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生誕140年記念 北大路魯山人 -高級料亭「星岡茶寮」を訪ねて-:3 /鎌倉・吉兆庵美術館

承前

 料理とうつわが織りなす相乗効果を、なにより重んじた魯山人。魯山人のうつわは、中に盛り付けがされた姿こそが本来の姿といえよう。
 その環境に少しでも近づけようという取り組みが、本展でなされていた。

 最初の展示室に出ていた《伊賀風透し彫鉢》。

《伊賀風透し彫鉢》の絵はがき

 側面に、透かし彫りでアーモンド状の多数の小穴が穿たれている。穴ぼこは形が不均一で、間隔や位置も大雑把。フリーハンドの味わいがある。縁(ふち)は波打つ輪花状になっている。
 この穴ぼこと縁とで、釉薬の流れにも変化が生まれている。「伊賀風」とされているが、黄瀬戸を思わせる焦げた黄みの釉である。

 展示では、このうつわに野菜の煮物(の食品サンプル)が盛られていた。もちろん、見込の中央にちんまりと。
 どっさり盛るのは野暮……というかこの場合、穴ぼこから汁っけや具材そのものがこぼれてしまいかねないから、そうするしかないわけだが……
 ともあれ、盛り付けると、どうなるだろうか。想像してみてほしい。
 まず給仕の際、側面の穴ぼこから、料理が少し見える。においや熱も、穴ぼこから洩れ出ることだろう。これにより、饗応される側の期待感はいや高まる。
 机や畳の上に置かれたあとの見え方にも、変化が加わる。
 通常の鉢ならば、料理は見込からしか見えない。本作では、側面の穴ぼこからも見える。そして、穴ぼこの向こう側に広がる景色はそれぞれ、異なっている。
 そんなことが、実際に展示を観てよくわかった。

 このうつわは「盛り付けなければわからない」最たる例かと思われた。それだけに、盛り付けの写真をお目にかけられないのが歯がゆいところだ。
 しかし、この着想自体が魯山人の創造かというと、そうではない。
 野々村仁清の作に、透かしの穴ぼこだらけの鉢があるのだ。

 縁のびろんびろんの処理は、仁清の水指にみられるものを思わせる。

 ※こちらのページの《雪月花》。

 東洋古陶磁に通じ、厖大なコレクションを築いた魯山人は、仁清のこの種の作例を当然意識しただろう。
 魯山人による仁清評は、以下のようなものである。

陋習の中国趣味を捨て去り、純日本美を陶器に移し、優雅極まりなき日本固有の美術表現に終始せし一大創作家、衣冠束帯を身にまといながら自由にふるまいし作家

私の作陶体験は先人をかく観る

  「衣冠束帯を身にまといながら自由にふるまいし作家」とは、かなりおもしろい評言である。「自由」な「ふるまい」とは、まさしく、鉢の側面に穴ぼこを開けてしまうような行為を指してもいる。

 —―魯山人の仁清評についてはここでは深入りせず、また別の機会に触れるとして……「魯山人の創作の部分が奈辺にあるか」である。
 まずは、この種の仁清の作例に注目したことじたいが挙げられる。色絵の作例に目が行きそうなところだが、魯山人は自分の眼で選んでいる。
 また、仁清作ではある程度の法則性があった穴ぼこを、魯山人はフリーハンドに置き換えている。とくに穴ぼこの配置は、おおよそ胴部の中央となりながら、横一文字には意地でもしない蛇行運転。
 さらに、薄雪のようにさらりとした仁清作の釉を、侘びた朽葉色の黄釉が不均一にかかる景色に置き換えたことが指摘できよう。料理のきものがうつわならば、うつわのきものはさしずめ釉薬であろうが、この変化は決定的だ。
 ここまで要件がそろって、はじめて「創造」となる。仁清を遠くに思わせるが、もはや誰も「写し」などとは言わないはずだ。(つづく


本展のリーフレット。盛り付けの例が、いくつか写真で出ている
写真は東京都現代美術館・外壁の「穴ぼこ」で、穴ぼこという以外、魯山人とはとくに関係はない


 ※北鎌倉・山崎の魯山人窯址周辺を散策したことがある。窯は私有地で一般は入れないが、どんなロケーションだったかは把握できた。北鎌倉の駅から徒歩圏内ながら、現在も喧騒とは無縁の谷戸(やと)の山里である。下の写真の田んぼには、いまは小学校がある。


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