【デビルハンター】ジュディ婆さんの事件簿 #19(第5話:4/4)
生きるべきか死ぬべきか。
-ジュディ-
<前回のジュディ>
イタル vs. 老婆。ヴィクター vs. 少女ナツ。それぞれの戦いにケリがついたと思われたが――
(前回(#18(第5話:3/4))
(目次)
……………
■#19
「分身? いや、二人……?」
膝から崩れ落ちたヴィクターは、冷たいアスファルトに突いた手の甲に滴るオノレのドス黒い血を見つめながら呟いた。
数秒前に交わされた敵二人の会話を頭の中で再生する。
”「ナツ姉さん」「ごめんなさい、アキ」”
……そうか。
「瓜二つの姿形で卑怯なコトしよって…… お前ら双子…… いや、もしや四つ子か? イタルがボコったのはハル、って名前だったな。そしてお前らはナツと、アキ。四季を表わす日本語。つまりもう一人 ”フユ” って妹がいる可能性も……」
喉の奥からこみあげる血でむせ返りながら、ヴィクターが問う。
「フユ…… フユは、母の名です」
歩み寄るナツが静かに答えた。
「はん。なるほど。冬から始まる四季…… ってか。後ろでのびてる婆さんか?」
「いえ。母は死にました」
「死んだ?」
「クククッ」
仰向けに倒れたまま会話を聞いていたアキが顎を引いて笑い、三日月のような目をヴィクターに向けながら続けた。
「殺したのよォ……。アタシたち3姉妹が。御婆様の教えに逆らって混血との共存がどうとか五月蝿いから。クソジジイ…… アンタらみたいな忌々しい ”混血” と仲良しこよし? ジョーダンじゃないわよ」
「可愛い顔して中身はクズ…… カハッ」
肺からこみ上げるような咳。
会話で時間を稼いでいたヴィクターは自己診断を終え、すでに治療を開始していた。
右脇腹から体内に入った2本の棒。鍛え上げた前鋸筋と外腹斜筋のおかげで即死は免れたが…… 1本は肝臓、もう1本は吐血の色と量からして… 右肺を貫通して縦隔の大静脈に達しているだろう。無理に動いて大動脈まで傷つけたらジ・エンド…… いや、放置しても数分で死に至る状態。助手に積んでおいたナノマシンをすべて使って…… 死なずに済む程度に応急処置を終えるまで8分、いや5分ってとこか。攻防の手段を捨てちまった今は時間が必要…… ババアを黙らせたイタルがこっちに加われば――
四つん這いのまま首を捻って後ろを確認する。後方の二人。座したままの老婆。こちらに背を向け、とどめを刺すべく老婆の前に立つイタル。
イタルは仁王の如き形相で仇敵を下目に見ていた。
12年間、殺すことだけを考え続けてきた相手。座った状態でだらりと上半身を前に垂らし、ピクリとも動かなくなったその老婆が右手に握っていたワイヤーの束を足で蹴り払う。ゆっくりと鼻から息を吸い、無防備に晒された頚椎を撃砕すべく狙いを定める。……が、しかし。後方の異変を感じ取り、髪を振りながらヴィクターがいる方向へと顔を向けた。
イタルの両眼が捉えたのは、うずくまった状態でこちらに顔だけを向けるヴィクター。その白髭が血で赤黒く染まっている。その奥で仰向けに倒れる女、そしてヴィクターの右手からゆっくりと歩み寄る…… もう一人の女。
「チィッ」
状況を理解したイタルは軽く舌打ちすると身を反転させ、ヴィクターのもとへ駆ける。反転の軸足、左の足で力強く地を蹴り―― 右足を前に出す。しかし。伸ばした右足に力が入らない。地に着いた右の足裏は身体を支えきれず、ズルリとアスファルトの上を滑った。思わぬ事態。かろうじて受身を取り、無様に横転するなか…… 刀を水平に振り抜いた老婆の姿が視界に入った。
「カッカッカッ…ガーッ、ペッ!」
唾液と血が入り混じった液体を吐き散らした老婆が笑い声をあげ、よろよろと起き上がった。その足元には、無造作に捨てられた彼女自身の左腕。イタルの右大腿を一閃した隠し刀は老婆の左肘、肘関節の5インチほど先から生えていた。
「あー、皮肉なぼんだねぇ。こではねぇ、むかじオベーの母親に斬り落とされた左腕の代わりよぉ! バックリ切ったその右足。得意の足技もダメだこりゃねぇ……。カッツカッカ! その出血。死ぬよ。動かしだらフトモモ千切れるかぼねぇ。まあどのみぢすぐ死ぬよ。クソとクソに産み落どされたクソガキが。何度も何度も蹴りやがっでよぉ…… アー!? うばく喋れねーよ! クソッ! 今すぐ死ね! 死ねっ、死ねっ、死ね! シネシネシネシネシネェーッ!」
己の痛みを忘れた老婆は灰色の髪を振り乱し、狂ったように何度もイタルの全身を蹴り、踏み、蹴る。
「おっど! 危ないじゃないかクソ!」
身体を丸め、執拗な蹴りの連続に耐えていたイタルが転がったまま繰り出した足払い。ヒョイと跳んでかわした老婆に更なる憤怒の火が灯った。
「邪魔! 邪魔な足!」
イタルの左大腿部に老婆の刀が突き立てられる。すぐさま引き抜かれた刺し傷から噴き出る大量の血液。
「グッ…!」
「反抗! 生意気! 小癪! 制裁! 懲罰! 天誅ゥーッ!!」
怒り収まらぬ老婆は金切り声をあげながらサッカーボールの如くイタルでドリブルすると、仕上げに右足を大きく振り上げ…… 鳩尾にトウキックを放った。
「ちょ、おいおいイタル…… 痛ッ」
大きく跳ね転がったイタル。その直撃を尻に受けてアスファルトに突っ伏したヴィクターは手を突いて上半身を起こし、目の前で横倒れになったイタルの傷を確認した。呻き声…… 意識はある。右足は? 深い傷。大腿動脈切断。大腿骨の骨幹部も損傷しているだろう。左足は…… こちらもマズイ。立つどころか這うこともできないか。いくらイタルとはいえ放置しておけば数分で失血死の恐れが……。
「……あらあら。2匹とも虫の息ですね」
アキの背中に手を回し、支え起こしたナツがほくそ笑んだ。
「虫と言えばこの忌々しい機械の虫もゴミみたい。壊れたのかしら」
ナツの肩を借りながらよろめき立ったアキが、動きを止めて地面に散乱した助手の塊を二度、三度と踏みつける。
「ナツ! アキ! ……退がりな。ごのクソらはアタシがやる」
命じながら歩み寄ってきた老婆が、ヴィクターとイタルの眼前に立った。左肘から伸びた刀の刃紋を右手の指でなぞりながら…… 憎悪と怒り、興奮と悦びが入り混じった表情で二人を見下ろす。
「特に腹立だしいのはごのクソの子だよ。悪魔とハンダーの子? ふざけるんじゃないよ…… 復讐だ? 両親の仇だ? クソのくせして。しづこいんだよ! 人様をしこたま蹴りやがって。クソ! なんとか言ったらどうだい! このゴミクソ!」
横顔を踏みにじられたイタルがグゥと呻き声をあげる。
「クソクソうるさいのう……」
「……あ? なんだって?」
膝に手を突きながらゆっくりと立ち上がったヴィクター。その一言に気を取られた老婆が瀕死の老人に注意を向けた。
「そいつには ”イタル” って名前があるんじゃよ。両親がつけた立派な名前がなぁ。……イタルはお前に両親を殺されてから声が出なくなってしもうてのう。心因性の失声だと思われる…… が、”出す時もある”」
「あー? 意味不明なごと言っでんじゃないよクソジジイ。お前から死ぬか」
老婆の刃先がヴィクターに向けられる。
「……イタル! ”やれ”!!」
「……!」
ヴィクターの意図を察したイタルは顔をこわばらせると首を横に振り、強い否定の眼差しを返した。
「あーもう! ったく! いいからやれ! どのみちワシはもう助からん! それにリズちゃん…… エリザベスがさらわれて生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ。助けるにはお前の力が要る! だからやれ! それに…… ワシはお前まで死なせるわけにはいかんのじゃよ!」
ヴィクターの口から飛んだ血、それにエリザベスの危機という言葉が、イタルの顔面に浴びせられる。だが、その目は未だに覚悟を決められぬまま戸惑っていた。
「やれ、だの… 死なせるわけには、だの… やかましいんだよ…… 黙れクソジジ…… おっ、なっ!?」
口を挟んだ老婆が唖然とし、言葉を途中で切った。
不意に老婆へと突進したヴィクターが、老婆が構えていた刀…… その刃先に向かって自らの胸をぶち当てていた。ヴィクターの背中から突き出た刃先から、ゆっくりと血が滴る。
「き、気が狂ったかコイツ! クソ! クソが! なんだコイツ!?」
もたれかかるヴィクターを右手で突き飛ばし、胸から引き抜いた左腕の刀と仰臥したヴィクターを交互に見ながら老婆は絶叫した。
「イタル! これで吹っ切れたろ…… この周辺にいるのはクズのハンター三人とお前だけ…… だ。遠慮なく吼えろ……!」
ヴィクターは天を仰いだまま、視線だけをイタルに向けて声を振り絞った。這いつくばったイタルが顔を歪めながら必死にヴィクターへと手を伸ばす。しかし届かない。
「ああ…… それと。お前の両脚。ワシがコッソリ移動させたナノマシン…… 時代の二歩、三歩先をゆくミラクル技術で治療中だ……。そのまま15分もじっとしていりゃ杖をついて歩けるようになる。絶対走るなよ。母親と…… 医師の言うことは素直に聞くも…………」
ぜぇぜぇと音を立てながら上下していたヴィクターの胸は動きを止め、星の見えぬ夜空へと向けた両眼から光が消えた。
「オ、オ、オ………… ギ、ギギ、ギ!!」
呻いたイタルが歯を食いしばって老婆を睨み上げた。
ドン! ドン! と両の拳を叩き付けた衝撃でアスファルトが砕ける。
「な、なんだいコイツら…… 死にビビっで頭がおかしくなっだかい」
「御婆様、何だか気味が悪いわ。早くそいつも……」
「そうよ御婆様、クソを始末して立ち去りましょ… ヒッ!!」
「オ、オ…… オオオオオオオオオオォォォォォォォ!!」
イタルの咆哮――
突如路地に轟いた大呼に吃驚した三人は、言葉にならない悲鳴をあげながら両耳を手で覆った。
咆哮から5秒。
立ち竦んでいたアキは、突っ伏したままのイタルを見下ろしながら拍子抜けしていた。
「……何コイツ。突然叫びやがって。驚くだろ! おいババア! ナツ姉! アタシが殺るわ。いいわね」
宣言しながら短刀を握りなおしたアキ。
「おい聞いてんのかクソナツ!」
重ねて問いかけながら返事の無いナツの方へと顔を向けた瞬間、ナツの人差し指がアキの右眼を突いた。
「ゲッ!? な、な…… 何すんのヨ! クソナツ!」
たたらを踏みながら潰れた右眼を押さえたアキが、残った左眼であらためてナツを睨む。アキの問いかけを無視したナツは、ヴィクターの脇腹から棒を1本引き抜くと、勢いよく口を開いた。
「……ウルセー! クソ妹! オメーはいっつもグジグジと姉さん、ねえナツ姉さん、ちょっとハル姉さん。いいかしら? いいわね? イラねー質問がウゼーんだよぉ! クソアキ! 死ねボケ!」
「……アーーー!? もともとテメーがジジイをキッチリ殺ってりゃアタシの出番なんて無かったろうがヨぉ! クソの役にも立たねー姉がクソ偉そうに! 母さんを始末したときもそう! チビってしくじりかけたアンタを助けたのは妹のアタシだろォーッ! どうしてくれんのよこの右眼ェ!!」
己の眼窩に指を突っ込み、潰れた右眼を引き抜いて投げ捨てたアキがナツへと飛び掛り、その鎖骨に短刀を突き立てた。
「アー! イッテーッ! オメー死ね! 殺す殺す殺す殺す!」
瞬きを忘れ血走った目を大きく開きながら叫んだナツは、負けじと右手に握っていた棒をアキの左耳へと突き刺し、一心不乱に前後させた。
「オゴゴゴィ……」
「ジ死ねじねじ…… ね……」
突き刺された棒に脳をかき混ぜられ、白目を剥きながらアキは死んだ。
ほぼ同時に、鎖骨から縦に侵入した短刀によって心臓を抉られたナツが死んだ。
「ヒ…… ヒヒ。役に立たないナツとアキ。死んだ。……あれ? 鍛えてやったアタシも役立たず? ヒヒヒ。じゃあ死なないと。ヒヒ」
二人の孫娘が殺しあう様子を呆然と眺めていた老婆は、虚ろな表情を浮かべながらおもむろに左腕の刀を自らの首筋―― 真一文字の刺青に当て、躊躇うことなく横に引いた。
イタルの ”能力” が発現したのはゴールデン孤児院に入院してから2年後、10歳のときだった。2年ぶりに取り戻した ”声” 。発することができたのは、言葉にならない咆哮。人間、ハンター、悪魔…… 相手が誰であろうと ”発狂” させるその声によって狂人と化したリディアとルーシー、孤児院の少年少女らを救ったのは、唯一 ”声” の影響を受けなかったエリザベスだった。なぜエリザベスだけが平気なのか? ヴィクターは研究を続けていると言っていたが、彼が死んだ今はそれも判らずじまいになってしまった。
発狂した三人のハンターが絶命し、静寂が訪れた路地裏。
一人生き残ったイタルは足首を回し、爪先を動かして足の状態を確かめる。
ヴィクターの治療…… 自らを犠牲にした治療によって、すでに出血は止まっていた。死ぬべきはヴィクターではなく自分だったのではないか。復讐に駆られてヴィクターを死に追いやってしまった自分は生きるべきなのか――
俯いて自問自答していたイタルがふと自分の腰に目をやると、ジーンズのポケットから小さな小さな機械…… ヴィクターの助手がいくつか這い出てくるのが見えた。
ポケットを探ると、小さく折りたたまれた紙切れが入っていた。
覚えのない紙を広げ、ビッシリと書き付けられている文章に目を通す。
肩を震わせながら手紙を読み終えたイタルは、ヴィクターの亡骸まで這うと彼の左手に巻かれた時計を指示通りに操作した。
動きを止めて散らばっていたマイクロマシンが一斉に起動し、ヴィクターの全身に纏わりつく。繭のように彼を包み終えた助手はチ、チチ…… と小さな音を立てたのちにボッ! と自らを発火させた。
「オ、オオオォォ……」
青白い炎を上げるヴィクターの影を目に焼き付けながら、イタルは静かに嗚咽を漏らした。
イタルへ
お元気ですか? ……などという挨拶は省略し、重要なことを記す。
この手紙を読んでいるということは、ワシがお前の目の前で死んだということだ。くよくよするな。元気だせ。
ワシの死因は恐らく、これから渋谷で会う予定のハンターがウソつきでワシを殺したか、もしくはそいつらが取り逃がしたという悪魔(これも本当かどうか不明だが)に敗れて、ってところだろう。いずれにせよきっとお前がワシの仇を取ってくれたに違いない。ありがとよ。
さて本題だ。
イタル。アメリカに戻れ。
仇討ちはひとまず諦めて、今すぐに、だ。
チョー強い悪魔によってエリザベスがさらわれた。ゴードンから届いた連絡によれば、彼女はまだ生きている。ジュディも苦戦した相手だ。必ずお前の力が必要になるだろう。
日本で不法滞在者となったお前のために、密航の手配をしておいた。さすがのワシだ。気が利くだろう? 以下に住所を記す。
東京都 新宿区 四谷 三丁目 ○○―
1階が喫茶店の雑居ビル、その3階だ。ワシの名前を出せ。お前の事情はすべて伝えてある。見た目がカタギっぽくないしガラの悪い奴らだが、マトモで信用できるから安心しろ。ケンカするなよ。
追伸)
ワシの助手とワシの死体、始末に困るだろう。ハイテクな助手を放置するのはリスクが大きい。ワシの左手に巻かれているスマートウォッチ(腕時計だ)の画面をタッチして、右上に表示される赤いドクロのマークを押せ。認証コードは110105(いい男)だ。チョー高熱でワシと助手を跡形もなく焼いてくれる。絶対にやれ。
追伸とか書いておいてまだ続けるが、最後に。仇討ちを止める気はないし、偉そうに止められる立場でもないワシだが、目の前で両親を殺されたって境遇はお前と同じだ(まあ天才頭脳を頼りに独りで生きてきたワシのほうが少し凄いけどな)。そのワシの願いだ。母親の言葉を思い出せ。コトを終えたら真っ直ぐ生きろ。その力を有意義に使え。
ハイパー医師でお前の仲間、ヴィクターより
第5話・完