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ダンジョンバァバ:第12話

目次

トンボ、イノック、イラッチ、テレコ、ニッチョ、カナン、パッチ、べべ、ジャン…… 報せを受けた者たちがこぞって診療所に駆けつけ、ヘップたちを励まし、セラドの無事を願いながら帰っていった。

受付と待合室を兼ねた一室。
誰も喋らなくなってから、もう随分と時間が経つ。
重苦しい空気と不安に圧し潰されそうになりながら、ルカ、ホーゼ、ジーラ、そしてヘップの4人は、心の中で祈り続けていた。ルカは戦神ラゾスに。ホーゼは灼熱王ファルセ・ローと、氷の守護者イシィに。両膝立ちで合掌を続けるジーラは光の乙女ミーニルに。
ヘップはまじろぎもせず、前方の扉を見つめている。幼いころ盗賊団に拾われ、ひたすらにシーフの業を叩き込まれてきた彼には、信仰心というものが無い。頭領のナモンは、”義賊王” の異称を持つ神レル・ベインの名をしばしば口にし、祈る仕草を見せもした。だがヘップには、それがどこか表面的で滑稽なものに思えてしかたがなかった。やがてナモンは道を踏み外し、拾い子に殺される運命を辿る。ヘップは神に祈らない。いま、彼が祈るような気持ちで一切を委ねる相手は、扉の向こうにいる2人のエルフだ。ひとつの命を救うべく尽力してくれているのは、神などではない。

◇◇◇

処置室のドアノブが回る音に、4人は立ち上がる。静かに扉が開き、沈痛な面持ちのサヨカ、そして表情の無いアンナが出てきた。なめし革のエプロンは血にまみれ、結わえられた翡翠色と金色の髪はすっかりほつれている。4人は頭に浮かんだいくつもの質問を飲み込み、エルフが口を開くのを待った。

「――なんとも言いようがない」
金色の眉を微かに動かし、アンナが言った。
「どういうことだヨ」
堪えきれずルカが詰め寄る。アンナは表情を変えず、燃えるように赤い瞳で見つめ返す。
「貴様たちが期待しているのは ”助かった”、”もう安心だ” …… そんな言葉だろう。だが、それはまだ判断できない」
「そんな……」
「放っておけば確実に失われていた命。ひとまず繋ぎとめることには成功した。セラドは生きている。しかしあの毒は…… 私が知るヒュドラープラントのものより遥かに手強い。経過時間、失血量、例の体液の摂取量、治りかけの体…… そういった要因も重なり、完全に取り除くことはできなかった」
「ま、また一緒に戦えるんだろ? 旅先でもヨ、アイツ死にそうになったんだ。その時だって…… とぼけた顔で。バカみたいに酒だって」
「最後まで聞け」
アンナは切れ長の目を鋭く細め、ルカの言葉を遮る。
「……毒によって組織が損傷し、一部の臓器は機能不全を起こしている。セラドはこれから死ぬかもしれない…… 私はそう言っている。そしてこのまま快復に向かったとしても、右目の視力は戻らない。左腕はふたたび義手に頼ることになろうが、以前のように動かすことはもう出来ないだろう。体のどこかに麻痺が残る可能性もある。……戦う戦わないの前に、剣をまともに握れるのかすら今はまだ分からない」
淡々と発せられる、痛ましい言葉。4人は何も言えず、黙って聞き入っている。
「すみません。師匠も、私も、何とか、したかったのに……」
サヨカは崩れ落ち、悔し涙を零した。
「貴様はよくやった。私ひとりでは死なせていたかもしれない」
アンナが言った。
ホーゼがサヨカに近づき、小さな手を彼女の膝に乗せた。
「サヨカ殿。彼の命を繋いだのは、お二人の力があってこそ」
「アタイのせいだ……! アタイがきっちり仕事してりゃあ……」
ルカがギリギリと牙を鳴らし、握り拳に血を滲ませる。
「あの、顔…… 見てもいいですか」
ヘップの言葉にアンナは頷き、ドアノブに手をかける。
「短時間で済ませろ。触れるなよ。鎮静薬が効いて今は眠っている」

大きな診療台の上に、セラドが横たわっていた。
アンナが開業時に特注した金属製の台は、綺麗に磨き込まれている。石床を濡らしたであろう大量の血も、その臭いだけを残してすっかり洗い流されていた。
4人は呟くようにセラドの名を口にし、そろりと近づく。
魔法灯に照らされた肌はまだ青黒さを残しているが、本来の色に近づいているように見えた。顔の半分と左肘、そして胴体のほとんどが包帯に覆われ、右腕からは数本の管が伸びている。厚い胸板が上下している様子を見て、一同は少しだけホッとした気持ちになった。
「あれを頼めるか」
アンナに言われ、ヘップが部屋の隅を見る。無造作に積まれていたのは、セラドの所持品だった。泥と血に塗れた防具。緊急処置のためか、切り裂かれた下着類。楽器。それに―― 折れた剣。
「はい。手入れしておきます。また、いつでも使えるように」
「サヨカ、貴様も休め。あとは私が見ておく。何かあれば報せてやる」
力なく頷いたサヨカは折れた剣を大事そうに抱え、ヘップたちと処置室を後にした。
ひとり残ったジーラは、直立不動の姿勢を崩そうとしない。ブロンズ色の大きな目をしっかりと開き、セラドの姿を網膜に焼きつけている。フェルパーの悲願のために命を賭した男の姿を。
「おい貴様も――」
振り向きながら言いかけたアンナは口を閉ざし、小さく鼻を鳴らす。戸口に寄りかかって腕を組み、ジーラが動き出すのをじっと待った。

―― ここはどの王国領にも属さず、半ば歴史から忘れ去られていた不毛の地、セイヘン。セレンの里でヒュドラー・プラントを撃破したヘップたちは、バァバの手助けによってドゥナイ・デンに戻っていた。

◇◇◇

第12話『笑う男』


久しぶりに迎えたドゥナイ・デンの朝は、旅して回ったどの場所よりも静かだった。普段は診療所で寝起きしているサヨカを含め、5人は宿屋で睡眠をとった。心地よい朝の光で目を覚ましたヘップは、まだ夢の中にいる3人を置いてそっと客室を出る。

――「アンタたち! 全員ウチに泊まりな! 長旅で疲れた体にはね、ウチの薬草風呂! 上等なベッド! それに栄養満点の料理! ホラ! さっさとついてきな! 替えの服? アンタね、ウチは血まみれ埃まみれ体液まみれのハンターを相手にしてる宿屋だよ? っと、さすがにフェルパー用は…… ま、下は何か見繕ってあげるさ。ノームのアンタは…… ベベの古着が丁度いいね。ああ、防具は専用の洗い場で。ヘップ、明日にでも案内してやって」

診療所を出た5人を待っていたのはハーフリングのテレコだった。彼女は気を使う隙すら与えず捲し立て、自らが営む宿屋に無理矢理連れ込んだ。ヘップ、サヨカ、ルカ、ホーゼの4人は疲れと汚れと臭いを洗い流すと、食事を摂る間もなく眠ってしまった。

1階に降りたヘップの足が、自然と大食堂の方へと向かう。空きっ腹を刺激する美味そうな匂い。ふとセラドの顔が頭に浮かび、己の食欲に罪悪感を覚えてしまう。
「おはようヘップ兄ちゃん!」「ご飯できてるよ! 私たちはもう食べたよ!」「ヘップ兄ちゃんだー」
「おはよう。カナン、パッチ、べべ」
廊下でハーフリング三姉妹に捕まったヘップは気を取り直し、まとわりつく小さな頭をくしゃくしゃと撫でながら大食堂に向かう。
「ねえセラドは?」「セラド助かったの?」「おじちゃん大丈夫?」
「うん、皆が心配してくれたから。きっと大丈夫。ねえ、ジーラさん見なかった?」
「猫さん? お外に行ったよ!」「ひとりでご飯食べようとしてたから一緒に食べたんだよ!」「わたしあの人好き!」
「え、そうなんだ……」
大食堂に入ると、6人掛けのテーブルがいくつも並んでいる。うち2つには6人組と4人組のハンターたちが座り、朝食を摂っていた。さらにその奥、隅のテーブルに金髪の青年がひとり座っている。違和感。悟られないように視線を向ける。この頃になっても、ドゥナイ・デンに足を踏み入れる新顔はゼロではない。だが、青年の身だしなみや食事作法は慎み深く…… それでいて護衛の類を引き連れていないことが ”ここでは” 不自然だった。
「お母さんとお父さんに知らせてくるね!」「私はサヨカさんたち起こしてくる!」「わたしもー!」
ヘップは「ありがとう」と言って食器が並べられた卓に腰掛ける。目を閉じ、深く息を吸う。3つ首の蛇竜。至らなかった自分の戦闘力と采配。崩れ落ちる仲間たち。満身創痍のセラド――
「よう、ヘップ。聞いたぜ」
肩を叩いたのは、先ほどまで別テーブルに座っていた古参のドワーフレンジャーだった。当然ながら酒場の常連客で、セラドとも何度か酒を酌み交わしている。
「アイツ、大丈夫なのか?」
「はい。一命は…… でもまだ油断できない状態で」
「そうか。ま、ドワーフ並みにしぶてぇ男だ。きっと良くなる」
三つ編みの髭をしごきながら、レンジャーが頷く。
「はい。きっと……」
「虫みてぇな返事だなオイ。……しっかしあれだけ深く潜ってる男がまさか地上で大怪我するたぁなあ。一体何が起きてるんだ? お前もサヨカちゃんもいきなり旅に出ちまうしよ。バグランとバテマルちゃんだってそうだ。あのモリブのドワーフめ……」
「あ、いや、それは……」
バグランとバテマルがモリブ山に向かった件は、昨晩バァバから聞いていた。トンボは見舞いにジャンを連れてきて、少年がニューワールドの手伝いをしてくれていると説明した。
「ワシがバテマルちゃんを狙っているのを知ってて……。アッ、そういやバァバが酒場にハンターを集めて何か話すらしいが、知ってるか? 今日の夜だ」
「え? はあ、いや」
何からどう答えていいか分からず、ヘップは口ごもった。何をどう思ったのか、老け顔のドワーフレンジャーは豪傑笑いをする。
「ワッハ! そうか。ま! 何か困ったコトがありゃよ、遠慮なく声かけな。テルル山の名射手、必中のアイーレ様とその仲間たちにな!」
アイーレは目じりに皺を刻みながらウインクし、食堂から去っていった。彼の仲間たちが追いかけ、両脇から茶々を入れる声が廊下に響く。
「もう必中とか言うのよしなよ恥ずかしい」「うるせぇ!」「一昨日も何本か外してたろ」「いいえ全部カスってました!」「雑貨屋に老眼レンズ売ってたわよ」「いらんわ!」
ヘップが苦笑していると、入れ替わりでサヨカたちが食堂に入ってきた。

◇◇◇

食事を済ませた4人はテレコとニッチョに礼を述べ、寝巻姿のまま急ぎ足で宿屋裏手に向かう。テレコによれば、食事の際にジーラが洗い場のことを聞いてきたと言う。
「おはようございます」
鎧を外した布服姿のジーラは、すでに4人の防具の手入れを終えていた。長旅で輝きを失っていた金属は磨き込まれ、汚れ切っていたホーゼとサヨカのローブはニッチョ特製の洗濯石鹸で丁寧に洗われていた。まるで生き返ったような装備を見て、4人は口々に感謝の言葉を述べる。
「いえ、いいんです。私のは汚れていませんし…… せめて何かしたくて。でもヘップさんの皮鎧は損傷が激しいので、補修は難しそうです。それに――」
ジーラが視線を向けた先には、泥と血にまみれた防具が残っていた。楽器も。
「これは、私が勝手にしないほうがいいと思って」
4人は黙って頷き、セラドの防具を各々手に取る。
「はいヨ」
ルカがジーラにリュートを手渡す。
「アタイがやるとブッ壊しちまいそうだしさ。細かい仕事、得意そうだし」
ジーラは少し戸惑いを見せたあと、「はい。任せて」と言ってふたたび袖を捲る。

◇◇◇

手入れを終えて軽装に着替えた一行は、揃ってアンナの元を訪れた。ブラッドエルフの眠りがいくら短いと言っても、限界はある。少しやつれたように見える彼女はそれでも「気にするな」の一点張りだった。セラドは小康状態を保っているが、まだ病室に移すことはできない。何の力にもなれない5人が中央通りに追い出されたところで、武具屋の方からバァバが歩いてきた。

「ま、立ち話もなんだからね」
そう言ってバァバは診療所の斜向かい、厩舎の柵に腰かける。隣に並んで座るのを躊躇った一同は、バァバを囲む形で立ったまま話を聞くことにする。
「ドーラはザンネンだ」
パイプ煙草をたっぷりふかしてから、バァバがポツリと言った。ジーラは姿勢を正し、目の前に座るバァバを見下ろす。祖母から子守歌のように聞かされた ”戦士たち” のひとり。毒と病と呪いの使手。ネクロマンサー。どの書物にもほどんど記録が存在しないクラス。だがこうして実物を見てみれば、ただの ”生きた” 老婆としか思えない。皺だらけの手。薄汚れた灰色のローブ。フードの下から覗く白髪交じりの髪。白黒の右眼。
「祖母はまだ生きています。セレンの里に帰ることで…… 症状も回復するかもしれません」
「ソウネ。……いい女だったよ。並外れて強かった。最高位…… オリンピアンに到達した聖戦士なんて初めて見たさ。……時の流れってモンを感じちまうね」
感傷に浸るバァバも、他人を褒めるバァバも珍しい。一同はそれだけで理解する。ドーラという戦士が、いかに優れた存在だったのかを。
「……お前さんのように立派な戦士を育ててくれたことに感謝しよう」
バァバはジーラを見上げ、締め括った。
「いえ、そんな。私たちのせいで…… 本来なら祖母と母が――」
「今日、タリューに向かってもらうよ」
唐突に話題が変わる。ジーラは口を開けたまま目を丸くした。
「「今日?」」「「タリュー?」」
「ソ。決戦は近い。お前さんたちの担当は ”天の厄災” だ。今のうちからブラッドエルフたちと信頼関係を築いて、塔の戦いにも慣れてもわらないとね。ま、大まかな作戦はアタシとソーヤが…ヒヒ」
思いがけない一言に、全員が身を固くする。今まで明確に語られなかった役割。相手は ”天” 。現実味を帯びる ”決戦” の二文字。
「でもまだセラドさんが」
ヘップの言葉に、残りの4人が強く頷く。バァバはウンザリしたような顔で鼻から煙を吐き、小さく舌打ちした。
「ヘップ。アンタもっと賢い男だったろう? 分かり切ったことをイチイチ……。虫の息のアイツをここに運んだのは誰だい? 酒臭くて。泥まみれで。血もドボドボ垂らして。そのうえでアタシは ”今日” って言ってるの。置いて行くんだよ。アイツの快復なんて待っちゃいられないのさ」
「ババア…… 鼻ヘシ折るぞ!? そもそもテメェのお使いじゃねーか。ロクな情報も無しでヨォ」
「あー悲しい! 悲しいねぇ」
バァバはオイオイと泣くようなそぶりで続ける。
「か弱い老婆のお使いも満足にできない? これから未知の塔に挑もうって戦士たちが情報不足に不満を垂れる? オーガの戦士が情けないコト言って…… バァバ悲しい」
「ンの……!」「ルカさん」
小柄なヘップが強引に割って入る。バァバはケロリとした顔でさらに続ける。
「チンタラしてる時間は無い。任せた旅も予想以上に長引いちまった。コッチもコッチでいろいろ忙しい。だからお前さんたちにはサッサとアッチで頑張ってもらうのさ。ワカッタ?」
一同を睨み上げながら、バァバは煙草をふかす。
「でも…… 6人必要なんですよね?」
サヨカが不安そうに言うと、バァバが薄気味悪く笑った。
「ヒヒ…それは大丈夫」
「大丈夫? 何がです?」
「ま、それは後で。ひとつ大事な話をしよう。……コホン。ン” ン”、カーッ、ペッ! ……いいかい、全員よく覚えておきな。ダンジョンには6人必要か? 答えはイエス。……先人が大量の命を犠牲にして結論付けたのが、1グループ6人編成だ。いや別に12人の2グループでもいい。だがひとりでも補欠野郎がいたらダメ。最高の人材に拘らなきゃいけない。なぜならエー、アー、その理由はエー、……省くけど、タリューに行ったら聞いてみな。その手の話が大好きなヤツがいるから。で、だ。6人で潜って、5人になっちまったら? お前さんたちのひとりが途中で死んだら? ……どうだい? 何も考えずにケツ向けて逃げ出すのかい?」
「つまり、5人でやれ、と?」
「クク…違う違う。ケースバイケース。黴臭い言い伝えや誰かが言った決まり事に縛られず、自分の頭で考える。これは負け戦になっても死んで来いって話じゃない。冷静に勘定しろって話。……ついてきな」
バァバはパイプを叩いて灰を捨て、ありえない速さで歩き出した。

◇◇◇

一行を連れたバァバはドゥナイ・デンの北西区画から荒野に出て、西の山間部へと向かった。かつて水や緑が存在した形跡など微塵も感じられぬ乾いた平野を歩き、やがて姿を見せた小さな洞窟へと足を踏み入れる。
「こんな所に洞窟……」「ったく、一体何なんだヨ」
半ば駆け足でここまで来たヘップたちは、足を止めて息を整える。奥から吹きつける風が心地よく、汗ばんでいた体の熱を冷ましてゆく。
「ヒヒ…クク…」
自らが案内役であることを忘れてしまったかのように、バァバはひとり洞窟の闇の中へと消えていった。サヨカとホーゼの灯りを頼りに、慌てて後を追う。ゴツゴツとした足場に気を配りながらしばらく進むと、前方のバァバが足を止めた。ヘップたちが追いつく。洞窟はそれほど深くなかった。行き止まりに小さな空間があり、天井に開いた大きな穴から自然光が差し込んでいる。

「え?」「嘘だろ」「なんと……」「わ」
檻があった。天井と四方を鉄柵で囲まれた、頑丈そうな檻。大人が立ったり寝たりするにはやや窮屈な檻の中で、ひとりの男が胡坐をかいて座っている。銀髪。褐色の肌。皮膚に張りついたような笑顔。
「やあ! やあ! やあ! 大勢話し相手が来てくれたと思えば! またお会いしましたね皆さん! おや? あの酔っ払いがいませんね。やっぱりあの時? 死んだのかな…… 殺しちゃったのかな…… フフ…… ハハッ! そちらのレディは、初めまして。いやあ生身のフェルパーを見れるなんて。美しい。悪趣味なバカ貴族が大事にしてましたよ。剥製。うん、こりゃあ生きている方がずっとい――」
誰にも止められぬ速さで迫ったルカの拳が、シンの放言を遮った。
【メイジフィスト】が鉄柵ごとシンの顔面を粉砕する―― ことなく弾き返され、ルカが仰け反る。体勢を立て直してもう1発。見えない壁が拳を弾く。もう1発。
「んだコレ!」
シンは瞬きひとつせずに拳の動きを追い、ニンマリと笑っている。
「ハハッ! 怖いなあ。オーガの、ルカさんでしたっけ? 私、名前覚えるの得意なんですよね。言ってくださいよそこの極悪オババに。結界を解けー! って、ね。あ、そうそう、お腹もペコペコなんですよ。喉も乾いたなぁ。何か持ってません?」
「ババア! 解け! 殺してやる!」
荒ぶる戦神の如き形相でルカが振り向く。
「殺しちゃ困るね。6人目の戦士だから」
バァバは肩をすくめ、涼しい顔で言った。

◇◇◇

ルカとバァバの押し問答が続いていた。とは言っても一方的に詰め寄るのはルカで、バァバは言葉少なにはぐらかしている。胸倉を掴まれそうになれば巧みな手捌きでそれを受け流し、まるで地面を滑るように左へ右へと移動する。そのやり取りにシンは手を叩いて笑い、声援を送っている。

「連れていきましょう」

ヘップが大声で言った。ルカはピタリと動きを止め、信じられないといった顔で振り向く。
「あ? ……ヘップ、何言ってんだヨ」
半ば呆然としていた表情に、じわじわと怒りの色が混じってゆく。目を丸くしたサヨカとホーゼは、ヘップの真意を探ろうと次の言葉を待っている。
「裏切らない確信…… 保証があるんですよね?」
尋ねられたバァバが満足そうに頷く。
「ヘップ、やっと利口なアンタが戻ってきたね…ヒヒ。ソイツの首を見てみな」
シンの首に、金属製の細い首輪がはめられている。
「レア中のレアなAFFIXがついたマジック・アイテムさ。アタシが定めた掟に反すると…… ドカン。周囲を巻き込むほどのモンじゃないから、ヤケクソになっても死ぬのは本人だけ」
「……いくつか質問、いいですか」
「はいヘップくん。ドーゾ」
「解除は?」
「秘密。アタシしか外せないから安心しな。無理矢理外そうとすれば当然ドカン。手首足首なら切断って手もあるが、首は…… ね。ヒヒ…」
「バァバが死んだら? ……いや、えっと、常人でいう死亡状態になったら?」
「一生そのままだね。真っ当に生きてりゃ平気だよ。戦が終わったら畑仕事にでも励めばいいさ」
「掟の内容は?」
「それも秘密。知らない方がドキドキするだろう? かなり細かく定めてある。徹底的にね。コイツに伝えてあるのはひとつだけ」
「ひとつ?」
「ソ。……5人を裏切らない。それだけ。罠に嵌める、ドカン。見殺しにする、ドカン。殺してはいけない対象を殺す、ドカン。トンズラ、ドカン。……など、など。ごく当たり前のコトばかり。だから ”戦士たち” として選ばれた者同士、仲良くやれっとくれ…クク」
「ああ恐ろしい! ねぇ皆さん、聞きましたよね?」
シンが天に向かって嘆く。演技じみた仕草に一同が閉口する。
「こんな非人道的な首輪をつけておいて、さらに監禁ですよ。食事も水も満足に与えられず拷問同然。わかりますね? これは過剰ですね? それで仲良くやれって。ああ酷い。私はそんな悪玉じゃありません。ワケあって不承不承、しぶしぶ、やむを得ず皆さんを殺そうとしましたが、今は晴れて自由の身。……のはずが、悪しきオババの仕打ちによって不自由の身。ですからさあ、コレを外して、心から―― イテッ!」
檻が青白く発光し、バチッという音と同時にシンが尻餅を突く。
「黙ってな。晴れて自由の身にしてやったのはアタシだろう?」
「テテテ……。ま、そうとも言いますね。ハハッ!」
笑い声が洞窟内にこだまする。
「……これまでさんざん連携だ協調だって言っておいてヨ。こんな狂人に命を預けろってのか?」
未だ全身から殺意を漂わせるルカが、吐き捨てるように言った。
「ソ。決して裏切らない、逃げないって意味では、誰よりも安心」
「ここ一番ってところで自死する恐れもありますよね? オイラたちを、この大陸を巻き込んで死のうって」
「うわ、ヘップくん! なんて恐ろしい発想! こっちが心配になりますよ? 大丈夫ですよ? 進んで死ぬような真似はしません。……厄災ってのをこの世から消すまでは」
最後の一言を吐く瞬間だけ、シンは真顔になった。
「ソ。心配無用。頭カラッポに見えるが、コイツにも戦う理由がある。それに騙そうってならとっくに首から上が吹っ飛んでるさ」
ニヤケ顔に戻ったシンが何度も頷く。
「そうそう! それそれ。オババは弁が立つなぁ。連携についてもご心配なく。皆さんの戦い方は先日の手合わせでだーいたい掴んでますから。私ね、人に合わせたり、何かの役割に徹するのが得意なんです。変装も得意ですよ? だから心配しないでください。仕事はキッチリやりますからね。ドーンと信用しちゃってください」
――沈黙。飄々と吹き抜ける風の音。
「……わかりました」
ヘップはあらためて腹を括る。
「オイ! ヘップ」
「バァバの言う通り、一刻も早く向こうの環境に慣れないと。ブラッドエルフとの関係。塔の内部。どのくらいの広さか。どんな罠があるのか。どんな敵がいるのか。ショートカットは。本番の進攻ルートは。ペース配分は。必要な道具は。それにもっと鍛えないと。6人いれば、できることが増える」
「だからって――」
「セラドさんは必ず来る!」
自分に言い聞かせるようにヘップが叫ぶ。
「……必ず。後から。それまでにやれること、やらなきゃいけないことは山ほどある。ここでただひたすら待っているのは時間の無駄。だからオイラたちはそこの彼―― シンを加えて、タリューに行く」
決断的で力強い宣言により、5人の意志は統一された。誰もがセラドの快復を信じているが、心のどこかで誰もが思っている。セラドは来られないかもしれない。だからといって自分たちが前に進まなければ、何もかもが台無しになってしまう。
――キィ、と音が鳴り、檻の前面がひとりでに開いた。
シンは唇をペロと舐めて外に出ると、気持ち良さそうに背伸びする。
「ンー! シャバの空気は最高ですね! ……新グループの誕生で感動的な場面ですけど、これ、私はただのツナギだって言われてますよね? ……ま、いいですけど。セラドくんと交代できたら田舎で畑仕事にでも励みますから。ハハッ! あっ、オババは返してくださいね。私の装備一式」

◇◇◇

夕刻。古寂びた修道院の前に、6人の男女が並んでいる。
「達者でな」
見送りに来た坊主頭の男―― トンボが言った。隣のジャンは、熱い眼差しでヘップを見つめている。目の前の小さなホビットが大陸の存亡を賭けた戦いに赴くことを、少年は理解している。
「バグランさんにも宜しく伝えてください」
「ああ。必ず」
「ジャンも、お店のことよろしくね」
ジャンは背筋を伸ばし、ちからいっぱい頷いた。それからヘップの前に歩み出て、大事そうに握っていたカタナを渡そうとする。
「これは?」
ヘップは鯉口を切り、ゆっくりとカタナを抜く。
「わ、軽い…… 羽みたい」
刀身の軽さにひとしきり驚いてから、慎重な手つきで鞘に納める。
「ジャン、ありがとう。でもこれは君が持っていて」
返されたカタナを胸に抱え、ジャンはがっくりと肩を落とした。どうせここが戦場になれば、三姉妹と一緒にどこか遠くへ連れていかれる身。地獄の底から引っ張り上げてくれた戦士たちのために、せめてカタナだけでも。
「ジャン。己の得物を安易に手放すな。木刀で家族を守るつもりか」
トンボにたしなめられ、ジャンはきょとんとする。
「どうだヘップ。随分と身体つきが逞しくなったと思わんか?」
トンボがジャンの肩に手を置き、何やら意味ありげに問う。
「はい。背も伸びて」
「まだまだ未熟だが、素振りは格好がついてきた。今は私が稽古をつけている。店も暇だからな」
「最高の師匠ですね。立派なサムライになるのが楽しみです」
遠回しに褒めるのはトンボの癖だ。ヘップはなんだか懐かしくなり、同調しながら頬を緩ませる。
「クク…お前さんたち。今生の別れじゃないんだから。決行前に全員集合の場を設ける。それにアタシが時々顔を出すから寂しがらなくていいよ。バテマルに頼んである武具も届けてやらにゃね。……まずは10日間。この先10日でしっかり向こう側に慣れとくれ」
「そちらは大丈夫なのですか? もし祖母が欠けたら……」
ジーラが申し訳なさそうに言った。バァバは「何とかするさ」とだけ答え、ブツブツと詠唱をはじめる。グループゲート。大量の魔素と貴重な触媒を消費する代わりに、術者以外を最大10名程度まで転送できる。ごく一部のクラスにのみ伝わり、その中でもランク10を上回る『称号持ち』だけが扱う高位スペル。
戦士たちが長い詠唱の言葉に耳を傾け、背後の夕日が作る6つの影を無言で眺めていると、目の前に赤い光を放つ楕円形のポータルが出現した。
「さ、とっとと行きな。町の近くの高台に出る。ウッカリ足を滑らせて死なないように…ヒヒ。族長のソーヤには話をつけてあるから」
1歩を踏み出す前に、5人が後ろを振り返る。その目は中央通りの先、診療所の方に向けられている。
「グズグズしない。ポータルが消えちまったら走ってもらうよ」
「じゃー、一番乗りぃー! ハハッ!」
シンが勢いよく光の中に飛び込んだ。
「あ、ちょっ」「テメェ!」「ホッホ!」
戦士たちは一斉に向き直り、問題児を追ってポータルの中へと消えていった。

【第12話・完】

第13話に続く

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