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太郎坊宮から瓦屋寺へ 秋の近江路を往く:1

 昨年11月末、日帰りで滋賀県東近江市へ行ってきた。
 旅の目的は、瓦屋寺(かわらやじ)の秘仏本尊《千手観音立像》(平安時代・12世紀  重文)の御開帳。じつに50年ぶりの公開で、その間、展覧会に出品されたこともない。次の機会は、なんと遠く33年後になるという。
 この瓦屋寺と山続きの太郎坊宮の界隈は、かつて白洲正子さんが歩き、随筆『かくれ里』『近江山河抄』(講談社文芸文庫など)に書き記した地。『観音巡礼』(毎日新聞社)では、「百観音」の1つとして瓦屋寺の秘仏本尊を撰んでもいる。
 そのこともあって、御開帳の期間に合わせてぜひとも訪ねたいと思い、数年前から計画していたのだった。

 始発の新幹線に乗り、名古屋乗り換えの米原下車。2両編成のローカル線・近江鉄道にさらに乗り換えて、琵琶湖の南側を南西方向に下っていった。
 沿線は、両側とも田園風景。稲刈りはあらかた終えられていたが、まだ黄金色が残る地域も。山肌には、紅葉がちらほら。

車窓より。中央右の山中にみえる大きな屋根が、瓦屋寺

 白洲さんのルートと同じく、太郎坊宮(阿賀神社)を先に目指すことにした。
 瓦屋寺の最寄り駅・八日市から、瓦屋寺のある箕作山を避けて、線路はカーブしていく。2駅先の太郎坊宮前駅に着くより先に、太郎坊宮のある赤神山が視界に現れた。きれいな……きれいすぎるほどの円錐形のお山。盛り塩のよう。すごい!すごい!と洩らしながら、参道を進んでいった。

駅から参道を一本道
このあたりのどこからでも目立つ
異様であり威容

 太郎坊とは天狗の名前。修験の行者たちが、この山を駆け回ったという。
 まわりの山とはちょっと雰囲気が違っていて、天狗がはびこっていてもなんらおかしくはないし、修験道よりもさらに以前、古代の人びとがこの山に霊性や神威をみたのは、もっともなことだと思った。

 参道の突き当たりから、急勾配・ジグザグの石段をひたすら登っていく。連なる鳥居の先に現れたのは、燃えるような紅葉。

 不意打ちの紅葉に励まされ、斜面を這うように、さらに登っていく。上がるにつれて、参道から見えた大きな岩肌が近づいてくるのがわかった。

 約300段を上がりきる頃には、太ももはパンパン。きつい勾配の連続で、段数以上にこたえた。苦労してたどり着くからこそ、ありがたさが増すともいえるけれど。
 太郎坊宮には「勝運」のご利益を求めてスポーツ選手たちがさかんに訪れるという。社務所にはオリンピアンのサインが多数掲示してあったけれど、トレーニングを兼ねている側面も、きっとあるのだろう。

 巨石の壁が現れた。御神体の「夫婦岩」である。
 夫婦のあいだにある、人ひとりがやっと通れるほどのすき間を潜り抜けてはじめて、本殿に参拝することができる。
  「悪心ある者は岩に挟まれる」という「真実の口」的な言い伝えがあると聞き、心にやましいところのありまくるわたしはひやひやしながら、いざ、すき間へ。
 はたして……

 ……通り抜け、成功。無事、参拝することができた。
 本殿脇の展望台からは、近江鉄道の線路や歩いてきた参道が一望。よきかな。

 なお、白洲さんは『かくれ里』のなかで、夫婦岩について「太郎坊の山頂」にあると書いているが、夫婦岩のたもとにある本殿は、下の写真からもわかるように7合目くらいの位置。夫婦岩の最上部も、標高357.2メートルの頂には達していない。

(再掲)

 岩間を引き返して石段を逸れ、山中に入っていく。道は途中から、赤神山の山頂に向かう道と、瓦屋寺のある箕作山へと縦走する道のふたつに分岐していた。
 看板によると、近年は赤神山のほうに迷い込む、あるいはそちらを目指す人もあるものの、神社としては赤神山そのものを御神体と捉えており、登頂は控えてほしいとのこと。
 その意を汲んで、まっすぐ瓦屋寺を目指すはずだったのだが……(つづく

分岐点


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