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これからは個性の時代 大植英次/神奈川フィルの幻想交響曲

横浜みなとみらいホールで神奈川フィル定期を聴いてきた。

ラヴェル:ラ・ヴァルス
ラヴェル:ピアノ協奏曲
【アンコール】ドビュッシー:月の光

ベルリオーズ:幻想交響曲

指揮:大植英次
ピアノ:中川優芽花

いやー、凄かった😅

終演まもなくスタオベしたけど、他に立ってるの一人だけだったね😅

日本人もっとスタオベしてもいいと思うんだけどね。
まあ後ろの人の視界に邪魔になっちゃう恐れはあるけど…(私は最後列だったので遠慮なくできた)

超濃厚な味付け。日本フィルとの「巨人」はテンポを揺らしすぎでTwitterで酷評されてたが、今日の客席は5割ほどの入りなのに大いに湧いていた。

こういう演奏を待っていた! 師であるバーンスタインのイズムをより受け継いでるのは佐渡裕ではなく大植英次ではないか?

一曲目の「ラ・ヴァルス」からブラボーが飛ぶ。
テンポを自在に揺らしまくり、令和の演奏とは思えない。
原色の絵の具を使って大胆な筆致で描かれた油絵のようだった。マルティノンとクナッパーツブッシュの芸風を合わせた感じと言えばわかってもらえるだろうか。

カーチュン・ウォンの指揮も泥臭いが、大植英次はバーンスタイン並みの熱さ。このスタイルについていく神奈川フィルが凄い。
宇野功芳についていくアンサンブルSakura並みだ。N響や都響にはここまでの熱量はないだろう。

神奈川フィルは2回目。前回は川瀬賢太郎の常任指揮者退任コンサートで神奈川県民ホールだった。
NHKホール並みの音響の悪さでオケのよさがほとんどわからなかったので、今日初めて神奈川フィルの魅力がわかった。

指揮を終えて拍手を浴びながらオケに向かって大きくグーサインしたり、アメリカ人気質の指揮者😅

中川優芽花のラヴェルはゆったり落ち着いたテンポで、こちらも往年の巨匠風。チッコリーニ/マルティノン盤を思い出した。

大植の指揮はかなり抑制されていた。コンチェルトはソリストのものだから指揮者は黒子でいいとは思うが、若手の奏者だし、大植さん遠慮したのかなと思ってしまった。
付き合いの長いベテランならもっと丁々発止の演奏になったかもしれない。ピアノが主、オケが従という関係性が出過ぎた。

とはいえ、コーラングレの女性はお見事(幻想交響曲でも)。
やや乾いた音色がゆったりめのピアノと絡まって物悲しさを醸し、レストランの窓から雨の降る夜景を見ながら来なかった恋人に想いを馳せる女性の映像が見えた。
昔好きだった人のことを思い出したりしていた。

アンコールの「月の光」も絶品。フランス音楽の名曲プログラムに合った選曲だ。
決して急がず走らず、堂々たるテンポを貫く姿は大器そのもの。
ドイツで生まれ育ったらしく、日本の音楽教育を受けた人とは一味違ったスケールの大きさを感じた。

後半の幻想交響曲は輪をかけて凄かった!
この曲が十八番のコバケンを超えていたのではないか。
宇野功芳風に言うなら全編「切れば血の出る」充実しきった音楽。バーンスタインがPMFオーケストラを振った伝説のシューマン2番に匹敵していただろう。

大植の音楽がねっとり感じられる理由もわかった。
フォルテシモの部分で楽器の隙間を埋めるように掻きまぜる指揮をするのだ(感極まったロバート・デ・ニーロの芝居みたいな表情がウケる😅)。
小澤征爾なら各楽器の音がクリアーに分離するように振るだろうが、これが大植なのだ。

分離より混沌、渾然一体。幻想交響曲はそういうスタイルの方が好きだ。

各奏者のレベルも高かったし、何よりオーケストラの一体感がよかった。先月からコンマスに就任した大江馨のスマートなリードが好感。
N響の元コンマスの白井圭もよかった。昔はコンマスというとマロさんみたいなベテランのおじさんだったが、若手の俊英の方が調整力がありそうに見える。

第3楽章はベートーヴェンの「田園」や第九の第3楽章のような天国的なのどかさが感じられ、初めて聴く曲のようだった。

第4楽章最後の大太鼓の響きは地獄から聞こえてくる地鳴りのようだったし、コーダだけ白熱するしょぼい「幻想」とは桁違いの興奮でラストに突進していく。
聴衆が息を潜めて聴き入ってるのも伝わってくる。

混沌とした感情の坩堝が熱気を増し、激情が竜巻のように旋回しながら膨れあがっていく。こんな劇的な幻想交響曲をこれから先聴けるだろうか?
マケラのマーラーやショスタコーヴィチはこれに比べたらエアコンの効いた部屋でテレビゲームしてるだけだ。
大植は舞台の上で俳優がのたうちまわっている一人芝居の世界。

いまは個性の乏しい時代になった。「楽譜に忠実」という判で押したような一つの正解を皆が目指すようになってしまった。
大植英次はバーンスタインのスタイルを受け継いでいる。そういう意味で、巨匠文化を継承する「最後の巨匠」といってもいいかもしれない。

大植英次を聴くのは2回目。前回はハノーファー北ドイツ放送フィルとのマーラー9番。
そちらも濃厚表現だったが、今日は一段と進化した大植の姿があった。65歳とはとても思えない。

「楽譜に忠実でなくてはいけない」というルールはない。
「俺の『幻想』を聴け!」というタイプの方が私は好きだ。

これからは個性が重宝される時代になってほしい。
どこかのキャッチコピーにあったが、「まさにこれからOue Age」なのである(おあとがよろしいようで…😅)

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