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美の鑑賞

今日のNHK杯囲碁は見応えがあった。しばらく前からAIによる評価値がゲージとして表示されるようになったが(まるで格闘ゲームだ)、こんな終盤になっても互角の形勢なのはめったにないこと。だいたいどちらかの85%以上に偏る。

実際「半目勝負」の細かい対局だった。

この「半目(はんもく)勝負」というのは囲碁をやらない人にはさっぱりわからないと思うので解説すると、囲碁は盤上の陣地取りゲームなので、多く囲った方が勝ち。

しかし、同じ広さだけ囲ったら引き分けになってしまう。昔は「持碁(じご)」といって引き分けにしていた。

今は後手番に「6.5目(もく)」のハンデを与える。「目」というのは陣地の単位。

「0.5目ってどういうこと?」と思った方は勘がいい。
盤上には発生しない広さなので、この半目があることで勝敗が必ず決するのである。

今回は黒番河野臨九段の半目勝ちだった。白番は6目半のハンデをもらっているから、盤上で黒が7目多かったということだ。

私は中学高校で囲碁部に数年在籍していたこともあり、かつてはプレーヤーとして囲碁を楽しんでいた。

が、いまは専ら鑑賞専門。将棋の場合は「見る将」と言うので、囲碁なら「見る碁」か。

クラシックの「聴く専」は多いと思うが、囲碁や将棋を鑑賞しかしない層はわりと少ないと思う。

いたとしても、棋士の対局風景やおやつシーンを楽しみに見たりとか、そんなに棋力が高くなく、解説を聞いても藤井聡太の指し手の凄さがわからない人が多いのではないだろうか。

解説を聞いて凄さがわかる棋力のある人は対局もしてそうだ。
スポーツ観戦のように、対局しないで観戦だけする人(局面の理解もできる人)はそんなに多くないのではないか。

囲碁と将棋は似ているようで、両方やる人は案外少ない。
両方の「見る専」となるとさらに少なそうだ。

私は囲碁も将棋もスポーツ感覚で観戦する。相撲を見るのと同じ。

ただし、頭脳のスポーツでありながら、芸術的な側面も存在する。

相撲に芸術的な要素はあまり感じない。解説者から「芸術的」というワードは聞かない。

野球でもそんな感じがする。サッカーだと「芸術的なパス」と言ったりするかもしれない。

それは天才ならでの感性で、常人が思いつかないコースにボールを出したりする場合に使うのだろう。

他にもフィギュアスケートや体操など、見た目の美しさも競うスポーツならよく使われる。

囲碁や将棋における芸術性もやはり対局者の感性を指していて、常人の発想を超えた一手は「神の一手」と称賛されたりする。

囲碁と将棋の違いは、囲碁は序盤が面白く、将棋は終盤が面白いことだ。

囲碁は盤面に何もない状態から始めるので、初手が361通りある。将棋は30通りしかない。

囲碁の序盤は布石というが、真っ白なキャンバスに絵を描いていくような自在さがある(この例えは私の処女小説『手談』でも用いた😅)。

中盤が戦いなのは囲碁も将棋も一緒だが(囲碁は陣地取りだが、決して平和なゲームではないのだ😅)、将棋の終盤は息を殺した斬り合いみたいな勝負になる。

緩着を指した方が返り討ちにあう。一瞬も気を許せないスリルがある。

囲碁の半目勝負もヒリヒリするが、こちらはコウという囲碁の特殊ルールが絡んだり、とにかく複雑すぎて、初心者には何をやってるかさっぱりわからないだろう。

囲碁も将棋も、ある程度の棋力があって初めてその芸術性を鑑賞できる。
プロの解説は必要だが、藤井聡太の凄さをいったいどれだけの人が理解できるだろう。
その点、大谷翔平の凄さは非常にわかりやすい。三笘薫もそう。スポーツと囲碁将棋の一番の違いはそこかもしれない。

囲碁と将棋をクラシックとジャズに置き換えてもいいだろう。

クラシックとジャズはどちらも基本インストゥルメンタルな音楽だが(ヴォーカル曲もある)、両方楽しむ人は案外少ない。
いたとしても、私のようにクラシックの良し悪しはある程度判別できても、ジャズは楽しむ程度とか。

クラシックのCDを聴きまくって蘊蓄を述べていても、ジャズや他のジャンルの音楽、あるいは映画や演劇、古典芸能といった他の芸術ジャンルの美に関してはからっきし音痴という人もいるだろう。

一つの芸術ジャンルだけ深く知っているからといって、その人の審美眼が長けているとは言えない。ただのオタクでしかない場合も多い。

多方面の芸術に精通し、それらのジャンルに共通する美の本質を掴んでこそ、審美眼は得られるのではないだろうか。

私は10代のときから「芸術の本質は美と感動にある」と思っていて、それは再現不可能な一回性のもの、生のパフォーマンスにしか宿らないと感じている。

往年の巨匠や名人の芸を録音で鑑賞するのも大事だが、芸術の本質は儚さにあるのではないか。

その場で生まれて、その場で消えていく。

一瞬の命のようなもの。

芸術も囲碁将棋も、一流の芸を鑑賞するためにはスポーツのようにただ見ればいいわけではない。
それらの理解を深める時間が必要だ。

最初は面倒に感じられるかもしれないが、鑑賞できるジャンルが増えるほど人生は豊かになる。

いまは倍速視聴など、お手軽が好まれる時代。
雑な鑑賞態度から深い感動が得られるはずがない。

芸術鑑賞は鑑賞する側の姿勢も問われるのである。

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