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「ティファニーで朝食を」を一緒に観たいひとが欲しいような欲しくないような気がする

 わたしが1961年のアメリカ映画「ティファニーで朝食を」をはじめて観たのは、大学2年生の冬だった。

 自分の本能に従ったままのアパートの一室や、部屋を一歩出たとたん自分を防御する甲羅のように振り撒く笑顔や、「ムーン・リバー」の旋律の豊かさなどに心惹かれてならなかった。

 しかしいちばん心にずしんと重く残ったのは、ホリーを追い求めるポールの言動。

 「人は所有し合う」「君が自分に課した檻はどこへでもついてまわる」と、彼の言葉は、それまで斜に構えていたわたしの恋愛観を覆した。久しぶりに泣きそうになる映画だった。

 わたしのもともとの性格が依存気質なこともあるけれど、むしろだからこそ、そんなことはみっともない。

 わたしは自立しなくてはならないし、誰に迷惑もかけたくない。

 ・・・でも、もっと開放的でいいのかしら?と、色々なことが頭を駆け巡って、眠れなくなった。

 その後「(500)日のサマー」を観たときも、同じようなことを思った。

 わがままで身勝手で、それでもサマーの影を追ってしまう男性のお話。

 ああ、女性の恋愛ってこうでもいいのね、と思うのは、映画を観ているとよくあること。

 でもやっぱりサマーよりも、ホリーに憧れてしまう。

 最近また「ティファニー」を見返して、これを一緒に観て何かしらの感想を持ってくれる人が欲しいと思った。

 それが自分にとって信頼できる、好意を持った異性であれば、尚のこと。

 ああいう女を見てどう思うの?
 わたしがあんな行動をとったらどうするの?
 すべてを失ったわたしでも好きなの?
 それでもわたしたちは幸福でいられるの?
 わたしがホリーのように拒絶してもあなたはわたしを追ってくれるの?
 結局あの2人はずっと幸せでいられたのかな?

 聞けるわけはないけれど、でも、そう問いたい。

 きっと、つい最近までわたしのことを好きだった彼なら「最後結ばれてよかったよね。素直が一番だよね」と、毒にも薬にもならないことを言う。

 そんな人って、一生に一度結ばれるかどうかだと思う。

 そして、仮にそんな人と出会ったとしても、一緒に「ティファニー」を観るのかなんてわからない。

 すべてはわたしの夢のお話・・・だけれど、もしかして同じような人がいればと空想しながら書いた。

 もしそんな人がいれば、小さなアパートの一室でシャンパンを飲みながら、猫を愛撫しながら、トレーナーにジーンズ姿で、だらだらしながら一緒に観たいね。

 それでは、また。


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