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生誕100年 柚木沙弥郎展:3 /日本民藝館

承前

 本展は「生誕100年」を祝するものではありつつも、時間やテーマの区切り、それに解説文が設けられていない……といったことを、前回までに述べた。日本民藝館としては、いたって通常運行のスタイルである。
 そんな環境のなかで、かえって明確に浮かびあがってきた点があった。それは、長い作家活動のなかで「変わらないもの」の存在だった。

 ある作家の回顧展を鑑賞する際、見どころのひとつとなるのは、師をはじめとする同時代の周辺作家、それに古作にいかに学び、そしてどう脱していくかであろう。
 柚木さんの場合は、他者から自由になって飛遊していくタイミングが、とくに早いように感じられた。
 初期作にはモチーフの具象性の高さ、細緻な構成といったおおまかな傾向はみられる。紅型や更紗、また師である芹沢銈介からの影響がここからうかがえるいっぽうで、若描きにありがちな硬さや写しの意識は希薄。すでに「らしさ」を感じられるのだ。
 だからこそ、初期作とそれ以降の作、さらには近年の作が一緒に並んでいても、よく調和するのであろう。

 もちろん、初期作と近作が隣り合っていれば、さすがに明確な違いはあって見分けがつくし、その行間に作家の歩みを看取することはできる。
 それでも調和が感じられたのは、どの時期の作にしても、拠り所となっているのが変わらず同じ「民藝」でありつづけているからではないか。
 柚木さんの作品は、日本民藝館という空間に柳宗悦の眼にかなった民藝品とともに置かれ、それらにつつみこまれることで、大きな秩序を生んでいたように思う。
 新館の展示室では、柚木さんの布とともに館蔵の古いものが取り合わせられていた。
 殊に鉄製のおもちゃや貨幣、木の仮面といったアフリカのものとの相性は抜群。ほかにも、英国のスリップウェアに李朝の飴屋の鉄鋏、瀬戸の蚊やりの豚……こうして文字だけで起こせば、脈絡をたどることすらむずかしいものが、なんの違和感もなく展示室で同居している。ものによっては、「これも柚木さんの作品かな?」と思ってしまうほどだった。
 影響関係だとかインスピレーションだとかいった段階を超えて、結びつくモノとモノ。直接的な資料をこれでもかと提示するよりも、そういった手法のほうがかえって本質に肉薄できることが、時にはある。
 それを展示というかたちで、雑然とした印象をいだかせずに描きだし、伝えようというのは、とてもむずかしいこと。
 民藝館の展示はいつも、そんなところがすごい。今回の柚木さんでは、とりわけそういった点が感じられたのだった。

 展示室のもようは、下記リンクのYouTubeでもざっと見ることができる。
 もっとも、まだ会期中ではあるから、間に合う方にはぜひ駒場を訪ね、その調和を身をもって感じていただくことをおすすめしたい。


駒場野公園、ぶちの椿


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