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太郎坊宮から瓦屋寺へ 秋の近江路を往く:3

承前

 瓦屋寺では、ふしぎなご縁を感じさせる出来事があった。
 御本尊が納まる須弥壇の裏にあった、禅僧の頂相(ちんぞう)彫刻。右側のお像は、松島・瑞巌寺の中興開山・雲居希膺(うんごきよう)禅師とのこと! まさか、近江の地でお会いできるとは。

 筆者は、松島のある宮城出身。雲居禅師はおなじみの存在である。
 その割に知らなかったのが、現在の滋賀県東近江市を中心とした蒲生野の一帯が、仙台藩の飛び地であったこと。62万石のうち1万石を常陸国(茨城県)に、さらに1万石を近江のこのあたりに知行していたそうだ。
 瓦屋寺の寺域は該当こそしないものの、山を降りてすぐの平野、最寄りの八日市駅周辺はかつての仙台藩領で、陣屋の跡が現在も残されている。
 左の像主は、雲居禅師の高弟・香山祖桂禅師。現在の宮城県内に生まれ、50年近くものあいだ瓦屋寺に留まり、戦国期の荒廃から立て直した中興開山である。

瓦屋寺の衰退を嘆き、訪れた晩に弁天池から天女が現れる霊夢を見られ、再興する事を誓われた

瓦屋寺公式サイトより。読点補足)

 御本尊や開山のお像がおわすこの本堂や、先代の本堂である左隣の地蔵堂は、香山禅師の時代に建てられたものという。山奥にこれだけの大建築を築くというのは、大事業というほかない。

 ふたりの開山像は、通常は写真奥の花頭窓(かとうまど)の向こう側に鎮座していて、ほとんど見えないのだとか。御本尊の開帳に合わせ、この位置へ移動。奥まっていたら、見逃したかもしれない。これもご縁である。

 帰りは来た道を戻らず、石段のルートをとった。じつはこちらが瓦屋寺の表参道で、約1000段ある。ごつごつしていて、足場は悪い。下りで、まだよかったと思ってしまうくらいだ。

少し下ると紅葉の木々は終わり、鬱蒼とした森になる
「弁慶の背比べ石」。弁慶「あんな石よりも、ワシのほうが大きいわい!」→並んでみたら、石のほうが大きかった→弁慶ブチ切れ、石を蹴飛ばす→石の一部が割れて飛んでいき、田んぼに刺さる→そこが「田中」という地名に……といった逸話がある
道沿いには史跡が次々に現れ、参拝者を飽きさせない。写真は聖徳太子の腰掛石(どれ?)
連なる石垣は塔頭寺院の跡
斜面を利用した古墳が遍在
古墳の穴から猫が出てきた。「猫に小判」ならぬ「猫に古墳」、略して「ねこふん」である。首輪から、山里に近づきつつあることを悟った

 ——そんなこんなで、下山。
 田んぼ沿いを歩いて、八日市駅を目指す。1時間に1本の電車を逃したばかりだから、急ぐ必要はない。

 この時点で、時刻はまだ昼過ぎ。
 近江路を往く旅は、もう少し続く。
 (つづく


滋賀といえば「飛び出し坊や」。ここ東近江市が発祥とのこと。手前の個体は、左腕に欠損がみられる。子どもたちの身代わりになってくれたのだろうか



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