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ダンジョンバァバ:第10話(後編)

目次
前回

「セェー、リャ!」「ソォー、ヤッ!」「セェー、リャ!」「ソォー、ヤッ!」

「んー…… ウルセー……」
目を覚ましたルカは天井をたっぷりと睨みつけてから、のっそりと身を起こす。
「フー……」
深呼吸をひとつ。硬く狭い寝台から降り、低い天井や積み荷に注意を払いながら、薄暗い船底を歩く。
「セェー、リャ!」「ソォー、ヤッ!」「セェー、リャ!」「ソォー、ヤッ!」
マストにめぐらされた螺旋階段から甲板に上がると、強烈な朝日が目に沁みた。思わず顔をしかめ、瞼を半分閉じる。
縦一列になって両舷に座るフロルグたちが、気合の入った掛け声に合わせて長大な櫂を操っている。さらにその先―― 船首には、船長のトビー、サヨカ、セラド、ヘップ、そしてヘップに肩車されているホーゼらの背中が見えた。
ルカはもう一度深呼吸し、おぼつかない足取りで仲間たちに歩み寄る。波は穏やかで、昨日ほどの揺れは無い。
「おっ、ルカサン。眠れヤシたか? 顔色は…… 良くなってヤスね」
トビーが真っ先に振り向き、灰白色の顔を見てケロリと微笑んだ。
「あー、まあ……」
「ホッホ…… お嬢、きちんとお礼を。クスリを煎じてくださったトビーさんに」
「あー、……ありがとヨ」
「いえ、いえ。もう船酔いの心配は要りヤセンよ」
「着いたの?」
ルカは尋ねながら、軽い目配せで仲間と挨拶を交わす。
「あれです。思ったより大きいですね」
答えたヘップの視線の先―― 100ヤードほど前方に、大きな島が見えた。白い砂浜と海岸林が帯状に続き、島の奥には急傾斜の山がいくつか確認できる。
「漕ぎ方、ヤメーッ!」
船長の号令に、フロルグたちの動きがピタリと止まった。
「スミヤセンが、ここからは泳ぎで。遠浅なんですぐに歩けるようになりヤス。荷物はアッシらが浜まで。武具も潮水に浸したくなけりゃオマトメを…… 旦那、その左手も気をつけて。錆びちまうやもしれヤセン」
「心配無用だ。泳ぐ必要すらねぇ。ベテランのバード様がいるからな」
セラドは得意げな顔でニヤ、と笑い、後ろ腰から抜いたフルートをクルリと回した。トビーはその意味を理解できず「へぇ?」とだけ言って説明を続ける。
「食糧は2日分。現地調達もできヤスが、念のため。アッシが担ぎヤス」
トビーが説明している間に、フロルグたちはテキパキと準備を進めてゆく。錨を下ろし、縄梯子を垂らし、トビーの前に大きな背嚢をふたつ置いた。
「あ? お前も来るのか?」
セラドが片眉を吊り上げる。トビーは胸を張って大きく頷いた。
「エエ、エエ。ここの森は険しい。案内役が必要でサ。追加の駄賃は要りヤセン」
「詳しいのか」
「ン―? 詳しくはありヤセンが…… エエ。多少は。とは言え興味本位で訪れたのは何十年も前、組合が猫サンたちに喧嘩を売る前の話でサ」
「頼りねぇな……。フェルパーはどんな場所に住んでるんだ?」
「サー? …… 御自宅には招待されず仕舞いで。アッシらはたまたま彼女たちの水浴び場に辿り着きヤシてね。以降はそこで何度か物々交換を。島の樹木から採れる乳香にはね、薬用効果があるんでサ。それがまたイイ香りで。大陸の御夫人に大ウケ」
トビーがケケッと笑い、商売人の顔を覗かせる。
「で? その水場に行けば会えるかも、ってか」
「エエ、エエ。まだそこを使っているか保証はできヤセンが」
セラドは「フン」と鼻を鳴らして顎をさすり、ヘップを見る。
「トビーさんの案内で水場を目指しましょう。闇雲に歩き回るよりもいい案です。トビーさん、森に危険な動植物や魔物は?」
「お天道様が顔を出してる間は平和な森でサ。当時は罠もありヤセンでしたし」
「罠?」
「エエ、エエ。組合のヤツらは5回ここに殴り込みヤシたが、回を重ねるごとに森の罠は凶悪になっていったって話でサ。実際、ビスマのおっきな診療所が怪我人で溢れかえって……」
「おっかねぇ。ま、オレらにゃ最高のシーフがいるから安心だ」
セラドがヘップの肩を叩くと、仲間たちも小さなリーダーに声をかける。
「ヘップさん頼りにしてますー」「気ぃ抜くなヨ」「ホッホ!」
「えー? ええ、まあ……。アウトドアかぁ。レンジャーに劣りますが……」

―― ここは無人島。しかし今は猫人族フェルパーが住み着き、船乗りたちからは ”猫島” と呼ばれていた。ヘップたちは、かつて厄災と戦った ”戦士たち”、その最後のひとり、女王ドーラを探すために森へと足を踏み入れる。

◇◇◇

第10話『港町の蛙、無人島の猫』(後編)


「ったく。ダンジョンより不快だな。草はボーボー。空気はジメジメ……」
「同じところをぐるぐるしている気持ちになりますねー」
「うぇ、なんだヨこの虫!」
鬱蒼とした樹木が強い日差しを遮り、代わり映えのない景色は方向感覚を失わせる。すでに西も東もわからなくなっていたセラド、サヨカ、ルカの3人は、トビーの曖昧な記憶とホーゼのマッピング、そして罠を警戒しながら先頭を歩くヘップに従い、奥へ奥へと進んでいた。
ヘップは神経を尖らせ、ダガーで枝葉や草を切り払いながら進む。まだ生きている原始的な罠を見つけては迂回し、必要があれば慎重に解除する。襲撃者がいなくなって久しい今、大半の罠は朽ち果てその役目を果たしていなかったが油断はできない。途中休憩を挟みながら、川に沿って丘陵の急坂を登ってゆく。しばらくすると川とは異なる水の音が混じり始め、その音は次第に大きくなり―― 森が途切れた。

眼前に、どうどうと音を立てて水しぶきをあげる滝が現れた。仰げば滝口は80フィートほど上にあり、断崖は見渡す限り左右に続いている。
「ここ、ここ。ここでサ。ここで猫サンたちは水浴びを」
「ホッホ! これは素晴らしい。神秘的。微量ながら魔素を感じますぞ……」
その滝壺は人間であれば数十人が同時に泳げそうなほど広く、思わず飛び込みたくなるほど澄んでいた。我先にとトビーが駆け、水辺に屈み込むと頭を丸ごと水に突っ込む。
「フェルパーは…… 見当たりませんね。気配もなし。しかも行き止まり」
ヘップが肩を落とし、ため息をつく。
「全員が迂回できる場所を探す? アタイは登れるから、様子を見てこようか」
「登る? この断崖を、ですか?」
「火吹き山ならこれくらい、ガキの遊び場ってレベルだヨ」
ルカは水面を凝視しながら会話を続けた。今すぐ防具を脱ぎ捨て、潮でベタつく体をどうにかしたい欲求に駆られる。
「おっさきー!」
浮かれた声とともにルカの横を走り抜けたのは、セラドだった。いつの間にか防具を脱ぎ捨て、下着一枚になっている。ルカはいつものように悪態をつこうとするが、彼の全身に刻まれた古傷―― そして最近増えたばかりの、まだ癒えきらぬ傷―― を天性の動体視力で捉えてしまい、口をつぐんだ。
「うっひょー!」
セラドが水面に向かって跳躍しようとした瞬間。
ドッ、と鈍い音。
「オアバァ」
直後にドボンと水没の音。
セラドのすぐ目の前、水際に木の棒―― トビーの得物より太く長い、槍のようなものが突き刺さった。ビインッと音を立てて震える棒に激突したセラドは、錐もみ回転しながら滝壺に転落していた。
ヘップとトビーが目を見開く。腕利きのシーフとモンクが察知できない相手。咄嗟に振り仰ぎ、さらに目が大きく見開かれる。崖の上。6つの人影が並び立ち、一行を見下ろしていた。

「これより奥はフェルパーの領域です。今すぐ立ち去りなさい」

滝から降り注ぐ水のように清らかな声。冷静で、有無を言わせぬ威厳があった。
「アー!? いきなり棒切れ投げつけて立ち去れだぁ?」
水面から顔を出したセラドが叫ぶ。彼を庇うようにトビーが両手を大きく広げ、敵意が無いことを示す。
「覚えちゃいませんか!? むかーし商売で世話になったトビーでサ」
「私の知人に喋るカエルはいません」
トビーが項垂れる。続いてヘップが数歩前に出て、声を張った。
「オイラの名はヘップ。ドゥナイ=デンから来ました」
「ドゥナイ=デン?」
「はい。かつて地の厄災を討った ”戦士たち”。彼らの依頼により、フェルパーの女王ドーラさんに会いに」
「戦士たち……」
声色が変わり、少し考え込む様子が伝わってくる。
「……その戦士たちの種族と名を、すべて言えますか」
「え? えーと、ドワーフのバグランさん。ワーウルフのトンボさん。ブラッドエルフのアンナさん。オーガのフロンさん。バァバは…… バァバはえーっと、一応人間? なのかな? それにフェルパーのドーラさん」
「……」
しばし沈黙のあと、声の主が断崖から飛び降りた。音を立てぬしなやかな動作で小さな足場から足場へと飛び移り、あっという間に一行と同じ土を踏む。ヘップは上に残った5人の動きに注意を配りながら、歩み寄る存在を素早く観察した。

――背丈はヘップより遥かに高く、セラドよりは少し低い。姿形も人間族の女性とほぼ同じ。しかしいくつか相違点があった。
まず、全身が紺青色の体毛に覆われている。同じく獣の体毛を持つワーウルフのそれよりも随分と短く、まるで何かの道具で綺麗に刈り揃えられたように均一で、艶があり、気品を感じさせた。
そして頭部。首から上が猫そのものだった。短めの耳がピンと立ち、目鼻立ちや髭も城下町で見かける猫と何ひとつ変わりない。
尻尾。その大部分は背後に隠れているため正確な長さは不明だが、反り立って肩口から覗く尾の尖端には、専用にこしらえたと思われる鏃のような武器が取り付けられている。
脚。獣脚。素足で、猫のように爪先で立っている。
布着の上に身に付けている防具は、太陽の光を受けて輝く黄金色の金属。ウォリアーのような重装備とは異なり、胸部、前腕、膝だけを覆っていた。ヘップは不思議に思う。防具は立派だが、武器を携帯していないのだ。

「ジーラと申します。ドーラは私の祖母です」
先ほどの声色と打って変わり、どこか幼さを感じさせる柔らかい声だった。
「ジーラさん。改めまして、ヘップです。セラドに、サヨカ。ルカ、ホーゼ。トビーさんは船乗りで、案内役です。彼はかつてドーラさんと交流があったそうで」
「ケケ。お孫サンでしたか。どうぞよしなに」
ヘップが手短に仲間を紹介すると、ジーラはブロンズ色の大きな目を素早く動かし、一行を見澄ます。
「詳しい話は上で伺いましょう」
「あ? 上? こんなの登れるかよ」
ズブ濡れのセラドが睨みを利かせるが、ジーラは気に留めず崖の上に合図を送る。
直後。一行の足元を、大きな影がいくつか通り過ぎた。
全員が空を仰ぐ。太陽の光を遮り飛翔する何かが5つ見えた。それらは優雅に翼を広げて滑空、一度だけ大きく旋回すると、降下を始めた。セラドとルカが迎撃の構えを取る。
「安心してください。敵ではありません」
ジーラが言った。
翼の主たちは、手綱を握る乗り手に促されて静かに着地する。それは怪鳥であり、四つ足で立つ獣とも言えた。頭部や前脚を含む前半身は巨大な鷲そのものだが、後半身は馬―― 白馬なのだ。体格も馬と同程度で、人間であればひとりふたりは悠々と乗れそうだった。目の前の5頭のうち4頭に、ジーラと同じ鎧を着た戦士がひとりずつ騎乗している。
「わぁ、すごい。可愛いですねー」
「おいおい。普通はダンジョンにいるヤツだろこーゆーの。ウィングリザードとかよ。オーガが飼ってるバケモノ亀といい、一体なんなんだよ。馬に乗れ馬に」
「ドラゴンタートルだ。可愛かっただろ?」
ルカがジロリと睨むと、セラドは「ぜんっぜん」と言って勢いよく首を横に振る。
「ホッホ…… グリフォンによく似ておりますが…… 亜種ですかな?」
杖に乗ったホーゼがゆっくりと近づき、興味津々の顔で観察する。
「ヒッポグリフです。私たちヴァルキリーの友。賢く穏やかな性格ですが、敵意には敏感なので気をつけて」
乗り手不在の1頭が、人懐っこい仕草でジーラの傍らに歩み寄った。その頭をジーラが撫でる。

ヴァルキリー。
カナラ=ローにはいくつもの神の名が存在するが、そのひとつ『光の乙女』ミーニルを信仰する聖戦士がヴァルキリーである。求められる信仰心、成すべき修練、守るべき戒律をすべて満たせるのは女性だけであり、種族についても厳しい制約を受けるため、非常に希少なクラスと言える。彼女たちは長槍を駆使した中・近距離戦闘を得意とする一方で、プリーストやパラディンに似た神聖系統のスペルを使いこなす。

「ホッホ。実に興味深い。ヴァルキリーは天を駆ける…… そう文献で読んだことがありますが、なるほどなるほど」
「それぞれの後ろに騎乗し、背中にしっかり捕まってください。ホーゼさんはその杖で上まで飛べますか? 出来なければルカさんと一緒に。トビーさん、あなたは私の後ろへ」
ジーラが、聞いたばかりの名前をスラスラと口にしながら指示を出す。

◇◇◇

フェルパーの集落は滝の上、水流の激しい川から少し離れた場所にあった。木々を間引いて風通しを良くした森の上部。まるで空中にもうひとつの地面があるかのように床板が張り巡らされ、その上に建物が点在している。木製の地面はいくつかの区画に分かれているらしく、それぞれが吊り橋で結ばれていた。
「ホッホ…… 見事な造りですな」
「長年かかってこの形に落ち着きました」
ヒッポグリフの飼育区画で下乗した一行は、ジーラを先頭にして吊り橋を渡る。その先の区画では、数名のフェルパーが床板の上を行き交っていた。麻糸で織ったような、簡素な服装。顔だけでは性別の判断がつかないが、いずれも人間の女性と同じ位置に乳房のふくらみがあった。背筋と尻尾をピンと伸ばし二足歩行で歩く彼女たちを目で追いながら、セラドが口笛を吹く。
「女ばっかだな」
「男は別の区画で暮らしています」
「へぇ。可哀想なこって」
「何人…… ニンでいいのかな。ここには何人くらい住んでいるのですか?」
ヘップが尋ねる。ジーラは振り向かずに答えた。
「今朝がた子が生まれ、152名になりました。……ここには、との質問ですが、私の知る限り、他にはいません。今はここがフェルパーの全て」
ヘップはいくつかの疑問や質問を頭に浮かべたが、ここでは敢えて聞かずにおく。
「ドーラさんは存命なのですか」
「はい。今から案内しますが、どうか冷静に」

◇◇◇

女王の間と呼ぶには、あまりに狭く質素な一室だった。案内されたツリーハウスの内部、一番奥まった壁際に、女王の玉座…… と呼んでよいのか躊躇うほど質素な椅子が一脚。その他には、テーブルも椅子も無い。ジーラとヘップたちは、玉座手間の床敷に車座になっている。手狭なため、セラドとルカは立ったまま壁に体重を預け、フェルパー特製のハーブ茶を啜っている。全員無言。沈んだ表情の時間がしばらく続いていた。

「……マズイぜ」
気まずい空気に耐えきれず、セラドが口火を切った。
「いや、茶が不味いって意味じゃねーぜ? まあ酒のひとつでもありゃ良かったんだが…… 問題はそこじゃねぇ。テメーらよく見たか? 見たよな? よく見てみろよ。マズイだろ。生きてんのかアレ」
セラドが顎をしゃくった先―― 女王の椅子に、ふたたび全員の視線が集まる。
背もたれに体を預け、先ほどと同じ姿勢のままドーラが座っていた。少しばかり痩せ細り、体毛のあちこちに白髪のようなものが混じっている。
ジーラに「彼女がドーラです」と紹介されたそのフェルパーは、一言「ア」と発したきり…… 焦点の定まらぬ目でどこか遠くの何かを見つめたままだ。
「完全にボケてんじゃねーか。ダメだろこりゃ。とんだ無駄足だぜ」
「セラドさん」
ヘップが振り向き、セラドをたしなめる。
「いてっ!」
ルカが肘でセラドの脇腹を突いた。
「いってーなコラ! テメーらが言いづらそうだからオレが言ってやってんだよ。この婆さんがまともに戦えると思うか? 地下1階におりる階段ですっころんで即死だぜ」
セラドは苛立ちを隠さずに言い切った。ジーラは気分を害したふうでもなく、大きな目を少しだけ細めてそのやり取りを見ている。
「ジーラさん」
困り顔のヘップが彼女に向き直る。
「はい。なんでしょう」
「あなたも戦士たちについて知っているようですが、どこまで」
「お婆様は何でも話してくれました。……過去に起きたこと。エルフによる魔法大戦。厄災との戦い。……そして将来。避けられぬ厄災との再戦。お婆様がふたたび戦に身を投じるつもりであること。そして、新たな戦士が必要であること。……貴方たちは選ばれたのですね」
黒く細長い瞳に見据えられ、ヘップはゆっくりと頷く。
「トビーさんを除いて、今ここにいる5人がそうです。そしてその ”将来” はすぐそこまで迫っていて、時間がありません。……ですが、あとひとり。あとひとり戦士が足りません。ドーラさんは候補者について何か言っていませんでしたか」
「かつては母が―― その候補者でした。ですがもうこの世にいません」
数名から溜息がこぼれる。
「今は、私です」
「ジーラさんが?」
「はい。お婆様は母を候補者として鍛えるのと同時に、まだ幼かった私にも厳しい修練を課しました。母も…… 母として、姉弟子として、私に多くを授けてくれました。10年ほどでしょうか…… まだまだ、教えを乞いたかったのですが。母が戦死し、セレン奪還が絶望的になった日を境に、お婆様の知的、精神的能力は急速に失われてゆきました。フェルパーとしてはかなりの高齢ですから、不自然ではないのですが……」
「……なるほど。つまりオイラたちと組むのがジーラさんで、先の戦士たちと組んでいたドーラさんの代わりはいない、と」
「そういうことです」
「うーん……」
ヘップは腕組みして唸った。12人目を見つけたと同時に、既存の人員がひとり欠けた。まずはこの事実をバァバたちに伝えなければならない。
「わかりました。ではジーラさん、オイラたちと一緒に来てくれますか」
「いえ。それはできません」
ジーラは決意に満ちた表情でキッパリと言った。
「「エッ?」」「ハァー?」

◇◇◇

「私は女王の代理を務める身。セレンの里を取り戻すまで、皆のもとを離れるつもりはありません」

ジーラは単純な理由を述べたのち、過去を語った。
フェルパーの故郷―― セレンの里は過去に2度、壊滅的打撃を受けている。
最初の事件は、およそ50年前。かつて厄災を討った賢者たちのひとりがセレンに身を寄せ、静かに余生を送っていた。その男―― ホーカスは控え目な性格ながらも、”エルフの賢者” の名に恥じぬ聡明さでフェルパーたちの暮らしを良い方向に導き、ヴァルキリーには魔法の武器を生み出す秘技を与えた。しかしやがてホーカスは地の厄災に成り果て、フェルパーたちを虐殺した後にドゥナイ=デンに向かう。同胞の死に責任を感じていた若き女王ドーラ―― ヴァルキリー最高位の聖戦士は自ら名乗りをあげ、賢者ヤコラやフロンたちと共に地の厄災を討った。
2度目の事件は間を置かず、その6年後に起きた。魔屈から生還したドーラをはじめ、虐殺を免れたフェルパーたちによってセレン復興の目途が立ってきた頃。3つ首の巨大な魔物が前触れもなく地中から現れ、また多くのフェルパーが殺された。完全に不意を突かれたヴァルキリー隊は反撃を試みるも死者が続出し、ドーラは一時的に里を捨てる判断を下した。セレンの里には、信仰に不可欠なセレンの泉があった。苦渋の決断だった。

「……そしていくつかの地を彷徨った後に、この島に辿り着いたそうです。セレンの泉にも似た神秘の滝壺を見つけたとき、お婆様はミーニルの導きを感じたそうです。しかし私たちの故郷はセレン。皆で彼の地に還るまで、私はここを離れるわけにはいかないのです」
ジーラが言い終えると、ドーラが「ア」と言葉を発した。全員が注目するが、彼女はボーっと口を開けたまま黙ってしまった。
「……お母さんは戦死した、と言っていましたよね」
ヘップは少し話題を変える。
「ええ。過去に3度、奪還作戦を決行したことがありまして」
ジーラはそこで口を閉じた。今ここで暮らしている事実が失敗を物語っている。
「その3つ首の魔物ってのはヨ、一体なんなのさ?」
「地の厄災となったホーカスがセレンを発つ前に、大地に産み付けた…… お婆様はそう確信していました。魔屈にも同じ種がいたそうです」
「へぇ、ダンジョンにも……。なんて名前なんだ? オレはダンジョンに詳しいぜ」
セラドがニヤリと笑う。

「ヒュドラー、プラント」

「あ? ヒド、プラン……」
「知ってますー。ヒュドラープラント。植物にも似た3つ首の蛇。サイズは一般的な蛇と同程度。それぞれが別種の体液を吐く。特に注意すべきは毒液で、解毒薬やスペルが効かないと言われています。粘膜に少しでも触れると数日は高熱、嘔吐、痺れ、幻覚に悩まされ、場合によっては死に至ることも」
サヨカは細い顎先に人差し指をあて、記憶を掘り起こすように目を動かす。
「オイオイオイ。口調変わってるぞ。なんでそんなに詳しいんだよ。ダンジョンバージンだろ?」
「医療に役立つコトはアンナさんから色々と教わってますからねー。彼女の書物も借りたり。リサーチリサーチ」
「チッ」
「あー! 舌打ちですかー? やっかみですかー?」
「んなわけねーだろ」
「毒も厄介なのですが」
ジーラが割って入った。
「……厄介なのですが、フェルパーにとって最大の脅威は、別の首が吐く体液。その臭いです」
「ニオイ? ……クセぇのか?」
「お婆様や生還した同胞の話によれば…… フェルパーにとって致命的な臭いだそうです。短時間で意識が朦朧とし、運動機能が低下。やがて思考が完全に麻痺し、支離滅裂な言動を取って味方にも攻撃を。……もともと嗅覚が鋭いことが原因なのかもしれませんが、詳細は解明できていません」
「でも婆さんは倒してたんだろ? ダンジョンでよ」
「はい。しかしサイズが違いすぎます。魔屈で遭遇するヒュドラープラントは蛇ほどに小さく、セレンのそれは大樹のように大きい。セレンは魔素を含んだ泉と肥沃な大地に恵まれていますので、その力を蓄えて孵化し、異常発達したのだと思われます」
「でたよ異常発達。蜘蛛の次は蛇かよ」
「さほど苦戦しなかった理由はもうひとつあります。その臭気が他種族―― 人間族、エルフ族、ドワーフ族、オーガ族にさほど影響を与えないようで、仲間―― 他の ”戦士たち” に任せられたこと、だそうです」
「フン。仲間、ねぇ……」
セラドがボリボリと頭を掻きながら鼻息を漏らした。
「あのよ、その頼りになるお仲間に助けを求めなかった理由は何なんだ? 戦闘力がハンパねーのはそこの婆さんもよく知ってたハズだ。里がピンチです、助けてください。ハイ、退治。万歳! そうすりゃ……」
「彼ら、彼女らにも成すべき事……それぞれの務めがあったと聞いています。それにこれは私たちの問題」
その一言を聞いて、セラドはウンザリしたように顔をしかめる。
「私たちの問題? なーにが私たちの問題ですだ。バカか? あ? オレがクソ遠いこんな島まで来てんのはな、テメーらが行方不明の音信不通になっちまったからだ。50年もな。50年だぞ? 失意の婆さんは約束を果たす前にボケちまって戦力外。おかげでまた人探しだ。東へ西へ。北へ南へってな。モタモタしてっと他の種族も故郷を失うどころか滅亡だ。…… 結局よ、巻き込んでんだテメーらは。ったく」
「……その通りですね。ええ。その通りです」
ジーラが顔を伏せ、黙ってしまった。

「話はよく分かりました。ハーブ茶、ご馳走様です。では…… 行きましょうか」
ヘップが空になった器を置き、ヒョイっと立ち上がる。
サヨカとホーゼも続く。
「すみません。お力になれず」
ジーラが深々と首を垂れた。
トビーはジーラとヘップたちを交互に見て、悲しそうな顔をする。
「ヒッポグリフで船までお送りします」
ジーラが申し出ると、ヘップは言った。
「セレンの里は、ここからどのくらいですか」
「え?」
「ヒッポグリフで送ってもらえると助かるんですけど、距離的にどうでしょう」
「いえ、あの…… 空なら1日半ほどです。途中で翼を休めながら…… ですが」
「ではお願いします。案内だけで構いません。オイラたちが戦います」
「戦う? あの、どういう……」
「ヒュドラープラントねぇ。ま、首がいくつあろうとヨ、蛇だろ?」
ルカが背伸びし、首をゴキゴキと鳴らす。
「ホッホ! お嬢、油断は禁物ですぞ。弱点を突かれたとはいえヴァルキリーを何人も倒し……」
「そんな、いけません」
ジーラは座り込んだまま、戦士の顔になった一行をオロオロと見る。
「いけません? ヘップ隊長の決断に指図すんじゃねぇ」
セラドがジーラの前にしゃがみ込み、ズイっと顔を近づける。
「そ、それは、そうですが」
「ヘップ隊長はこう仰っている……。めんどくせーからさっさとブッ殺しちまおう。ニューワールドのエールと葡萄酒が恋しくて仕方ねぇぜ、ってな」
「言ってませんよセラドさん。ただ、問題があれば解決して来いってバァバたちが」
「まーまー。つまりはそういうコトさ。目の前の問題を解決して、話を先に進める。……だから新入り。支度しろ」

黙りこくっていたドーラが、また「ア」と言った。その顔はどこか嬉しそうに見えた。

【第10話・完】

第11話に続く


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