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虫めづる日本の人々:2 /サントリー美術館

承前

 虫は、なんらかの植物にともなわれて、工芸作品の意匠となることも多い。とくに、美しい虫の代表であるチョウ(蝶)は最も頻出のモチーフといえよう。
 とりわけ惹かれたのが、《雄日芝蝶螺鈿蒔絵茶箱》 (江戸時代・17世紀  サントリー美術館)。

 オヒシバ(雄日芝)は、穂に細かな花をつけるイネ科の植物。本作ではオヒシバの葉を平蒔絵、花を繊細な螺鈿で表している。

 螺鈿は、チョウの部分にも使われている。1羽のチョウの、片方の羽だけに螺鈿が施されている箇所も。羽を翻し、きらりと光を反射させた瞬間が捉えられているのだろうか。
 螺鈿の、抑制のきいた表現がよい。こんなしゃれた茶箱には、どんなお道具を仕込もうか。妄想が膨らむ。

 古九谷の《色絵牡丹蝶文大皿》(江戸時代・17世紀  サントリー美術館)。

 写真のように、展示室のライティングは、チョウの描写を目立たせるものとなっていた。セオリーよりも、本展の趣旨を優先した照明だ。
 このおかげで、チョウの顔が細い筆の赤絵でちょこんと描きこまれていることに、初めて気がつくことができたのだった。
 この古九谷の大皿を観ていると、虫というのは、まことに名脇役だなと思う。いるといないとでは、主たるモチーフの華やぎまで違ってくるだろう。

 日本の工芸における虫のモチーフは、このように脇役を担う例が大半で、中央に大きく、メインの文様としてデデンと表されることはあまりない。
 数少ない例として、展示作品から《鈴虫蒔絵銚子》(江戸時代・17世紀  サントリー美術館)を挙げたい。
 本作では、蒔絵の秋草が弧を連ねるさなかに、多数の鈴虫が配されている。

 鈴虫の姿は一様ではなく、異なるポーズで描き分けがなされており、なかなかリアル。抽象的な秋草との対比がおもしろい。
 虫ぎらいのわたしとしては……このリアルさ、さらに数の多さに、後ずさりをしてしまった。
 それに、秋草を描けば、心ある鑑賞者は単なる草の反復のみならず、秋風や、さらには虫の音まで、おのずと思い描くことができる。そこに余情というものが生まれるわけで、なにもわざわざ虫の姿を描かなくたっていい、無粋じゃないか……などと、いくらでも言い訳が洩れ出てくる。
 つまるところ、わたしは鈴虫だの松虫だののビジュアルが苦手なのであるが……本作の意匠力については、これはもう、認めざるをえない。
 人とはちょっと違う、「おや?」と目を引くデザイン。奇抜も奇抜で、使いこなすのはむずかしそうだが、とても秀逸。悔しいけれど……(つづく

京都・法然院の苔



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