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才能の見つけ方の話し~「絶対的な好き」と「相対的な好き」

才能ってのは他者との関わりがあって気づくもんだなぁ=「相対的な才能」。そんでもって、「絶対的な好き」と「相対的な好き」の見極め大事だなぁ、と思った話しです。

絶対的な好き

「絶対的な好き」とは、自分自身がその対象をどれだけ好きなのか、ということ。例えば、有名な話だと漫画の神様こと手塚治虫が死に際までベッドで漫画を書いていた、みたいなこと。好きなことなら寝食を忘れて、いくらでもやり続けられるということですね。

こういう事ができるのは、いうなれば「天才」と呼ばれる方々なのではないでしょうか?努力を努力と感じず、「へ?好きだからやってるだけなんだけど?」みたいに言ってのける方々。

相対的な好き

一方、「相対的な好き」は、他者との比較で見えてくる地味な好き。多くの人が苦手なこと、嫌がること、そこまで興味がないことを苦もなくできる、とか、そこまで圧倒的に好き/得意というわけではないけれど、他の人と比べたら「平均点よりは上」みたいな感じのやつ。

我々凡人は、これに気がつくことができて、上手に利用できれば割と幸せに暮らしていけるのではないか?と、僕は、今現在はそう思っています。

才能とは他人に求められること

これは、たしか僕が25歳位の頃に読んだ、内田樹の本に書いてあった言葉。うろ覚えなんですが、自分の才能がわからないと言う人は、今まで自分が人から頼まれたことを思い出してみて、みたいなことが書かれていたはず。ほんのタイトルさえ覚えていないので、僕にはそういう才能がないようですが(笑)

とかく、多くの人は「自分の好き」、つまり、先に上げた「絶対的な好き」を頼りに「夢」とかその辺のサムシングを手に入れようとするんですが、そこは概ねレッドオーシャンであり、激しい血の雨に打たれること間違いなしなのです。

繋がりが大切な人間社会(そう、”社会”)では、誰かの「必要」を満たしてあげることで満たされる人が「必要」とされています。そう、「僕らは連鎖する生き物だよ」と。フォロワーが多い人が何を投稿しているか見れば一目瞭然。

人と会う、挑戦する、を繰り返す

では、自分の中に存在しない、もしくはあっても気が付けない昼間の星のような「相対的な好き」をどうやって見つければいいのか?

答えは簡単。みんな知ってますよね?比較して、試して、を繰り返す。

人と合って話すことで、「あぁ、俺が平気なこれって、みんなは苦手なのか」とか、「台湾の飯ってウマい」とか、体験しないときがつけないことじゃないですか。

でも、できねーんだよなー。これが、なかなかできない。

という、そんなごくごく当たり前の事を実感したので、ちょっと共有させていただきました。

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こんな音楽作ってます


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