東洋館、アジアのいろいろ:1 /東京国立博物館
東博の東洋館が、たいへんすきである。
まず、たてものがよい。
外観は、縦横の細い線によって構成。これだけの巨大建築でありながら、スマートで圧迫感がない点が、とてもすぐれている。
木造建築の軽快さがコンクリートによって継承されており、じっさいに正倉院正倉がモデルと伝わる。
桂離宮の面影もまた強いとは思うが、正倉院はシルクロードの終着点にして、アジアの宝を千年単位で守り継いできた稀有な存在。やはり、日本を除くアジア一円の作品資料を集める東洋館の ”現代の正倉院” たる使命が、デザインに結実した姿……ということなのだろう。
大きな吹き抜けの空間を軸として、各ジャンルの展示室が巻きつくように配されている。道程はジグザグ。照明は控えめで、洞窟を探検するに似たわくわく感がある。
階段を前提とした順路でありながら、かつて、偶数階にはエレベーターが止まらなかった。バリアフリー化は数年前の大改修で解決済みだが、本日のお目当て・常盤山文庫の展示が偶数階(4階)で開催中だということを忘れて、古いほうのエレベーターで5階まで上がってしまった。
きょうは常盤山文庫だけ観て、手早く次の展示に移ろうと目論んでいたのだが……まあいいか。
かくして、最上階の朝鮮半島の展示から4階の常盤山文庫を経て、1階まで降りていく、擬似「アジアの旅」が始まったのだった。
もともとすきな分野ではあるが、とくに、やきものに足を止めることが多かった。
展示作品というものはいつも同じではないし、そのなかからどの作品によい印象をいだくかについても、やはり定まってはいないだろう。
この日・この時の個人的な記録として、またおすそ分けの一環として、順序や流れは気にせずに、よき作品を、やきものを中心に挙げていくとしたい。
まずは中国陶磁から。
唐三彩の《三彩梅花文壺》(唐時代・8世紀)は、あでやかさと可憐さを兼ね備える逸品。
「万年壺」と呼ばれる器形は、胴の張りを中心にすぼまっていくメリハリにまずすばらしさが認められるもので、たとえ文様がなくとも、フォルムのみで鑑賞に値するものも多い。
本作もよく膨らんではいるが、メリハリというよりはおおらかな形(なり)で、文様のちまっとした可憐さにマッチしていると思う。上がりよく、蓋まで完存するのは希少。
《五彩金襴手水注》(中国・景徳鎮窯 明時代・16世紀 重美)。
イスラム世界の金属器に由来する「仙盞瓶(せんさんびん)」の逸品で、かわいらしくて楽しいデザイン!
まず目につくのは、蓋のつまみ。
すらりとした肢体の、見返りの赤い獣。鼻が長く、耳がピンと立っているから、イヌか、オオカミ、キツネあたりなのだろう。ただ、つまみや耳、足など、部分的な装飾としてよくみかけるのは獅子であり、あるいは獅子の変形なのかもしれない。
永青文庫所蔵の類品にも同じつまみがついているが、東博はスリム、永青文庫は筋骨隆々の感がある。こんなに小さな造形にも、差異は表れるのだ。
もうひとつ、頸部。たどたどしいタッチのかわいい鉢植えに注目されたい。
この3つの赤いもの、遠目では花か果実かといったところだが、よく見ると、ひとつひとつの形状は霊芝にいちばん近い。桃にもみえる。霊芝はキノコであるから、ちょっと違うかもしれないが……いずれにしても、なんらかの吉祥の意匠には違いなかろう。
《白磁香炉》(中国・景徳鎮窯 北宋時代・11~12世紀)。
白磁のなかでも、胎土に鉄分を含み、還元気味に焼成されて青みを帯びた、いわゆる「青白磁」「影青(インチン)」の作。
宋代の影青は浄らかで格調高く、いつ見ても美しい。こんなに暑い夏には、ことさらに……
影青の魅力のひとつに、釉薬の「溜まり」があろう。
窪んだ箇所に釉が溜まると青みは濃くなり、明るい水色を呈する。この溜まりが、たまらなくよい。
駄洒落はともかく……この溜まりの美しさ、さらには商品価値を、陶工はよく理解していたようである。
台座部に施された多数の鎬(しのぎ)には、彫りそのものがもたらす装飾的効果以上に、そこに分厚い釉の溜まりを生じさせるねらいがあったはずだ。溜まりができてはじめて、装飾として完成をみたといえよう。
刻まれた彫りの深さや最下段のそり返りの強さ、執拗に繰り返される鎬からは、そんな意図がうかがえたのだった。(つづく)