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ダンジョンバァバ:第11話

目次

ドゥナイ・デン。
武具屋の裏に建てた大倉庫の中で、バァバはひとりほくそ笑んでいる。
「ヒヒ…さすがだね。頼んでまだ8日だってのに」
道具類の調達を託されたイノックとイラッチは、商人のツテとフットワークの軽さ、そして10000000イェンという莫大な資金を武器に、上等な品を次々と買い揃えている。……とはいえ、目録はあまりにも多い。目を回した2人は信用できる運び屋を数名雇い、何とか期限に間に合わせようと東奔西走していた。
「おやおや」
気配を察知したバァバは青碧色の小瓶を木箱に戻し、戸口の方へと振り返る。
「バァバ殿ぉー!」
杖に跨るホーゼが、急ブレーキをかけながら倉庫に滑り込んできた。
「ちぃっこい体でよくそんな大声が出せるね。……なんだい青い顔して。まるで死人じゃないか」
「ゲ、ゲゲ、ゲートは! セレンにグループゲートの ”印” は!?」
「アー?」

◇◇◇

遡ること数刻。

温暖な気候と風光に恵まれたカナラ=ロー大陸の東南東、人里から遠く離れた草深い地に、征服者も放浪者も寄りつかぬ黒い森がある。しかし大空を翔る鳥であれば、その森の中心に存在する小盆地―― 光と土と水に恵まれた肥沃な土地に気づくことができるだろう。

「目視できませんでした。気配も無し」
森と盆地の境に張ったキャンプ。偵察から戻ったヘップは、焚火を囲む一向に混じって腰を下ろした。セレンの里は目と鼻の先。話し合いの結果、攻撃は早朝と決定している。
「ホッホ。ヘップ殿ですら索敵できない…… となると」
「ジーラさんが言う通り、地中に潜んでいるのかと」
「アタイが叩き起こせばいいんだろ」
「ヘップさんどうぞー。しっかり食べて、寝て。備えましょー」
サヨカが鍋からスープを掬い、干し肉を添えてヘップに手渡す。
「移動できねぇって話だけどよ、本当は足でも生えてんじゃねーのか? で、どっか行っちまったとか……」
セラドは言いながら葡萄酒の瓶を逆さまにし、最後の1滴、2滴を舌で受け止める。
「完全には否定できませんが……」
ジーラは弱々しく答え、隣のフェルパーに視線を送る。同行したヴァルキリー隊―― ジーラを含む5名のうち、先の戦の経験者は1名しかいない。ジーラより一回り年を重ねている聖戦士が頷き、改めてヘップたちに説明する。
「ヒュドラープラントは蛇竜であると同時に植物でもあります。セレンの泉の近く…… 最も地形と土壌に恵まれた地中で、何十年もかけて成長を遂げました。奴は容赦なくフェルパーを殺しますが、 ほとんどは捕食せずに弄ぶだけ。それだけで生き長らえるとは思えません。やはり力の源はあの大地。万が一足が生えたとして、わざわざセレンを離れるものなのか」
「ふん」
「それに…… 先ほどお伝えした通り、奴には ”テリトリー” があります。女王の話では魔屈の種も同じ傾向にあり、離れてしまえば襲ってきません。もし移動できるなら、とっくにそうして―― 私も死んでいたでしょう」
フェルパーの顔が屈辱に歪む。
「で、遠距離からチクチクやろうとすると地中にひっこんじまう、と」
「はい」
決死隊が近接戦闘で気を逸らし、遠距離から本命の投擲を浴びせる。3度目の戦におけるその作戦は、ジーラの母の一撃を除き全て失敗に終わったと言う。
「ふーん……。ま、いたらいたでブッ殺すだけの話…… ってことで神様サヨカ様、もう一瓶お恵みを」
セラドはそう言ってサヨカに向き直り、拝むようなポーズで懇願する。
「だ、め、で、す。これ以上飲んだらお酒が抜けませんよー」
「抜けてない方が剣が滑らかに……」
「だーめーでーす。最後の1本。私がプラチナムで買ったお酒ですよ? 祝杯にとっておきます」
「チッ」
「あー! また舌打ち。体を心配してるんですよー!」
「アーハイハイ。感謝感謝。……トビーの船から2,3本くすねてくりゃ良かったなぁ」
トビーは同行を強く申し出たが、ヘップたちはそれを許可しなかった。トビーがビスマで垣間見せた能力の高さは、皆が認めている。しかし5人は、彼の戦闘スタイルやモンクのクラス特性を知らない。ぶっつけ本番の大勝負における連携の乱れは、死を招く。

◇◇◇

仮眠中は、聖戦士たちが交代で見張りに立った。弱点の問題によって戦闘への参加を断られた彼女たちは、「何か少しでも役に立てることがあれば」と率先して雑用をこなした。

夜と朝の間にある青黒い時間が終わり、白い光が勢いを増している。潤んだ空気。遮る物のない平野。左右に広がる荒れ放題の畑。中央を射貫く砂利道は今もかろうじてその存在を主張しており、その先にぽつぽつと見える木造家屋は遠目からも腐朽していることが分かる。
装備の点検と作戦の再確認を終えた戦士たちが、横一列に並ぶ。視線の向こうの景色をしばし眺める。
数歩前に出たヘップが振り返り、4人の顔を順に見ながら説明する。
「オイラが先導します。道なりに集落に入ると、今見えているよりも随分と建物が増えていきます。触れば倒れるようなモノもいくつかあったので注意してください。そこから150ヤードほど奥に進めば、泉が見えてきます」
「私たちも、お伝えした場所で待機します」
ジーラが言うと、ヘップは小さく頷いた。ヴァルキリー隊の5名は直接戦闘に参加しないが、戦闘開始後に限界ライン―― これまでの戦いで判明した テリトリーぎりぎりまで接近する段取りになっている。彼女たちは、戦闘が長引いた場合のヒール支援、道具支援を申し出ていた。ただしヴァルキリーのヒールレンジは非常に短い。それを知らされたヘップたちは、彼女たちの申し出を受け入れる一方で、内心覚悟していた。助けを求めてわざわざ後退するような状況は、不利を通り越して敗戦が濃厚であることを意味する。この戦は5人で成し遂げる覚悟が必要だった。

「では、行きましょう」
4人が頷く。ヘップは踵を返し、一歩を踏み出す。
「武運を」
フェルパーのひとりが、5人の背中に向かって言った。

(ミーニルよ―― 彼らをお守りください)

ジーラは彼らの無事を祈るしかなかった。

◇◇◇

第11話『セレンの戦い』


セレンの泉は直径30ヤードほどで、真円に近い。清冽で静謐な水面は暁光を浴びて煌めき、ほとりには色とりどりの花が咲き乱れている。人の手が加えられた様子の無い、自然の奇跡。この泉の前では、信仰無き者も何かしらの神秘や尊さを感じずにはいられないだろう。
――だが、今はしかし。
草花に埋もれるように、くすんだ防具と白骨が散乱している。頭蓋骨の眼窩に赤い花が咲き、光を失った鎧の上で蝶が羽を休めている。ヘップたちは臨戦態勢を取りながら、骨の数が増していく方向―― 泉からほど近い広場に向かって慎重に歩を進める。

「天国と地獄が一緒になっちまってんな……。あのババア、この状況知ってたんじゃねえのか」
骨を避けて歩くことをとっくに諦めたセラドが、誰に言うともなく言った。
「どうですかね。問題が起きていることは知っていた口ぶりでしたが」
と、ヘップ。
「具体的にどうこうってのは、知らなかったんだろうヨ」
「なんでそう言える」
「ドゥナイ・デンに行った時ね。アタイとホーゼはオジイやバァバの会話をその場で聞いてたんだ。里を離れたドーラと連絡が取れない、ニンジャに探させている…… そんな感じだった」
「ニンジャ?」
「そ。バァバはニンジャと関係が深い。50年前の大戦でも随分と活躍したって話だね」
「爺さんの手記にあったアレか。……つくづく得体の知れねぇババアだ」
「今は目の前の戦いに集中しましょう」
ヘップが声を潜めて言った。

「間違いなくここだな」
「ですね……」
ほどなくして広場に到着した一行は、夥しい数の骨を見て溜息を吐く。土質はまるで耕されたばかりのように柔らかく、黒みを帯び、湿っぽい。広場周辺の建物は例外なく全壊しており、敵の行動範囲の広さを示している。
「出てこない、ですねー……」
「そんじゃ、アタイが叩き起こしてやるヨ」
ルカがグルグルと肩を回し、ひときわ亡骸の多い一点を見定める。
「では、呼び出す作戦で。ホーゼさん、セラドさん」
ヘップはサヨカを守るように位置し、2人に指示を出す。
「ホッホ。お任せを」
ホーゼがスペルを詠唱し、ルカのガントレット―― 【メイジフィスト】に炎を点す。
セラドが【エヨナのシンギング・ショートソード】を抜き、リズムを刻むように刃を踊らせる。しんとした広場に『遮蔽の賛歌』が響き、スペルシールドが5人に付与された。
ルカとホーゼがヘップを見る。ヘップが頷く。ホーゼが次のスペル詠唱を始めると同時にルカは前方に大きく跳躍、空中で両拳を振り上げ―― 
「出て、来いヤァッ!」
大地を叩いた。巨人族が天から落ちたような轟音。爆発的な勢いで炎と泥土が噴き上がり、聖戦士たちの残痕が四散する。
一瞬の耳鳴り。そして無音。次に、土が擦れるような微かな音。数ヤード先の地面が隆起する。ルカは数歩後退し、深く息を吸ってストライカーの構えを取る。あたり一帯の鳥がけたたましい鳴き声を発し、一斉に飛び去ってゆく。そして ”それ” は、水面から静かに首をもたげるシーサーペントの如く―― グズグズと泥土を押し分け、姿を現した。

「シィィィィィィィゥルルゥゥゥ……」

「でけぇな……」

不気味なほど鮮やかな黄緑色。青い舌をヌラヌラと伸ばす3つの頭は蛇そのもので、首をめぐらす仕草はドラゴンにも似ている。しかし体表には蛇の鱗甲も、さざ波立つような竜鱗も存在しない。巨大植物の茎としか言いようのない胴体。
ルカは臆さずにヒュドラープラントを睨み上げる。3つの頭部は、大柄なルカの3倍近く高い位置にある。5つの目とルカの双眸が絡み合った瞬間、一行が ”C” と名付けた隻眼の首―― 向かって右側の首が、素早く顎を引いた。フェルパーから聞いていた通りの予備動作。ルカは躊躇うことなく踏み込み、真っ赤に燃える拳を首Cの胴体に叩きこむ。グジュウッと、表皮の水分が蒸発する音。毒液を吐きそこねた首Cがグニャリと曲がる。
「シェァァァァァッー!」
首Bが裂けんばかりに口を開け、鋭い牙を剥いて襲いかかる。ルカがサイドステップを踏んだ瞬間、首Aの胴体攻撃が横薙ぎに迫る。ルカは縄跳びの要領でやり過ごし、着地と同時にもう一度踏み込む。隙だらけの首Bに拳を見舞う。
「ルカさん!」
ヘップの声を合図に、ルカはインファイトをやめて離脱する。
「クソッ! 手応えナシ!」
直後、予定通りのタイミングでホーゼが長い詠唱を終えた。ヒュドラープラントの頭上に小太陽の如き灼熱の球体が生じ―― 垂直に落下する。
「アッつ! 爺さん話がちげぇぞ!」
バードのスペルシールドでは防ぎ切れぬ、超高火力。3つ首の魔物は1本の火柱と化している。充分に距離を取っていたにも関わらず、毛先の焦げる臭いが5人の鼻孔に侵入する。
「ホッ! 久しぶりでチト張り切りすぎましたわ」
初撃を担うルカが陽動し、特級メイジのホーゼが一瞬で灰にする。単純な作戦だが相手は植物。功を奏したかのように思えた。

「ホーゼさん、二手目いきます! このまま燃え尽きてくれれば……」
ヘップは期待を抱きながら、じりじりと距離を詰めてゆく。右手には、ポーチから取り出した【爆発の】矢の鏃が握られている。プラチナム王国でセラドの快復を待っていた際、バァバに売りつけられた代物だ。強火にくべるか、硬いもので強い衝撃を与えればいい。
もし即殺できなければ、敵は己の身体の火を消すために潜行する可能性が高い。二手目はその穴に【爆発の】鏃を放り込み、ホーゼが火を注ぎ込むというものだった。
しかし。
ヒュドラープラントは潜らない。焼け崩れもしない。もうもうと立ち昇る蒸気。シュウシュウという音だけが広場に響いている。
「コイツ、グニャグニャでベチャベチャだったぞ。その水分?」
「シューともキーとも言わねぇな。死んだか?」
その二言に、ヘップの背中に冷たいものが走る。

(体の湿り気は…… 泉の? 一声も発していない。炎を飲まないように? )

「ホーゼさん、壁!」
「ホ、ホッホイ!」
ホーゼが追撃の詠唱をキャンセルし、別の詞を呟き始める。ヘップはやむなく【爆発の】鏃を投擲しようと振りかぶる。火勢が弱まり、3つ首の頭部だけが露になる。
「ジィァァァァァッ!」
「まずっ……」
「ヘップ!」
首Aの土砂ブレスがヘップに直撃した。無数の礫によって防具はズタズタになり、咄嗟にクロスした両腕や下半身の肉が抉り取られる。そのまま後方に吹き飛ばされて頭を強打し、ピクリとも動かなくなった。
「ヘップさん!」「ヘップ!」
サヨカが駆け寄り、ヒールを試みる。2人を守るように巨大な氷柱が出現した。
「お嬢! スイッチを!」「ああ!」
「そんじゃあオレは」
セラドは剣を大地に突き刺すと背中から【永遠の夜の】リュートを引っこ抜き、『オレたちの心の律動』を弾いた。3秒で効果が発動し、4人の行動が加速する。
「んのヤロオオオォォォ!」
加速を得たルカが、ヒュドラープラントに突進する。反撃の機会を与えぬ速さで連打を叩き込む。
敵の種別からして、相性が良いのは斬撃。剣による切断。それは全員が分かっている。セラドは剣の扱いに長けているが、まだ万全ではない。作戦の都合でバードの役割に徹している。ヘップのダガーは巨大植物に対してあまりに短く、得意の毒塗りも今回ばかりは期待が持てない。

(3人は―― アタイとホーゼのコンビに期待してくれてんだヨ!)

ルカはひたすらに殴る。AABC、BCBA、BBAC……赤く燃える3つ首は、全身をしならせ身悶えする。自慢の拳が致命の一撃に成り得ぬことは彼女も承知している。それでも殴り、動きを封じ続ける。火吹き山で鍛えられた武具は耐火に優れ、セラドのスペルシールドも持続している。しかしこの炎はホーゼの極大スペル。灼きつくような痛みを精神力で殺し、ルカはホーゼの一手を待つ。
「ホーゼまだか!」
敵を見据えたままルカが叫んだ瞬間。【メイジフィスト】の炎が消え、両腕の周囲に光輝く氷晶が舞い始めた。
「お嬢! ドーゾ!」
「ッシャアアアアア!」
ルカは吼え、プレス攻撃を仕掛けてきた首Aのどてっ腹にカウンターを放った。さらに同じ個所に反対の拳。また同じ個所に反対の拳。0.3秒の3連打。先ほどまでとは違う打感が両腕に伝わってくる。表皮の一部が凍結し、ミシミシと悲鳴を上げ始める。たまらず首Cが痰のようにねっとりとした毒液を飛ばす。ルカは足元の黄金鎧を蹴り上げてそれを防御し、トドメの一撃を放った。
「ウルァ!」
加速の乗った渾身の水平チョップが、首Aの胴体を両断した。ゴポッ、と音を立てて、断面から土砂混じりの体液が溢れ出る。
「1本目ぇ!」「よし!」「ホッホ!」
ルカは1秒だけ仲間の方に視線を走らせ、状況を確認する。セラドはリュートを弾き続けている。氷柱の陰でサヨカがヒールを続けている。ヘップの意識は回復しているが、まだ身を起こせるようには見えない。ホーゼは長い詠唱に入っていた。

(勝てる!)

ルカは正面に視線を戻す。次に狙うべきは、毒液を吐く首C。作戦上は最優先だった首。スッと息を吸い、地面を蹴る。密着して拳を引いた瞬間―― 隣の首Bがブルリと身を震わせ、天を仰いだ。
「オブルルルルルルアァァァ!」
首Bの口から、大量の液体が噴出された。透明の液体は高さ数十フィートの水柱を作り、大地へと降り注ぐ。ヒュドラープラントに纏わりついていた余炎はすっかり鎮火し、5人は驟雨に打たれたようにズブ濡れになった。
「うおっ?」「ホッ?」「うぇ」「これは……」
取り乱した全員の手が一瞬止まった。酒に似た強烈な刺激臭が喉の奥にじっとりと纏わりつき、サヨカとホーゼが激しくむせ返る。
「クソッ!」
ルカは、一方の首に集中し過ぎた自分を罵った。獣のように顔をブルブルと振って体液を飛ばし、目の前の首に集中する。
「……な」
首Cが2本に増えていた。
隣の首Bも2本…… 3本……。
指先で目を拭おうとして、ギョッとする。
指の数が10本どころではない。視界が何重にもブレているのだ。
背後で仲間たちが叫んでいる。どうやら同じ症状に襲われていると理解する。
「クソッ! アタイらには影響、ない、んじゃ…… ヨ!」
ルカは唾を吐いて構え直し、踏みしめ、ユラユラと揺らめく首Cを打つ。正確に狙いをつけたはずの拳が2度、3度と空を切る。狙っている首がBなのかCなのかすら曖昧になり、意識が朦朧としてくる。
「オオ、オオオオオッ!」
ルカは咆哮あげて発奮し、大振りの水平チョップを放つ。どちらの首か分からないが、手応えがあった。ルカはそのままその胴体にしがみつき、左腕と両脚でホールドしながら同じ部位にチョップを打ちこむ。下半身の捻りが利かず、呼吸は乱れ、威力は半減する。

(もう少し、あと数発で、コイツ……だけでも)

臭気もろとも息を大きく吸い、膂力を漲らせる。捨て鉢になって2、3、4発と連打する。急速に意識が遠のいてゆく。それでも攻め続けるオーガの戦士を、もうひとつの首が狙っていた。

「ルカ…… さん? ルカさん! 避けて! ルカッ!」
地べたを這いつくばって氷柱の陰から顔を出したヘップが、戦況を見て叫んだ。視界は多少ボヤけているが、まだ頭は機能している。隣のサヨカは昏倒。ホーゼは斜め向こうで座り込み、呂律の回らない口で何かを呟いている。何かが足りない。リュートの音が聞こえない。

(セラドさんは?)

口笛の音。ヘップの視界の外から、猛然と走る人影が現れた。
ルカに牙を突き立てようとしていた首Bの頭部めがけ、ショートソードが振り下ろされる。斜にめり込んだ剣身は首を断ち斬るに至らず、強い弾力に跳ね返されてしまう。セラドは怯んだ首Bに目もくれず、首Cにしがみついたままのルカに走り寄る。剣を地面に突き立て、背後から腰に両手を回す。彼女は失神したまま弱々しくチョップを繰り返していた。その戦意は無駄ではなかった。
「ぉらよっと!」
身を後方に捻り、ルカを放り投げる。その勢いで全身に回転を加えながら剣を掴むと、彼女に代わって横一閃。刎ね飛ばした胴の断面から毒液が飛び散り、セラドの顔面にドロリとしたものがへばりつく。
「グッ? ペッ! ……んのやろぉ」
「セラドさん!?」
セラドはよろめいて剣を取り落とし、手で顔を覆いながら膝を突く。間髪入れず真上から大口を開けて襲いかかった首Bが、セラドの上半身を咥え込んだ。
「セラドさん!」
ヘップは四つん這いになって手足に力を入れ、何とか起き上がろうとする。臭気を大きく吸い込んでしまったその体は言うことを聞かず、視界が微かにブレ始める。
首Bがセラドを咥えたまま天を仰ぎ、丸飲みの態勢に入った。
「そんな、だめだ…… だめだ!」
声を振り絞るヘップの後方から、稲妻めいたひと筋の光が飛来した。それは雷鳴を引き連れて敵の胴体へと突き刺さり、1本の槍として顕現したのちに消滅した。
「シェァァァァァッー!」
絶叫。その拍子にセラドが吐き出される。
ヘップが振り返ると、遠方にジーラの姿が見えた。”雷槍”―― 賢者ホーカスがヴァルキリーに与えた魔法の武器―― を投擲した姿勢のまま、彼女がゆっくりと倒れる。追い付いた聖戦士たちが、何かを叫びながらジーラを引きずって後退してゆく。
「う、お、おぉぉぉ……!」
セラドは泥まみれの剣を拾い、手足の痺れを無視して立ち上がった。まだ使い物になる左目で敵を睨む。残る首Bの胴体―― セラドの胸の高さの辺りに、先ほどまで存在しなかった傷を見つける。
「へへ…… 幻覚、じゃねぇよな?」
不敵に笑いながら覚束ない足で近づき、両手で柄を握り締め、穿たれた傷穴に剣を突き刺した。ゆっくりと、残った力を振り絞り、体重を乗せて剣身をズブズブと押し入れる。蛇竜が大呼して身を捩る。その度に傷は広がり、ドボドボと噴き出す体液がセラドの顔を濡らす。
「うめぇ。もっとよこせよ。根競べだ」
セラドは焦点を失ったような目で言った。
「セラドさん! 退いてください!」
「あ? ヘップ、……か? あー。そうそうヘップくんコレ……」
蛇竜が全身を大きく曲げ、セラドを噛み殺そうとしている。
「落とし物」
セラドがポケットから取り出したのは、【爆発】の鏃。剣を傷穴から抜き、代わりに鏃を捩じ込む。敵の牙が迫る。セラドは鋼鉄の左腕を盾代わりにしてそれを食い止める。牙が左肘を貫通し、義手は神経ごとブチブチと引き千切られる。
「いってぇ! ……なぁ。ケンカ売ってんのか? ああ!?」
右手一本で水平に振り抜かれた剣が、鏃を強かに打った。
耳をつんざくほどの凄まじい破裂音と衝撃波。
全ての首を失ったヒュドラープラントは、枯れ木のように萎んでピクリとも動かなくった。

「セラドさん…… セラドさん!」
吹き飛ばされたセラドのもとへにじり寄ったヘップは、彼の顔を見て愕然とする。顔の右半分が赤黒く変色し、薄っすらと開いている右目は何も映していない。左目が微かに動き、ヘップの方に動いた。
「……お。ヘップ? なんか変だな」
ヘップは「やりましたよ」とだけ言って、彼の右手を握り締める。指が小刻みに痙攣している。肌が青黒い。毒が全身に回り始めているのだ。毒。サヨカの言葉を思い出す。義手を失った左腕からは大量の出血。セラドはうわ言のように呟いている。
「ヘップ。ヘップよぉ……。人間ってのはクソバカだぜ。他人のためによ。英雄気取りで…… 無謀な行動に出やがる。で、あっけなく死ぬのさ。……オレはどうだ? セラド様だ。オレはそんなバカな真似をしねぇ。そうだろ? なあ。……だから安心してよ。そこで大人しく寝てろ」
「はい。セラドさん」
ヘップは臭気と涙で霞む目を拭い、ダガーで己の服を裂く。セラドの左腕に巻きつけ、力一杯に縛る。
「なあヘップ。キスポも、サンシャも、逝っちまってよ。オレはセラドなんだけどよ。オレは何なんだろうなあ。サヨカも、ルカも、ホーゼも、お前も、…… ああ借金、返さねぇとなあ。でも…… 少し休ませてくれ」
セラドの呼吸が浅くなってゆく。左目の光まで消えようとしている。
「セラドさん? ……セラドさん! セラド! ねえセラド! セラドってば!」


【第11話・完】

第12話に続く


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