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激動の時代 幕末明治の絵師たち:3 /サントリー美術館

承前

  「激動の時代」を直接的に感じさせるのが、さまざまな “戦い” を描く絵だ。

 2面からなる安田雷洲の《英仏攻防戦図》(右の面左の面。嘉永7年・1854  大場代官屋敷保存会)。
 注目すべきは、小襖の仕立てになっていること。世田谷代官屋敷(大場家住宅  重文)で使用されていたものである。

 小襖は小画面であるぶん、思いきったデザインが起用されることもある印象だが、これまた斬新な建具だ。
 見馴れない西洋の戦場のようすが、小襖にまさか描いてあろうとは……変わり種といえる趣向に、主人は鼻高々、来客は興味津々だったろう。

 春木南溟の《虫合戦図》(嘉永4年・1851頃  神戸市立博物館)。

 引きで見れば、異変には気づきがたい。小襖と同じく、西洋の戦闘図を下敷きにした洋風画かな……というくらい。
 寄りで細部を見ていくと、人間だと思いこんでいたものがすべて虫であり、珍奇でシュールな光景がひたすら繰り広げられていることに気づく。
 ネコジャラシやガマの穂を槍に見立てた歩兵の小競り合い、アサガオの花を車輪にしたイモムシ大砲、建物らしきものは虫籠だ……ニヤニヤがとまらない。
 サントリー美術館の前回の展示「虫めづる日本の人々」を思い出させる、魅力あふれる作。

 虫どうしの戦いにはなんの寓意も風刺もなさそうだけれど、こちらはちょっと雰囲気が違う。
 歌川広景《青物魚軍勢大合戦之図》(安政6年・1859  町田市立国際版画美術館)。野菜・果物と魚介類の戦いである。

 なぜ、海の物と山の物とが武力衝突しているのか。これにはふたつの見方があり、ダブルミーニングともいわれる。
 ひとつは上のツイートにあるように、当時起こっていた将軍の跡目争いを揶揄したとの説。水戸の徳川斉昭(=蛸入道八足)は実子・一橋慶喜(=鯱〈しゃち〉太子)を推したが、井伊直弼(=藤顔次郎直高)らの支持を得た和歌山の徳川慶福(=蜜柑大夫)が勝り、家茂と名を改めて将軍職に就く。この絵でも、青物勢が優勢だ。
 伝染病・コレラの流行が、背景にあるともみられている。コレラを媒介しやすいとされた魚、しにくいとされた野菜や果物という構図である。
 いま調べると、じつは生もの全般が危ないらしく、水分の豊富な生野菜や果実もコレラを運びかねないとのことだが……江戸の医術では、この二項対立だったらしい。
 こういった細かな意図に踏み込まずとも、擬人化されたキャラクターたちの暴れっぷりや、もじったネーミングを見るだけで充分に楽しい。わたしは「空  豆之進」「唐  辛四郎」あたりが気に入った。

 柴田是真《雪中の鷲》(明治時代・19世紀  東京国立博物館)は、猛禽類のワシと、イタチかテン、あるいはキツネあたりの小動物との一騎打ち。

 静謐な画面だが、同時にさまざまな音が感じ取られもする。
 慌てて水中に逃げこんだ獣のドボンという水音に、重量感のあるワシが留まり、太い松枝がゆっさゆさと揺れる音、松葉から粉雪がファサーッと落ちる音……
 江戸東京博物館には、こんな粉本も伝わっている。松は藤、小動物は猿に変換。
 前後関係は不明なものの、《雪中の鷲》のほうがよく練られた画面といえ、是真の工夫ぶりがうかがえるといえよう。
 《雪中の鷲》にしても粉本にしても、「威圧する強大な存在」と「逃げ惑う弱小な存在」との対置になっている。
 この関係性を描くことを、是真はどうも好んだらしく、鍾馗が邪鬼を追い払う画などは非常によくみかけるし、本展にも同様の作品《鍾馗ニ鬼図》(板橋区立美術館)が出ていた。

 なお、頭から真っ逆さまに潜水し、後ろ半身のみが見えているという動物の描き方は、円山応挙やその系統の絵師による水禽図にしばしば見受けられる。潜って川魚を漁る、カモの姿である。
 是真によるこの小動物の必死な姿も、応挙のカモに源流があるのカモしれない。

 いろいろと連想がはかどる絵だが、画中の一騎打ちの勝敗は……甲乙つけがたい。
 ワシはもうあきらめたのか。小動物は水に浸かって、はたして逃げきれたといえるのか。逃げる以前に、ワシに一撃でやられてしまい、落下した瞬間かもしれない。
 この勝負の行方、みなさんはどう思われるだろうか。(つづく


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