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根来 NEGORO-朱と黒のかたち-:3/細見美術館

承前

 根来への「骨董」的な見方、続いて「ファインアート」的な見方について触れてきたが、もとはといえば、根来のうつわは特定の場で特定の機能を担うべく生み出され、実用に供されていたものだ。用途にかなった質実剛健な造形もまた、根来の魅力といえる。
 《菜桶》(鎌倉時代、重要美術品)は、ひと昔前まで店屋物の出前に使われていた「岡持」の大先輩。
 持ち手はがっしりと、握りやすい太さと角度で取りつけられている。胴部に嵌められた竹のたがのしなりは、はちきれんばかりの力感。菊割りのつまみが愛らしい。「用の美」が光る一品。

 ――青々とした大ぶりの葉を敷いて、握り寿司を盛りつけたい。豪快にちらし寿司、混ぜご飯もよい。それとも、色とりどりの饅頭をぽつ、ぽつと置いてみようか。夏ならば、氷水を張って冷や奴を二丁ばかり。葛切りを泳がせてみるとか……想像が膨らむ。

 俗な思いつきを書きつらねてしまったけれど、根来の多くは信仰の場で使われていた道具。裏に「●●寺什物」といった銘があるものも散見される。
 根来の質実剛健さの中核をなすものとは、仏前や神前をかざるにふさわしい厳かさであり、寺僧の日常すなわち修行のかたわらにあって酷使に耐える堅牢さなのであろう。それは、仏具・神具としての「格」とも言い換えられる。
 本展には、根来のうつわに館蔵の仏教美術を取り合わせた一角もあって、これがたいそうよかった。
 脳内でごちそうを盛りつけるのもよいけれど、オリジナルの用途や環境、それに時代感覚に近づけた状況での鑑賞は、そのものがもつ本来的な力を引き出してくれるようで、ことさらに心惹かれるものがあったのだった。

湯桶。このきりりとした口造りがなんともよい。キレがよくないはずがない

 これら根来の名品を蒐集したのは、かの細見古香庵(初代)。
 それまでは脇役、副え物のようであった根来の美的価値をいち早く認め、蒐集の対象とし、『根来の美』という書物にもまとめた。古香庵は江戸琳派、伊藤若冲、古代の土器などといった分野・作家の先駆的なコレクターでもある。
 いまでこそ愛好家垂涎の根来であるが、まとまったコレクション、しかも質の良いものとなるとそうはない。館蔵の根来の名品だけで単独の企画を打てる美術館は、世界じゅう探してもここぐらいといってよいだろう。
 ――であるからこそ、わたしは京都までやってきた。そして、それだけの価値はあった……やはり、根来はいいものだ。たまらん、根来。ありがとう、古香庵さん。(つづく

この断文の味!


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