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蟹と応挙のまち・兵庫県香美町:8

承前

 応挙らの襖絵が客殿に戻されたのは、神戸新聞によると「原物を配した客殿の仏教空間を超高解像度のデジタルデータで記録する」ためとのこと。きょう3月16日からはもう、収蔵庫におさめられてしまう。
 同じ記事中にある、副住職の言葉が重い。

「われわれが生きている間に実物のある客殿を体感できる機会はもうないかもしれない。応挙さんがどんな思いを絵に込めたのか、この場で感じてほしい」

江戸期の画聖・円山応挙の障壁画、ゆかりの寺で特別公開」(2022年09月26日)

 この一節から「これは行かないとまずいな」と悟ったのであった。そしてこのとき、同時に「もしかすると……」という予感もしていた。
 大乗寺客殿は、当時の建物と障壁画がまるごと現存するのみならず、その完成度がきわめて高い。現在、襖と壁貼付の障壁画・衝立、関連資料合わせて165点が国の重要文化財、客殿の建築が兵庫県の指定文化財となっているが、国宝への昇格を推す声は以前よりある。
 すべて国宝とはいかなくとも、応挙の3室分を国宝、その他の障壁画と建築を附(つけたり)で指定というのであれば、現実的な話だと思う。
 障壁画が収蔵庫に戻ったあと、まもなくして文化審議会から国宝指定の答申があるのではないか。そんな気がする。
 世界遺産や国宝になったとたん、それまで見向きもしなかった観光客が押し寄せて大混乱というニュースを、よく耳にすることであるし……
 いずれにせよ、状況を注視したい。

 ——帰りの電車は通行止めに遭うこともなく、京都方面へ直線距離をひた走った。
 応挙の故郷・亀岡を通過し、京都市内にだいぶ近づいたあたりで、保津川が見えた。応挙の絶筆といわれる《保津川図屏風》(千總 重要文化財)に描かれた、あの保津川である。
 V字の谷間に翠色の川面を望む瞬間が、何度か繰り返された。シャッターを押す間もないほどの一瞬で、残念ながら写真はない。一瞬ならば、スマホの画面でなく、肉眼で見たいと思ったのだ。

 京都駅に着いた時点でまだ時間があったので、東本願寺に立ち寄った。通常非公開の大寝殿(おおしんでん)で、竹内栖鳳の障壁画が拝見できるという。「京の冬の旅」フェアの一環。

国宝・御影堂。おひがしさんは、なにもかもデカい
御影堂のすぐ脇、大寝殿。慶応3年(1867)築で山内最古とは意外だが、蛤御門の変の被害が大きかったらしい
竹内栖鳳《古柳眠鷺》。こんなに太い幹の柳があるのだ。白鷺がその上で眠りこけても、枝がたわむようすはない
栖鳳《風竹野雀》、床貼付の中央部分

 「いったい何畳あるんだ!?」というくらいの大広間の奥に《古柳眠鷺》《風竹野雀》の床の間ふたつが並んでおり、そのあいだを雀が描かれた《歓喜》の襖がつないでいる。
 雄渾な筆致、柳や竹をどっしり骨太に描いてしまうあたりは、東本願寺の超巨大木造建造物群が意識されたものだろう。よくマッチしている。栖鳳の冴えわたる筆技が、惜しみなく披露された大作だ。
 そのスケール感もあいまって、むしろ狩野永徳の障壁画などを思わせるところがあるけれど、栖鳳もまた円山四条派に連なる日本画家である。
 近代日本画の系譜をたどれば、応挙にたどり着く。
 そんなこともあってか、大乗寺から帰ってきてからは日本画三昧。それについては、おいおい書いていくとしたい。


 ——1795年に「孔雀の間」を描き、その3か月後に没した応挙は、いまから2年後の2025年に没後230年を迎える。このタイミングで、「孔雀の間」襖絵を軸に据えた大回顧展がありそうだなとも思う。あるといいなぁ。


 ※金刀比羅宮の若冲障壁画が9年ぶりの公開との由。応挙の障壁画はいつも公開されているが、壁貼付で、そもそも現地でないと観られない。

 ※府中市美の金子先生がちょうど保津峡のことを書かれていたので、リンクをご紹介。




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