舐め出す人も😓

なんで2分待てない??????😓

pの代わりに?が6つ並んじゃったよ😂

演奏後はしばらくの静寂。指揮者が「ふぅーーー」と大きなため息をついて屈みかけたタイミングで拍手。
聴衆に背を向けたまま感極まって泣き出した大植さんをすぐそばにいたヴィオラ首席の安達さんが暖かく見守っていた。

久しぶりに大植英次を立て続けに聴いて、大好きな指揮者になった。
生で聴く醍醐味、ここにあり。

大植さんはいまオケのポストに就いてないから(名誉ポストを除く)、コンサートの機会はそんなに多くない。
気心知れたオーケストラと好きな曲だけやりたいって心境なのかも。

お気に入りの指揮者リストにノット、高関健、カーチュン・ウォンに続いて大植英次も加わった。
クラシック初心者にこそ聴いてほしい音楽家。

再現不能な一回性の舞台芸術の深淵をこれほど感じさせる芸術家はいない。

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