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生誕100年 柚木沙弥郎展:2 /日本民藝館

承前

 本展を観る視点のひとつとして、2018年の展示「柚木沙弥郎の染色 もようと色彩」との比較というのもあろう。
 このとき見逃しているわたしとしては、同名の図録兼書籍(以下『作品集』)をたよりに想像をふくらませていくほかない。お気に入りの一冊で、手にとりやすい位置にいつもある。

 本書は作品や展示の記録写真ではなく、民藝館を舞台とした演出写真を主とする。すなわち、「作品集」と題する点からも察せられるように、「図録兼書籍」の「書籍」のほうにより重きが置かれている。
 布が、とろっとろのウィンザーチェアに掛けられ、長いダイニングテーブルに敷かれ、さらには建物の外を出て、花咲く庭木にぶら下げられ、庭先の玉砂利の上に晒され……といった具合。ホワイトやブラックバックの、資料的な作品写真はゼロ。
 こう書くとエキセントリックだが、節度と品位と、作品・作者への敬意とが保たれているためか、すんなり入ってくる。

 今回の「生誕100年」展に出ている作品は、基本的には『作品集』に掲載されているものと同じであり、掲載写真と同じような場面が会場でもいくつかみられた。
 庭木や玉砂利のような撮影用の演出はともかくとして、古作のチェアやテーブル、それに大階段の踊り場を使った展示に関しては、今回も踏襲。
 けれどもここで大事なのは、同一の組み合わせによる「再現」が、ひとつとしてなかったことである。
 いま『作品集』をめくりながら、この作品はあそこにあった、この位置にはあれがあった……などと今回の展示風景と重ねていくと、本展が2018年の展示を超えようと挑んでいったようすがよくうかがえると同時に、どの作品をどのように組み合わせても「さまになるもんだなぁ」といった呑気な感慨も湧き出てくるのであった。

 これまでに拝見してきた柚木展は、だいたいの展示室が全方位を白で満たした空間——すなわち「ホワイトキューブ」であった。
 白い壁は、周囲から隔絶された非日常の世界をつくりだす。ホワイトキューブは自然や生活をその場からかき消し、無味無臭へリセットすることが意図された空間といえよう。
 そういった場に設置したとしても、柚木さんの作品は穏やかに、ときに鋭い主張をはらみながら順応してくれる。モダーンやポップの感覚でとらえられる側面をたしかに、多分にもっているのだ。それはどの美術館・ギャラリーにおいても、同じであった。

 しかし、このたび民藝館を訪れ、正面玄関から大階段の踊り場にあった大きなタペストリー3点を見上げて、わたしは思った。
 やはり、ここなのだと。
 柚木さんの作品が最も美しく、なによりしっくりと存在感を放つのは、やはり創作の原点であり、拠り所で在りつづけたこの民藝館という場所においてこそなのだと……いきいきとした作品のすがたから、そのように直観したのだった。(つづく

木瓜(ぼけ)の花


 ※美術品をちょっと変わった空間で撮影した類書として、(今は亡き)萬野美術館の所蔵品を庭などで撮影した篠山紀信・萬野美術館『萬野美術』(新潮社  1999年)、魯山人の陶磁器をやはり庭で撮影した梶川芳友『野に遊ぶ魯山人』(平凡社  2003年)を挙げておきたい。


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