虫めづる日本の人々:3 /サントリー美術館
(承前)
展示の前半、すなわち上の階の内容は、絵画や工芸に登場する虫のモチーフをみていくものだった。
それに対し、吹き抜けの階段下の展示では、江戸の人びとの虫をめぐるさまざまな活動ぶりにスポットが当てられていた。
江戸には「虫売り」という商いがあった。スズムシやコオロギなど、きれいに鳴く虫を売り歩いたのである。
そのようすは、三代歌川豊国(国貞)の《夜商内六夏撰(よあきないろっかせん) 虫売り》(江戸時代・弘化4~嘉永5年〈1847~52〉 江戸東京博物館)から、よく伝わってくる。
品定めしている客のようにもみえるが、「歌舞伎役者が露天商に扮する」シリーズとのこと。
着物の薄瑠璃、雪輪文や観世水といった意匠、ぼかしの入った団扇、肩にかけた藍一色の手ぬぐいなど、身に着けるものが、どれをとっても涼感をそそる。演出とはいえ、とんだオシャレ店主だ。
そして、商品の虫籠。たいへんバラエティに富んでいる。どの虫にするか、またどの虫籠に取り合わせるか——そんな楽しみがあったのだろう。
《夜商内六夏撰》のほかの5作は、水売り、麦湯売り、水菓子売り、植木売り、提灯売り。これはそのまま、江戸の夏の夜を彩った風物詩を示すが、虫はこのなかで唯一、聴覚に訴えかける。
ガラス製の風鈴はまだまだ高級品で、風鈴売りが町を歩くようになったのは、明治に入ってからである。
また、同じ展示ケースには、虫の声を聴きに野山へと繰り出すレジャー「虫聴(むしきき)」のようすを描いた浮世絵も展示されていた。
暑い夏を乗りきるために、虫は必需品とすらいえたのかもしれない。
喜多川歌麿による肉筆画《夏姿美人図》(江戸時代・寛政6〜7年〈1794~95〉頃 遠山記念館)にも、お化粧をする女性のかたわらに、虫籠が描かれている。
作品を見て「おっ、虫籠だ!」と気づき、「虫籠が添えられることで、静謐な画面に『音』が加わる……」といった読み取りをしてしまったけれど、残念ながらこれは誤読。
画中の小箱は、たしかに虫籠の一種ではあるが、蛍を入れる「蛍籠」とのこと。むろん、蛍は鳴かない。
そして、この蛍籠に、まだ蛍は入っていない。これから蛍狩りに出かけるところで、支度の真っ最中なのである。蛍狩りもまた、人気のレジャーだった。
「鳴かぬ蛍が身を焦がす」という諺(ことわざ)がある。意味は、以下のようなもの。
この絵は、化粧中のところを垣間見るという、窃視的な側面をもっている。見られている側は、当然ながらこちらに気づくそぶりはない。
それほどお化粧に集中しているともいえるし、その陰には、そうさせるほどの身を焦がす思いがからんでいるはず……からっぽの蛍籠がそれを物語るというのは、たしかに説得力があろう。
よく考えれば、この絵に虫は描かれていない。しかし、不在であることによって、蛍が逆説的に存在感を発揮している。
この娘さんは、蛍をつかまえられただろうか。(つづく)
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